イシモチとなる

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 松山英樹選手、マスターズ制覇!おめでとうございます。

 コロナ禍猛威をふるう昨今の日本で、傷ついた国民に勇気を与えてくれる快挙でした。10年前、3・11の国難の中にあってFIFAワールドカップでなでしこジャパンが優勝し、日本中が歓喜感動したことを思い出します。人はみなヒーローを求めるんやなあと改めて思います。

 さて先週、ひどい体験をいたしました。

 尿管結石の発作が起こり、猛烈な痛みに襲われたのです。

 isimoti.jpgイシモチといえば塩焼きにするととっても美味しいお魚ですが、自分がイシモチであることは知りませんでした。もう20年以上も前になりますが、胆石(胆嚢炎)による胆のう摘出の手術は経験しました。おかげでそれ以来、肝が座ってないということで、ちょっとしたことですぐビクビクしてきたわけですが、今回は再びの、石の暴走による体内テロリズムです。

 仕事中、それは何の前触れもなく突然起こりました。右下腹部がシクシクし始め「お昼、何か悪いもの食べて当たったかな」と思う間もなく猛烈に痛み出した。かつて記憶にないレベルの激痛です。しばらくぢっとしていても治まる気配がない。横になろうが立とうが座ろうが、転がってどんな姿勢をとっても強烈な痛みにまったく変化がない。こらあかんというわけで病院に直行、CT検査で原因が分かった次第です。

 痛み止めの薬で楽になり、無事に帰宅できましたが、痛み止めはあくまで痛み止めに過ぎず根本治療ではありません。薬が切れると再び痛くなってきます。2・3日それを繰り返し、やっと治まりました。おしっこの際にコロンと石が出るというので「とにかく水を飲め」と言われて、四六時中飲み続けて一日に10回以上トイレに行ってましたが、わたしの場合は気がつきませんでした。多分見逃すほど小さかったのでしょう。痛みさえ無ければ、発熱するわけでもなく、いつもどおり何ら支障なく仕事してました。夜中に痛みで目が覚めるのが一番辛かった。

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 まあ、それはそれは痛かった。ネットで調べると「およそ人類が経験する最高の痛み」だの「痛みの王様」だの「群発頭痛、心筋梗塞と並ぶ3大激痛」だの、恐ろしい修辞が並んでます。いまや経験者として、なるほど分かる分かる。その後周りの女性と話すと、痛みのチャンピオンはやっぱり陣痛ということらしいです。これはそも経験できない。

 神様は人間に痛みという試練を与えました。太古以来の動物の進化は「痛み」とともにありました。こんなもの無ければみんなが幸せかというとそういうもんでもない。痛みによって体内の異常を認知でき、その結果死に至る危険を回避できるわけです。それにしても神様、もう少し加減してもらうわけにはいかなかったのかとも思います。

 結石は再発する割合がかなり高いとか。原因は体質と食習慣で、石の組成はおもにシュウ酸やそうです。妻の宣言により、今後私はシュウ酸を多く含むタケノコ、ブロッコリー、ホウレンソウは死ぬまで食べさせてもらえないそうです。トホホ...

選びたい

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 大阪は今日もいいお天気ですが、お出かけは自粛です。昨日のコロナ新規感染者数は918人。過去最多で、12日連続で東京を上回ってます。先週のマン防の結果を見極め来週には再び緊急事態宣言が出るかもということです。大阪がコロナの主戦場となってしまいました。引き続き会食等の自粛と感染防止対策を心がけるしかありません。

 さて、最近しきりに選択的夫婦別姓制度が取り沙汰されてます。法務省が検討している正しい制度名は、「選択的夫婦別氏(べつうじ)制度」と言います。 

 同姓とするか別姓とするかを選べるので「選択的」が付くのやそうです。法案によると、制度が実現すれば結婚した際に、①夫婦どちらも夫の姓、②夫婦どちらも妻の姓、③それぞれが旧姓のまま、のいずれかを選択できます。これまで無かった③が新たに加わることになります。

betsusei.png 制度検討の基本的な発端は、女性の社会進出を促そうとする社会の動きに呼応するものです。

 かつては、結婚とは原則的に女性が夫の家に「嫁入り」するもんやから、夫の姓に変わるのが当然とされてました。夫婦で姓が異なるなんて全くの想定外やったのです。しかも、お嫁さんは家庭を専守防衛する立場となり基本的に外では働かなくなるので、結婚前後で姓が変わってもなんら支障が無かった。ところが今や、女性も男性も仕事その他で社会的立場があるため、ある日を境に突然姓が変わると困る場合が増えてきました。にもかかわらず、現行法では結婚すると夫婦どちらかの姓しか選べず(民法第750条)、そして改姓を強制されるのは圧倒的に多くの場合女性の側となっていることが問題やというわけです。

 そこで昨今「旧姓使用」が広がってきました。作家、漫画家、芸能人など、世に名前が売れてる人ほど改姓は混乱を招きます。学者先生などは学会や論文など研究活動の一貫性という理由から結婚しても旧姓そのままとする例が多い。一般人でも外で仕事している人は、結婚に際して旧姓で通す人が増えてきました。しかし、これらの場合でもあくまで「通称」であって、戸籍上・法律上は配偶者の姓に変わってるわけです。

 「女性ばっかし不利益が多い」ということで、どちらかしか選べない民法は法の下の平等を謳う憲法第14条違反と訴えた裁判で、最高裁は2015年「家族の呼称を一つに定めることには合理性が認められる」として、合憲という判決を出しました。

 しかし、夫婦別姓を求める声はどんどん広がり、この判決ののちも判例の変更を求めて提訴が相次ぐ事態となりました。そして、別姓の婚姻届を受理するよう自治体を訴えた3件の家事審判の特別抗告審で昨年12月、最高裁は再び大法廷で審理することを決めました。これは、憲法判断が示されることを意味します。4カ月経ったのでそろそろ判決が出てもいい頃です。

 このような機運の高まりの中で、政府も夫婦別姓に向けた法案の検討を加速させています。実は、検討が始まったのは意外に早くて、法制審議会が「民法の一部を改正する法律案要綱」で夫婦別姓を答申したのは平成8年といいますから、もう四半世紀の間すったもんだしてることになります。

 何年か前に学校の先生が旧姓使用を求めて訴えて敗訴した裁判は、このブログでも詳しく書きました。夫婦別姓どころか通称としての旧姓使用も認めず、戸籍名使用の強制を容認した判決に対して多くのマスコミが「これはおかしい」と一斉に書きたてました。原告が控訴したところ、なんと学校側が旧姓使用を認めて和解しました。原審で勝訴した被告の学校が原告の要求をのんだということは、控訴審では覆ることを予見したのでしょう。

 もし選択的夫婦別姓制度が実現すれば、これは「家」を基準単位として形成されてきた日本の伝統的な社会の在り方の変革を促す嚆矢となり、民法(家族法)の歴史上最大の改正といっていいでしょう。それゆえ、保守派の反対も根強い。しかし、時代は確実に夫婦別姓容認に向かっています。

マンボウと青大将

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 今年は桜が早い。例年ならば欣喜雀躍して西に東にお花見に出かけているところですが、昨年に引き続きコロナ禍で自粛とあって、陽気によるウキウキ感も実に微妙な新年度のスタートです。

 聖火リレーが始まって東京五輪は各方面やる気満々ですが、果たして予定どおり行われるのか。最近「ホントにやるの?」という議論も下火になってきたのはマスコミが政府に忖度しているからか、はたまた私の知らないところで、国を挙げて「やるゾーっ!」て方向性が整ってきてるのか、よく分かりません。めでたさも中くらいの盛り上がりです。mambo.jpg

 大阪では「まん延防止等重点措置(まん防)」というのんが発令されるらしい。飲食店の営業時間の短縮要請など、緊急事態宣言に準じる規制のようです。次々といろんな新しい施策が出てくるもんです。昨日の大阪の新たな感染者数666人は5日連続で東京より多いって、ちょっとどうよって感じです。聖火リレーも中止となりました。ランナーに選ばれてた人はさぞ残念でしょうが、この状況では致し方ありません。

 ちなみにマンボウといえば、回転寿司で供されるマグロの代用品の深海魚「赤マンボウ」はマンボウの仲間ではないということです。

 さて、先週田中邦衛さんの訃報が伝わりました。同じ日の新聞に、ノーベル賞の赤崎勇さん、「キックの鬼」沢村忠さんの訃報が一緒に載った中で一番大きい扱いでした。なんと、いつの間にか88歳になっておられたと聞いてびっくり。

aodaisho.png 「北の国から」の名演が印象深いですが、我々の世代やとやっぱり加山雄三の若大将シリーズの青大将役が印象に残ってますね。といってもシリーズがヒットしていた頃はわたしまだ小学生やったんで、映画館ではなく後年テレビで観たわけです。主人公加山雄三のライバルというか好敵手の役どころで、「若大将」に対抗して「青大将」なんて、安直というかなんというかよき時代の雰囲気を感じます。

 シリーズ7作目「アルプスの若大将」では、青大将ではないのですが、苗場のスキー場でマドンナを襲う不良に対して若大将加山雄三が「山に来て変なことするやつは許さないぞ!」と一喝する場面があります。のちに週刊誌がこのセリフを捉えて「だとしたら、苗場プリンスホテルに泊まってる連中なんか、みんな許してもらえない」と突っ込んでました。青大将の訃報から、自分の若かりし日のそんな思い出が蘇ってきました。

 強烈な個性、存在感という点で、マンボウも魚の世界ではなかなかのもんですが、銀幕での田中邦衛さんにはとても及びません。素晴らしい俳優さんでした。ご冥福をお祈りいたします。

基本は電話

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 さあ、ペナントレースが開幕しました。わが阪神タイガースは怪物ルーキー佐藤輝明のプロ入り初ヒットがホームランという活躍もあり、連勝スタートです。この調子でいきましょうはええんですが、コロナ禍の影響で甲子園球場の公式戦入場券が未だに発売されない異常事態が続いています。本拠地開幕までにはなんとかなるんでしょうけど、混乱が予想されます。本当に早く落ち着いてほしいもんです。

 さて、先週、新幹線の公衆電話が全廃されるというニュースが伝わりました。もちろん携帯電話の普及の結果で、新幹線全線でトンネルの中でもケータイがつながるようになったことを受けた措置ということです。出張の際にはよく利用しましたが、またひとつ昭和が遠くなりました。

 1598216_s.jpg街なかでも、公衆電話がおそろしい勢いで姿を消しています。「たばこ」の看板の下に小窓があって店番が一人座っている。その窓の横に赤電話があるという、ステレオタイプの街角の風景はもはや絶滅危惧種です。昭和の頃、喫茶店にはいわゆるピンク電話を置くところがたくさんありました。お店の電話を借りる人が増えたことで、もっと効率的にという店のニーズから開発された、お店が管理する公衆電話でしたが、これもとんと見かけなくなりました。

 思えば、私が社会人となった昭和の頃は、オフィスの電話もすべて黒電話でした。今や若物の中にはプッシュボタンの公衆電話ですら使い方を知らないコがいるとか。ダイヤル式の電話を最後に使ったのはいつのことやったか。

 日本で電話のサービスが始まったのは明治23年。グラハム・ベルが電話を発明してから14年後です。わりと早い。といっても、サービススタート時点の加入者は、東京・横浜の197世帯のみ。料金は現代の価値にして月額15万円で使い放題でした。高いとみるか安いとみるか。相手を直接呼出すことはできず、発信すると電話局の交換手さんにつながり、相手の番号を言って繋いでもらってたそうです。今思うと実にほのぼのですが、それでも当時としては遠くにいる人とリアルタイムで会話ができるなんて魔法のような革新技術やったわけです。その後の現在のスマホに至るまでの進化・発展は確かにすごいけれども、電話の初登場はそれを遥かに上回るインパクトであったと想像できます。

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 仕事でもプライベートでも、眼前対話できない他者とのコミュニケーションを図るためにはいろんなツールを利用します。しかし、基本的には今でも電話(音声通話)です。

 遠隔コミュニケーションツールは、TELEXやファクシミリの時代を経て、令和の現在ではスマホやパソコンでの電子メールに加えて、LINE、slack、Messenger、Teams、ZOOMなど、chatツールも含めて非常に多岐にわたっています。電話しかなかった昭和の頃までは、電話の呼び出し音さえ気にしていれば必要な情報を逃すことはありませんでしたが、いまや複数のツールをパソコンやスマホに立ち上げて構えていることが求められています。私なんか、連絡したのに返事がないと言われて、そいやTeams起動してなくて気がつかなかった、なんてことがよくあります。常にいろんなツールの窓口を開けておかねばならないし、スマホは常に身に着けている必要があります。

 さらに、これらの通信手段は常に記録が残るということを念頭におかねばなりません。ビッグデータを効果的に利用する技術についてはかつてHUAWEIの陰謀のことを書きましたが、通信の分野でも公権力による個人の行動把握が容易になっています。これはかなり怖い。

 ちなみに往年のドラマ「スパイ大作戦」では、任務の指示はテープレコーダーで行われ、再生が終わるとテープが自動的に発火して消滅しました。そんな技術力があるなら、もっとスマートに命令を伝える方法あるやろ?なんてことは、ドラマを楽しむ上では言ってはいけなかったのです。

 現代人は、他者とのコミュニケーションに際して、その内容はもちろん、手段についても慎重に選択する必要があります。電話で話すと周りに聞こえるし、LINEやメールなんかで送ると記録が残るし、結局直接出向いてオフレコで話すしかないか、なんて気を使うことになります。うーん、果たしてこれは便利になったといえるのか。

 今日は朝からしとしと雨が降ってます。コロナ禍の閉塞感が本格化してから1年と少し。感染者数は下げ止まってますが、ワクチン接種も広がり続ける中、終息に向けて少し明かりが見えてきたというところでしょうか。やはり人類は大したもんです。しかし、東京五輪に間に合うかというと見通しは暗い。先週とうとう、海外からの観客を諦めました。検討始まって以来の大きな後退が決定したことになります。五輪の先行きはまだまだ混沌としています。

 さて、これまでにも何回か書いてますが、わたしの故郷は奈良県南部山あいの下市町という小さな町です。隣接する吉野町は日本一の桜の名所かつ日本史にたびたび登場することで全国的に知名度抜群なのに比べると、下市町のネームバリューはかなり劣ります。20210313_014041054_iOS.jpg

 奈良県は邪馬台国論争の舞台であり、有名な古墳が多数点在する考古学的にも重要なエリアですが、その中にあっても下市には先史時代の史跡もほとんどありません。そんな中で唯一「岡峯古墳」という古墳がありまして、私も子供のころからよく知ってましたが、しっかりと施錠、管理されており中に入ったことも覗いたこともありませんでした。死ぬまでには一度入ってみたいと思い続けて幾星霜、なんとこのたび思わずその機会が訪れました。

 たまたま見つけたマニアックな「古墳探訪ツアー」になんと、かの岡峯古墳の名があるではありませんか。千載一遇のチャンスと心得、先週喜び勇んで参加してまいりました。

20210313_013353508_iOS.jpg やまとびとツアーズという会社の企画で、普段あまり注目されない、吉野川沿いにある古墳のいくつかを巡るというものです。実は岡峯古墳はその形状から学術的には重要な、知る人ぞ知る存在なんやそうです。

 ガイドの先生とツアー社員さんのほか、参加者は10名ほど。いずれも、泥だらけになって玄室へと這い入っていくことにこの上ない喜びを感じる古墳フリークたちですわ。先生は8年前、奈良県まほろばソムリエ検定の体験学習「榛原と大宇陀・阿騎野コース」に参加したときにお世話になった方です。久々にお会いしました。

 駅に集合したのち最初に歩いて向かったのが、私にとっては今回最大の眼目である岡峯古墳です。あいにくの小雨降る中、懐かしの故郷の街をてくてくと進んでいきます。そいや、前に帰ってきたのはいつやったか。 

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 現地に到着すると、管理者である町の教育委員会の方が待っててくれました。入口のカギを開けてもらい、いざ古墳内部へ。初めて見る中の様子。玄室正面に石棺、羨道のわきにはその蓋とおぼしき板石、そして石棺の上には県内3カ所しか発見されていないという「石棚」が聴いていたとおり確認できました。積年の宿題を一つクリアした、興奮の瞬間でした。

 教育委員会の方とは共通の知り合いもいたりで話が弾みました。ふるさとはやっぱりいいものです。

 このあと一行は、吉野川河岸段丘沿いに連なるるいくつかの古墳を巡りました。古墳の小さな入り口に殺到し、興味津々でのぞき込む一行の姿がなんとも面白い。かなり「密」になってるけど大丈夫かいな。

 道中ではタクシーも使いましたが、かなりの距離を歩きました。帰ってアイホンの万歩計見ると15㎞以上歩いてました。最初の岡峯古墳以外はほとんど興味がなかった私ですが、先生の説明をつらつらと聴くうちに、わが国の歴史の黎明に思いを馳せる古墳探訪の新たな魅力を確かに感じました。来月、同様のツアーを葛城方面で予定しているらしい。この際、もう一度参加してみよかなっと。

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katsuhiko

男 

血はO型

奈良県出身大阪府在住のサラリーマン

生まれてから約半世紀たちました。

お休みの日は、野山を歩くことがあります。

雨の日と夜中はクラシック音楽聴いてます。

カラオケはアニソンから軍歌まで1000曲以上歌えます

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