歳末に君が代のこと

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 年末もいよいよ押し迫ってきて、おそらくは今年最後のブログ更新となりました。
 
 先週大阪で、君が代不起立処分裁判の判決がありました。公立学校の教員が卒業式の君が代斉唱の際に立たず、歌わなかったことで減給処分を受けたことが不満で、処分を取り消して慰謝料払えと訴えた、よくあるやつです。裁判所はこの教員の請求を退けました。
 
 当然の判決です。
 
 そもそもこの教員、まず自分はクリスチャンで信仰上の理由から歌わないとゴネたらしい。意味不明です。クリスチャンには国歌を歌ってはいけないなんて教義があるのでしょうか。こじつけに過ぎず、クリスチャンを愚弄する言辞です。IMG_5975.jpg
 
 次に学校側はこの教員の気持ちに配慮して式場外での受付を命じていたにも関わらず、この職務上の命令を無視してわざわざ式場内に入り込んで不起立に及んだとか。いやならそんなとこに行かなきゃいいわけで、明らかに式典の進行をことさらに妨害する意図をもってなされた犯行です。まず職務命令違反として処罰の対象となり、さらに学校行事である式典を意図的に妨害する犯罪行為として、一層重い処罰の対象となります。甲子園の阪神・巨人戦でジャイアンツファンが誰も頼みもしないのに勝手にライトスタンドに乗り込んで阪神の応援をし、精神的苦痛を受けたから慰謝料よこせと騒いでるようなもんです。
 
 入学式、卒業式で国歌斉唱の際に立たずに処分を受ける教員が後を絶たないとか。まったく何を考えているのかと思います。学校の重要な式典において、国歌を斉唱することは当然の所作です。国歌が嫌いならばそもそも公立学校の教員になどならなければよいのであって、先生という社会的地位と給料は欲しいけど、それによって生じる義務は遂行しないなどということはおよそ通用しません。これは憲法が保障する「思想・良心の自由」とは全く別問題なのです。
 
 歴史的な背景もあり、君が代が嫌いやという人もごくわずかいることは理解します。彼らが良心に従ってそのことを主張する権利は厳然と保障する必要があります。しかし、民主主義国家かつ法治国家であるわが国は、適正な手続きによって成立した法律によって、君が代を国歌と定めているのです。それを、自分が嫌いだからという理由で否定することはできません。
 
hinomaru.jpg「わたしは、人には人を殺す権利があるという思想をもっている。したがってわたしは今の刑法を認めていないから、わたしが人を殺しても思想・良心の自由に基づき逮捕されることはない」と言ってるのに等しい。そんな簡単なことを理解できない、しようとしないバカものたちがいまだに蔓延っているのです。
 
 朝日新聞は、この判決の記事において「教員への圧力がかけやすくなる。現場の萎縮が進む」と伝えています。この論旨はおかしい。式典で君が代を歌うことがなぜ「萎縮」なんでしょか。校内で「式典での国歌斉唱はやめませんか」という議論は大いにやったらいい。声を上げることに対して処分なんてするべきではないし、できるはずもない。それこそ人権問題です。しかし、組織・集団の一員である以上、自らの思いに反する決定に従わなければならない場面も当然生じてきます。それが自分の信念に反して我慢できないのならば、さっさとその組織から退場すればよいのです。自らの歪んだ心情を教育と称して将来ある生徒たちに押し付けるような行為は許されるものではありません。こんな連中は一刻も早く教育の現場から駆逐されるべきです。
 
 さて、いつもながら気が付くとあっという間に1年が過ぎ去り、また新しい年が巡ってきます。身内の不幸があったため、今年の年越しは世間の喧騒を離れ静かに過ごすこととしますが、ひとの営みがどうであろうと月日は粛然と過ぎ去っていきます。抗うことの許されない中に身を置くささやかな存在であればなおさらに、一日一日を大切に費やしていこうとあらためて感じいっている今年の歳末です。
 
 今年も大変お世話になりました。本当にありがとうございました。どうか来るべき新年がよい年となりますよう祈りながら、今年のブログおさめといたします。

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