2014年9月アーカイブ

 職場隣接の城北公園、毎日行き帰りに必ず中を通るのですが、季節の移ろいとともに新しい発見があります。先週見つけたこの木、黄色い実がたわわにぶら下がってます。名札には「マルバチシャノキ」とある。「丸葉萵苣の木」。調べてみると萵苣(チシャ)とはレタスのことで、若葉を食べるとレタスの味がするからこの名前がついたとか。実は食べれるんやろか?

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 昨日、今日といいお天気です。窓を開けていると近所の小学校から運動会の場内放送が聞こえてきます。お出かけ日和ではありますが、昨日の疲れが相当に残っており、今日は完全休養日としわが家でまったりと過ごしております。

 昨日はゴルフコンペやったのですが、会場の「鳴尾ゴルフ倶楽部」はその昔関西で2番目にできた、世界のゴルフコース100選に選出されてる日本を代表する名門コースとかで、つまりは古い。そのせいか乗用カートの数に限りがあり年配の参加メンバー優先となり、なんとわたしはカートなしのラウンドやったのです。コースすべてを歩き通したわけで、しかも私の場合フェアウェイをまっすぐに進めるはずもなく、隣のホールにおじゃまするわ、山あり谷あり行ったり来たりで想定距離の2倍から3倍は動く必要がある。

 その結果、ブログ更新してる今現在、足腰・腕・手首、あちこち筋肉痛でガタガタの有様なのです。全くもって情けない、日頃の運動不足が身に染みます。上手になるにはやっぱり真面目に練習するしかないことは分かってるものの、なかなかそんな時間もない。なんとかうまい手だてはないものでしょか。

 さて、先週、イギリスの指揮者クリストファー・ホグウッド氏の訃報が伝わりました。古楽演奏の権威で「エンシェント室内管弦楽団」の主宰でした。私は学生時代合唱団にいたんで、クラシックの合唱曲でエンシェントの名前は当時からよく聞きました。がさごそとCD探してみるとやっぱり「ホグウッド指揮」のんを何枚か持ってました。

Hogwood.jpg 古楽演奏は使ってる楽器からして普通の管弦楽団と違ってるみたいです。以前、学生時代にバッハの演奏会に行ったところ、浩宮殿下(現皇太子)が出演しておられ、客席に皇太子ご夫妻(現 両陛下)が来られてた想い出を書きましたが、そのときの演奏も古楽器ではなかったかと記憶しとります。鳴らない。音が小さい。演奏者も苦労してました。

 後世になって、もっと優れた楽器が開発されたんやからことさらに古いのんでやらんでもいいようなもんですが、いにしえの味わいの中にそれなりの価値を見出そうとする試みなわけでしょう。近年のデジタル全盛の中にあって、あえてアナログのレコードに固執する感覚に似てます。

 イノベーションは古いものを淘汰し駆逐していきます。そのことに危機感を抱く人もありますが、ことさらに古いものにこだわる必要はないのであって、古くても良いもの、古くても必要なものは放っといても残っていきます。先日書いた歌舞伎にしても古典落語にしても「保存会」なんてそもそも要らない。良いものはいっとき廃れても必ず見直されて、必要な範囲で現代社会の中で連綿と受け継がれていくと思います。

 イギリスといえばスコットランドが独立しそこなったのも先週のことでした。独立することがいいのかよくないのかなんて当の住民でもないので皆目分かりませんが、国民の意思の総意を最高の決定権限とし、国民投票によってその成否を問いました。きわめて民主的、科学的な手法やと思います。Scotland.jpg

 かたやアジアに目を向けると、おとなりの大国中国はかつて侵略したチベットや新疆をいまだに警察力=暴力で支配下において、弾圧を続けています。民族自決が基本の国際社会にあって他民族を武力で制圧・支配し、差別と格差を助長する中で中央政権にのみ都合のいい国家運営を続けているわけです。

 人権を著しく制限し、すべての正義は共産党にあるという妄想から脱却できない前近代的帝国主義国家が、地球上最大の人口をその支配下においているという悲劇があります。中華帝国の台頭は今世紀最大の脅威であり、民主国家は一丸となってこの強大な敵に立ち向かっていく必要があります。かつての冷戦のように軍備の増強によって対抗するのではなく、自由と民主主義という人類普遍の価値観を中国人民に浸透させ、腐敗した共産党支配層への盲信と国際社会の常識にあっては通用しない発想を適正に是正していく手法が求められているのです。

 北朝鮮にしても同じですよね。ただ、こちらは中国とちがって国家そのものが破たん寸前の状況です。気の毒なのは、人類が多くの苦難と苦渋を乗り越えて築き上げてきた現代社会の恩恵をまったく享受できずにいる多くの国民たちです。なんとかうまい手だてはないもんでしょか。

ジュゴンの秋

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IMG_2747.jpg マンションの入口脇の植え込みに鐘馗水仙が咲いてます。ヒガンバナのかたちでひとまわり大きくてきれいな黄色の花です。ヒガンバナと同じ種類らしく、お彼岸の今頃になっていきなり咲きました。故郷下市の田んぼの畦では真っ赤なヒガンバナが咲き誇っていることでしょう。

 そいや、いつの間にか季節はめぐり日に日に涼しくなってきました。もうしばらくすると秋の使者にして香木の王者キンモクセイの芳香が風に乗り、夕暮れの淋しさをさらに募らせていきます。河島英五が「この国が一番美しい燃える秋が訪れる」と唄った季節、秋本番となりました。

 うん、秋は良い。

 四季の移ろいを愛でる感性は日本人のDNAにしっかりと刻まれています。自然を畏れ、自然を愛し、慈しみ、美しい自然への感謝を忘れないことこそ、太古より八百万の神とともにあったわれわれ日本人の誇るべき伝統やと思います。

 八百万の神といえば、先日また伊勢方面に出かけてきました。昨年は式年遷宮イヤーということで珍しく伊勢神宮お参りしましたが、今年は単なる温泉旅行です。お伊勢さんは側を素通りしたんでバチがあたるかも知れません。ちなみに我が家は初詣した年にはあまり良いことがないというジンクスがあるので、神社参詣はお正月を避けてます。

 温泉大好き夫婦、私は秘湯派ですが奥さんは「部屋に露天風呂がついてないとイヤ」というトレンド志向です。昔はそんなことなくて山奥の鄙びた小っちゃい宿でも喜んで行ってたのに、いつの頃から「露天風呂付客室」の存在を知り、さらにそんなホテルや旅館がどんどん供給されてきて全然「特別室」扱いでもなくなってきました。とうとう奥さん「知らない人と同じお風呂に入るのはいや」とかわがまま言い出してからもう何年にもなります。

 最近はネットでもって温泉地や旅館探すわけですが、部屋の間取りからお風呂のかたち、料理の献立、アメニティの状況にいたるまで多くの情報を事前に吟味した上で宿を選ぶことができます。注意しないと「お部屋の露天風呂は天然温泉ではありません」なんて小さく書いてあるところもあるのです。IMG_2705.jpg

 おもえば結婚当初の20数年前、雑誌やガイドブックに載ってる旅館の一覧だけ見て電話で予約してたもんやから、それはそれは当たりはずれがありましたとも。急に思い立って出かけることが多かったので、旅行代理店はあまり使わなかったのです。現地までの道中にしても、昨今は電話番号さえ分かればナビが連れてってくれる。何とも便利になったもんです。

 ミキモト真珠島近くの郷土料理店「七越茶屋」さんで伊勢うどんと手こね寿司のセットをいただきました。昨年、神宮門前のおかげ横丁で特大天丼食べて夕食までに消化しきれずさんざバカにされたことを教訓とし、あっさりめで。それでも美味しいものを貪欲に求める姿勢には、いささかの陰りもありません。しかし、伊勢うどんってコシがまったくなくて、なんだかお団子食べてるような食感です。これは、う~ん…

 今回は「御宿ジ・アース」とゆう宿です。

IMG_2711.jpg 鳥羽市のはずれ、伊勢半島が太平洋にズンと突き出た先っちょにあります。海沿いに走る幹線道路からも遠く外れたそそり立つ崖の上に建ってて、まわりには海以外に何もない。宿へと続く一本道も切り拓いてから日が経っていない感じで、まだオープンして日が浅い様子。あとで聞くと、できて7年目やとか。どおりでキレイで現代風に凝った造りでした。

 近年、こういうコンセプトの宿が増えてきました。つまり、温泉宿というよりはスパ付きリゾート、といっても部屋数は極力少なく大浴場よりも部屋の露天風呂メイン。大浴場はありませんというところも出てきた。客室は和風フレーバーを残すものの基本洋風の佇まい。今回のジ・アースさんもまさにこのとおりのなんとも心地よい宿でした。

 あいにくとお天気が悪い。晴れていれば太平洋の彼方まで見渡せるはずが、朝から降り出した雨はだんだんと強くなり、ダイニングで夕食の頃には台風並みの猛嵐となりました。そいや去年のお伊勢参りも雨でした。やっぱりお参り省いたバチやろか。「明日は晴れそうですから日の出がキレイに見えますよ」と作務衣にエプロンつけたギャルソンからありがたいお言葉でした。

 しかし、いつもながら温泉浸かっては飲み、また浸かりしているうちに眠りこけてしまい、気が付けば翌朝、陽は高く昇っています。日の出はいずこよって。P9014974.jpg

 何十年ぶりかで訪れた鳥羽水族館、スケールでかくて楽しめました。ジュゴンやスナメリ見てると何とも癒されます。ちなみにコツメカワウソはいきものがかりの吉岡聖恵にそっくりやという噂は本当でした。

 いつも9月のはじめに短い夏休みをもらうことにしています。行楽地では忍び寄る秋の気配とともに子供たちの姿が一斉に消える。なもんで、いっけん中途半端な時期ですが何ともゆっくりできて非日常を味わうにはなかなかよろしいわけです。

 若かったころは、休み中に仕事のことを考えることなどついぞ無くて、それこそバッッケイションを堪能する原色の夏休みでした。ところが昨今、職場での責任が増すに連れてオン・オフの切り替えが下手になってます。これではいかん、いかんぞと思ってるあいだに今年の夏も去っていってしまいました。

 済んだことは仕方がない。季節を心底楽しむ日本人の矜持に恥じないよう、この国の美しい秋を堪能することといたしましょう。

IMG_2752.jpg 三連休中日、今朝もいいお天気です。

 先週末、東京に出張したところ、誘われて「東京湾納涼船」なるものを初めて体験しました。2時間ほどで東京港沖をくるっと一周する間、船上パーティーを楽しむという、ようは宴会を飲み屋さんではなくクルージングで行うわけです。

 大きな客船の各階とも若者たちで大変な混雑、デッキ上のステージではいろんなショーなどあり、酒がまわるほどに乗客は大いに盛り上がっていき、レインボーブリッジをくぐる頃には、船上は騒然となってきました。なるほど、こういう楽しみ方もあるのか。浴衣を着ている子が多い。聞くと、浴衣着ていくと飲み放題乗船料金がなんと1,000円割引になるんやとか。雰囲気を盛り上げるためでしょうな。いろいろ考えるもんです。

 で、一昨日帰ってきて昨日は早朝からゴルフ1ラウンドと。今日もお天気いいし出かけたいところですが、じゃっかん疲れが残ってます。体力気力の回復を待ち、お出かけは明日にして今日は休養日。昼間からビールを飲んでまったりと過ごすことといたしましょう。IMG_2782.jpg

 さて朝日新聞、とうとう白旗を掲げました。コーナーに追い詰められ連打を浴びてましたが、タオルが投げ込まれ完全TKOです。

 慰安婦捏造の「吉田証言」と福島原発の「吉田調書」。期せずしてよく似た名前の誤報騒動が一気に噴出し、ブレまくって迷走を繰り返してたところ、突然記者会見を行いました。社長が登場し、一連の問題に関して自らの責任を認めて謝罪し反省を表明しました。時間の問題ではありましたが、関係者の処分といい、社長の引責辞任といい、なるべくしてなったという結末です。

 謝りはしましたが、今回は吉田調書に関して全面的に非を認めた、そのついでに慰安婦問題についても謝罪したという感じです。そして、「それでも広い意味の強制性はあった」という姿勢は崩していません。敗者の最後のプライドと言えるでしょう。

IMG_2792.jpg もちろん、今回の謝罪は一連の問題を終わらせるものではありません。慰安婦誤報によってわが国の信用を貶め、国際世論を誤った方向に誘導したことを認め、世界中の誤解を解き日本の信頼を回復させるという、きわめて重い責任に、今後朝日新聞が対峙していくことを意味します。朝日のイバラの道が始まりました。とりあえず第三者機関による検証のための委員会を設置するみたいですけど、果たして朝日が今後再び読者の支持を得てかつてのように日本のクオリティペーパーの地位を回復する日がくるのか、それまでにいかほどの試練を耐えるのか、その覚悟が本当にあるのか、生涯朝日の一読者として、しっかりと見守っていきたいと思います。

 …と思っていたところ、今日の朝刊でまたまたお詫び記事が掲載されてるやないですか。吉田・吉田の話の続きかなと思ったらさにあらず、2年前に任天堂社長へのインタビュー記事を捏造してたらしい。それを週刊文春にかぎつけられたんで、こりゃやばいってことで慌てて謝罪記事掲載となったようです。

 文藝春秋、ここぞとばかりたたみかけてきます。見事な攻撃です。阪神タイガースも見習ってほしい。また朝日としては、吉田・吉田の一件で社長の辞任と経営陣の刷新は避けられない。どうせならこの際やから、その他の小っさい不祥事もついでに引き受けて辞めてってもらおということでしょうか。攻めるときはイケイケでも守りに弱いと言われてきた朝日、これはなかなかのいい戦術でしたね。

 メディアが読者・視聴者を味方につけることは簡単なことであって、その結果、主張の異なる相手を叩くことはお手のものです。メディアの強さであり、怖さであります。今回の朝日の全面敗北は単にわが国の保守対リベラリズムの対決ではなく、国益を損なっている事態の正常化に向けてのスタートとなりました。大きな代償を払ったわけですから、ひとり朝日の問題とせず、わが国のジャーナリズム全体が他山の石とし、真実の追求がいかに重大でまたいかに困難であるかを肝に銘じる契機としてもらいたいもんです。

 先日のエントリーで朝日新聞が「窮地に陥っている」と記しましたが、もはや窮地どころではなくコーナーに追い詰められてサンドバック状態で連打を浴びてます。

 おそらく想像以上の反響に驚いたのでしょう。朝日は28日、再度「慰安婦問題 核心は変わらず」とする記事を掲載したところ、これがまた火に油を注ぐ結果となりました。保守系メディアや週刊誌はここぞとばかりに攻勢をかけ、さらに勢いを増しつつあります。朝日を擁護する論調は現在のところ見当たりません。IMG_2742.jpg

 そのうち反撃があるやろと思ってたら、なんと今度は池上彰さんのコラム掲載拒否とその後の撤回と謝罪という騒動が起こりました。ブレまくってます。朝日は腐っても大新聞、自他ともに認めるわが国のクオリティペーパーやないですか。何らかの反論を期待してたのに、なんというお粗末さ。

 いったい何を考えているのかと思っていたところが、週刊文春の記事によると、朝日の社長は社内報で「関係者から応援をいただいている」とか「理不尽な反朝日キャンペーンには屈しない」なんて書いてるらしい。

 気は確かかと言いたい。「関係者」って誰よって話です。全国を席巻している批判、抗議を「理不尽」いうからには、国民が何に対して怒っているのかを認識していないか、わかってて開き直っているのかいずれかですけど、多分後者ですよね。

 先日も書いたように、国民が憤っているのは、朝日が間違いを認めながら謝らないからです。反省がないからです。一部朝日の記者さんたちが、わが社の対応はおかしいと実名でツィートしていますが、それこそが正常な精神のありようです。

 謝りたくない気持ちもわかるんです。すなわち、うかつに謝ると、慰安婦の強制連行に加担したと指弾された軍属とその遺族から名誉棄損の訴訟を提起されかねない。それはとてつもなく大規模なものになる可能性があります。莫大な損害賠償の金額もさることながら、大新聞がそんなスキャンダル抱えたらもうまともな商売はやっていけません。それこそ会社存続の危機となるでしょう。したがって、今はなんとか身を屈めて頭上の嵐が去るのを待つ戦法なのです。だけど、それでいいんですか。

 慰安婦の誤報は謝らないのに、池上さんの件は週刊誌にボロクソ書かれても反論せず、すぐに謝罪記事を掲載しました。また、朝日の対応を批判する読者の投書を複数掲載しました。慰安婦誤報に比べて対応の違いが目立ちます。こっちの方は謝っても別に大した損害がない、すぐに謝った方が得策と踏んだからでしょう。しかし、地に落ちた信頼の回復は容易ではないですよ。

 今でも「サンゴの朝日」なんて揶揄されてるように、朝日新聞は過去に何度かとんでもない誤報の不祥事をしでかしてます。その都度、誤報に至った状況をしっかりと検証し信頼回復に努めてきました。その結果、わが国の近代史において正統派政治批判勢力、良識的オピニオンリーダーとしての地位が揺らぐことはなく、リベラル知識層を中心に確固たる支持を得て今日にいたっています。

 先日も書いたように、私も朝日の一貫した護憲、リベラルを旨とする姿勢を支持するひとりで、過去「声」欄には6回投書して5回掲載してもらってるんです。わが国には朝日新聞が必要やと思ってます。それだけに、今の状況は慙愧に堪えない、どうかしっかりと対応してほしい。

 今回の誤報騒動は規模が大きく、与えた影響は過去の不祥事とはケタ違いです。本当に廃刊の危機ですよ。ブレてる場合ではありません。

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 ↑ 今週の朝日の広告です。週刊新潮の「売国」「誤報」の文字を伏字にして掲載してます。
   修正するくらいなら 載せんときゃええのに。
   一方、週刊文春の方の「捏造」という文字はそのまま載せてます。このあたりの基準もよくわかりません。
   ブレてます。

WELCOME

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PROFILE

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katsuhiko

男 

血はO型

奈良県出身大阪府在住のサラリーマン

生まれてから約半世紀たちました。

お休みの日は、野山を歩くことがあります。

雨の日と夜中はクラシック音楽聴いてます。

カラオケはアニソンから軍歌まで1000曲以上歌えます

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