考えたことの最近のブログ記事

NETFLIXとNHK

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kikoku.jpg サッカーのワールドカップ、日本代表が帰ってきました。いつかかならずこの日がくることは分かっていたとはいえ、やはりお祭り終わった感が募ります。しかし、代表たちは今回、胸を張って帰国しました。やるべきことをやって期待以上の結果を携えての凱旋です。心からその健闘を称えたいというのが日本国民共通の思いでしょう。

 さて、今日の話。朝日新聞とNHKの喧嘩のことと、それを私は興味深く観戦していることは過去何度も書いてきたところですが、また事案があったので書いておきます。

 先週の朝日の社会面の記事。ネットフリックスに提供されたNHKのコンテンツがCM付きで配信されていることにNHKが抗議してやめさせたという事案です。

 ネトフリはわが家も加入してます。しかし観るのはもっぱら奥さんで、わたしよく知らんのですが、先月からCMつきプランを始めたんやそうです。CMがある分、料金が安いんでしょか。ともあれ、そうなると当然NHKがネトフリに提供しているコンテンツにもCMが入るわけです。これについてNHKが「聞いてないよー」と怒ってると。視聴者の受信料で作った番組に勝手にCMつけて流すのはけしからんというわけです。ネトフリ側は「NHKとは事前に合意してた」と、言った言わない状態の醜態です。20221208_003503000_iOS.jpg

 そんなところに、同様にネトフリにコンテンツを提供している民放団体の民放連も参戦します。民放の番組はスポンサーが資金出して作ってんのに、それがネトフリで配信される際に別のスポンサーのCMがつけられるとちょっと困るというわけです。さらに民放連はNHKに対しても「TVerには人気のある番組は出さないくせに、ネトフリにはホイホイと出しやがって」「しかも抗議して止めさせんの、むっちゃ遅いやん」と怒り心頭。三つ巴の争いの様相でメディアの取材に対してNHKは対応の悪さを認めたと、朝日は朝日でなんだか嬉しそうに敵失をあげつらういつもの論調です。

 CMをつけるつけないという話以前に、民放連が言うとおりNHKは「公共放送」なんて自称するのであれば、アメリカの事業であるネトフリより先にTVerの方に全コンテンツを公開すべきでしょうよ。国民から搾取した受信料で制作した番組をネトフリに売りつけてさらに儲けている構図で、このビジネススタイルの方がよほど闇が深い。NHKとは日本放送協会ではなく、ネトフリ放送協会の略であったのか。

 大事なことですから何度も繰り返し言いますが、現在のNHKは放送法という悪法による既得権益の権化です。それは、そこに群がる利権とNHK職員の高給待遇ために存在しているのであって、国民、視聴者のための組織では断じてありません。その在り方は、問題があるというレベルではなく著しく正義に反する反社会組織なのであって、即刻解体するかその運営体制を抜本的に改革すべきでしょう。

寒気に歓喜再び

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 最近、なんだか日曜日に仕事で出かけることが増えて、明日も朝からいないんでまた土曜日にブログを更新しています。早いもんで今年も師走に突入すると同時に急に寒くなった今週、寒気にも拘わらず日本中が熱気に湧き立っています。

 サッカーワールドカップ、開幕前に「日本はドイツとスペインに勝って、Gリーグ突破するど!」なんてことを言った日には「こいつサッカーのこと何も知らん、にわかやな」「はいはい、分かった分かった」と憐憫のまなざしを投げられていたことでしょう。想像し得ない、ありえない快挙を日本代表はやってのけました。

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 ドイツに勝ったけどコスタリカに負けた時点でちまたでは、スペイン戦は日本の負け、残念やけど1次リーグで敗退という空気が支配的でした。いろんなアンケートでも、日本サポーターでさえ8割以上が「日本はスペインに負ける」と答えてました。

 ところが、なんと無敵艦隊スペインに勝ってしもたやないですか。もちろん史上初めてです。

 日本時間早朝の試合で、私が起きたときにはすでに2-1で日本リードの状態。寝ぼけまなこで「ああ、まだ寝てるんや、これは夢に違いない」それが徐々に現実味が増し、朝食をいただきながらハラハラどきどきで、とうとう試合終了。歓喜の瞬間が訪れました。その後今日に至るまで、日本中が喜びに沸きワールドカップはさらに盛り上がりまさに大騒ぎ。開会前の冷めた雰囲気がうそのようです。

 気の毒なのは森保監督ですわ。ドイツ戦の歴史的勝利で持ち上げられて賛辞の嵐やったのに、コスタリカ戦敗戦のあとは「なにやってんねん!」と叩かれまくり、今は再び大絶賛と。サポーターの心情なんてこんなもんでしょね。「手のひら返し過ぎて手首が痛くなってきた」なんてツィートもありました。まったく代表の監督とは因果な商売です。やるもんじゃありません。

 それにしても、ワールドカップ恐ろしい。日本はコスタリカに負けました。そのコスタリカに7-0の大差で勝ったスペインがまさか日本に負けるなんて、もうわけわからん。日本のグループEだけでなく、あちこちでジャイアントキリングが起こってます。これからも波乱の予感があり、ひょっとすると日本、決勝トーナメントでもいいところまで行くかも知れません。寝不足の日が続きそうです。

 前回のエントリーの繰り返しになりますが、さっこんなにかと暗い話題が多い日本社会に元気と希望を運んでくれた日本代表にありがとうと言いたい。

 長友選手の「ブラボー!」は今年の流行語大賞を受賞するでしょう。知らんけど。

人語天声

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 誠に申し訳ない。

 サッカーワールドカップ、ぽんぽんぽんと3つ負けて1次リーグで帰ってくるやろなと思ってました。ところがなんと初戦で強豪ドイツに逆転勝ちするとは。一気に今大会の日本代表の活躍に対する期待が高まりました。にわかファンここに極まれりです。doha.jpg

 300万円貯めて大会期間中1カ月ドーハに滞在して観戦する人や、そこまでではなくても休暇を取って現地に赴くサポーターのことをテレビで視ると、言わないけれど「どおせ負けんのに、ご苦労なことやなあ」と思ってました。

 誠にすみません。

 この人たちみたいな熱心なファンの真摯な応援あってこそ、今回の歴史的勝利があったものと思い知りました。不徳を恥じ入るばかりです。

 それにしても、本当にドイツに勝ったのね。未だ信じられません。森保監督の采配が絶賛されてます。1993年、かの「ドーハの悲劇」は、私もリアルタイムで視てました。アナログ時代の四角いテレビでした。試合終了直前のロスタイムに、日本のゴールキーパー松永選手の頭上にふらっと上がったボールがゴールに吸い込まれたあの場面、はっきりと覚えてます。思えばあの試合に森保監督も出場してたんですよね。今回「悲劇」を、ステージを上げたワールドカップ本戦で「ドーハの歓喜」へと変えたわけです。1次リーグ突破できるかどうかは未だ分かりませんが、暗い話題が多い昨今のわが国にあって、MLBの大谷選手といい、スポーツ分野でのヒーローの活躍は本当に元気を貰えます。

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 さて、国内に目を転じて相変わらずの朝日新聞ネタで恐縮ですが、先週の天声人語は、ツィッターのマスク氏が「Vox Populi Vox Dei(ラテン語)」(民の声は神の声)とツィートし、これは天声人語の英訳版タイトルと同じやと喜んでます。そもそも朝日の創刊当時から続くこの看板コラムは「天に声あり人をして語らしむ」という意味で、自らが神であるとする朝日の傲慢な姿勢を如実に表すものです。コラムでは「民の声、人民の声、世論が天の声なのだ」という意味と言ってますが、こじつけというか正反対の曲解です。それなら「人語天声」と表記すべきでしょうよ。

 天声人語を書き始めた明治の昔、当時の朝日は自らの主張こそが尊い天の声であるとする認識であったのです。多分、それくらい強気でなければ当時の論壇は通用しなかったんでしょうよ。けど、後年、もうそんなつもりはないですよというのならタイトル変えればいいいのに、やってない。つまり当時の意識はその後も変わることなく、気に入らない対象は徹底的に攻撃する、自らの過ちは絶対に認めないという今に至る社の風土、論調を育んできたものと思われます。「これはもう、時代に合わんなあ」と思ってるんであればどんどん変えていけばいいのに、古くから使ってるというこだわりを捨てきれず、こじつけの解釈で煙に巻く。なんだか日本の憲法に似てなくもありません。

 さらにこの日コラムは最後に「民の声は重いが、重さは数で決まるものではない」と結んでいます。民主主義の原則を否定する独善的で危険な思想がこの一言にこめられていて、さすがと言うべきです。

 日本中が盛り上がった東京五輪で朝日は、スポンサーに名を連ねながら「五輪反対」を主張し非難を浴びました。そして「やっぱりやめたら?」という否定的な論調から、日本選手が思いのほか活躍し世論の支持が高まると一転して五輪特集の紙面を組むなど、その日和見的な対応が再び嘲笑の的となりました。国民がこぞって快挙に沸く今回のワールドカップ、代表の活躍を朝日がこれからどう伝えていくか、注視したいと思います。

 明日からしばらく出張しますんで、また土曜の夜にブログの更新です。

 今週の朝日新聞に「センセイ呼び 地方では変化」というコラムが載ってました。議員に対して先生と敬称をつけるのはなぜかという話です。結論は「よくわからない」ということでした。

 朝日は広辞苑を引用して「先生」とは、①先に生まれた人②学徳の優れた人 ③教師 ④医師、弁護士などに対する敬称 ⑤他人を、親しみまたはからかって呼ぶ称 と説明してます。「議員」とは書いてないよ、というのが朝日の言いたいことみたいです。seiji_souridaijin_bg3.png

 先生と言えばまず教師のことでしょうよ。「あの人仕事なんなん?」「先生やで」と言えば普通、教員やと理解します。だから広辞苑が医師、弁護士などの敬称と区別して、しかもそれより先に「学校の先生のこと」という語釈を掲げるのは正しい。しかし、いの一番目が「先に生まれた人」ってこれは広辞苑、どうよと思います。こんな意味で「先生」使ってる例を私は寡聞にして知りません。

 まあそれはいいとして「議員センセイ」の話です。これは④に該当する、つまりは敬称です。相手を敬うために〇〇先生と呼ぶわけで、議員はエライという認識が前提にあります。それが昨今「議員ってエライの?」という疑問が生じて見直しにつながってると。大阪府議会では今年、議員を先生と呼ぶのはやめると決めたんやとか。ほかにも「〇〇議員」「〇〇さん」に改めるところが出てきているけど国会では旧来のままやで、というのが朝日の記事の主旨でした。さて。

 議員も別に「先生」でいいと思います。「先生と呼ばれるほどのバカでなし」という川柳もあります。呼ぶ人は別に議員に尊敬を込めて先生と呼んでるのではありません。名前よく知らないし呼びかけるのに便利やから使ってるんであって、しいて言うなら広辞苑の⑤番目、むしろからかってるのです。呼ばれた方もそう理解でけんとあきません。先生と呼ばれて「俺は偉いんだ」と思うような輩は議員に向いてません。

 school_class_seifuku_aseru.pngかつて、学校の教師になりたてのある若者が「先生と呼ばれると何だか面はゆいです」と言ったところ先輩教師が「アホか。相手は敬って言うてるんやのうて単に職名を呼んでるだけやど。エラなったと勘違いすなよ」と諫めたとか。この先輩、なかなか分かってらっしゃる。先生と呼んどけば相手の名前覚える必要もないし、いろいろ便利なのです。

 どんな仕事の人を「先生」と呼ぶのか、基準はあるのかと考えてみるわけです。士業(弁護士、税理士、会計士、司法書士など)の人はたいてい先生と呼ばれますがこれは、職務上個人顧客と一対一で接するからではないか。その際に客が話しやすいからではないか。例えば、歯科医院でドクターのことは「先生」と呼べて、話をしやすい。一方、歯科技工士さんは先生ではない。名前も知らないと「すみませーん」としか呼べんくて、これはなんとなく不便なんです。しかし、もしそうやとすると理髪師、美容師、ネイリストやなんかも先生でいいよなもんやけどそうではないから、これはやっぱり違うか。

 人を教え導く、指導的地位にある人に対しては先生と呼ぶ、という説もあります。しかし、作家や漫画家も先生と呼ばれるけど、別に誰かを指導してるわけではありません。かの慶應義塾では「先生」というとそれは福沢諭吉のことを指し、それ以外の教員は君づけで呼ぶ、とホームページに書かれてました。「〇〇君の授業今日は休講」なんて通知されるらしい。ほんまかいな。実に違和感があります。学生が教員に対して「〇〇君、質問があります」なんて言うてるんやろか。にわかに信じられません。変な学校。

 桂枝雀さんは生前、古来、寄席の演者のうち講談をかける講釈師だけがなぜか先生と呼ばれると言ってました。もうね、わけ分からん。やっぱり先生呼びの基準は不可解だわ。

笑えないハナシ

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 明日の日曜日は朝からお出かけしますんで、土曜日の夕食後、ほろ酔い気分でブログ更新です。

 先日、皆既月食という久々の天体ショーで日本中が盛り上がりました。同時に「天王星食」もあったって、そんな日本語初めて聞いたわ。ショーって言っても別にお月さんも天王星も人間に見せるためにやってるわけではないんやけど、大自然の壮大な営みを直感的に、それも居ながらにしてタダで感じられる稀有な機会として少しく興奮した次第です。おりしも雲一つないいいお天気で、実にラッキーでした。20221108_102034000_iOS.jpg

 そんな壮大な宇宙規模の自然の営みを感じた同じ今週、地上ではあいも変わらず情けない話が伝わってます。

 「法務大臣がトップニュースになるのは、死刑のハンコ押したときくらい」とコメントして、葉梨というおっさんが法務大臣をクビになりました。実際にそう思ってたとしても、当の大臣本人が軽口としてそんな話をすることは不見識極まりない。人の死をなんと心得るのかという話です。それもあちこちでスピーチする際に同じことを何回も言ってたというから、本人は掴みに使う軽い冗談とでも思ってたのか。笑えません。誰か注意する人が居てもよかったのに、バカの周りにはバカしか集わないという見本かと。

 葉梨という名の国会議員がいて閣僚に名を連ねてたなんて大半の国民が知らないし、時がたてば知らないままに大臣は次の人に交代してたはずです。それが、おめでとう、今回の不祥事で一躍人々の記憶にずっと残ることになりました。

 かつての民主党政権時代に、柳田という当時の法務大臣が「法務大臣は『個別の事案についてはお答えを差し控えます』と『法と証拠に基づいて適切にやっております』、この二つを覚えておけばいい」と嬉しそうに話して、クビになりました。繰り返されるバカの歴史。

hanko_man.png つい先日、死刑関係のエントリーを書いたところです。先進国で死刑を存置するまれな国であるわが日本に対しては国際社会から厳しい目が向けられている中で、こんな低レベルの人物が法の番人たる法務大臣を務めていたとなると、これはもうね、今後の死刑存廃の議論にも影響を与えるかも知れません。「ハンコひとつで殺される」とは死刑廃止派がよく使う常套句ですが、今回の件で勢いづくことでしょう。実際法務省の関係者は「しばらく死刑の執行はでけへん」と怒ってるそうです。

 思い出されるのは、第一次安倍内閣んときに法相を務めた鳩山邦夫氏です。兄の由紀夫は悪夢の民主党政権で最初の首相に担がれ、その後の日本を無茶苦茶にする先鞭を担ったのみならず、失脚後も「元首相」の肩書をかざして半島国家に媚び続け日本を貶めている国賊ですが、弟の邦夫氏の方は自らの政治信念に忠実な、立派な政治家でした。

 法相就任中に13回もの死刑執行を命じ、死刑廃止各派から批判を浴びるも、法の番人として法律に基づいて粛々と職務を執行する姿勢には威厳を感じたものです。決して軽々にポンポンと死刑命令の書類にハンコをついていた訳ではなく、決裁する際には身を清め祖先のお墓まいりを行ったうえで厳粛に対応していたといいます。過酷な精神的負荷に身を晒しながら、法治国家日本の秩序維持と正義の実現のためにその職責を全うされたのです。

 鳩山法務大臣の命令により死刑が執行された際、朝日新聞はあろうことか記事で鳩山氏を「死に神」と罵倒しました。さすがにこの愚行に対しては犯罪被害者の会をはじめとする多くの団体、読者から夥しい非難、抗議が寄せられ、朝日は謝罪記事を掲載する羽目に追い込まれました。この一見をとっても朝日新聞の反社会性が如実に表れています。吉田証言、吉田調書、サンゴ事件と並ぶ不祥事として国民の記憶に残っています。

 ハナシが逸れました。ようするに、かつてその責任に伴う独特の苦悩を抱えながら真摯に職務を執行してきた法務大臣がいたことと比較して、今回の葉梨のハナシはまったくハナシになりません。さっさと退場してもらいましょう。法務大臣がトップニュースになるのは「死刑のハンコ押したとき」と「失言でクビになるとき」というジンクスができました。「地味な役職」というのは、ある意味当たってるかも知れません。 

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katsuhiko

男 

血はO型

奈良県出身大阪府在住のサラリーマン

生まれてから約半世紀たちました。

お休みの日は、野山を歩くことがあります。

雨の日と夜中はクラシック音楽聴いてます。

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