温泉の最近のブログ記事
朝からしとしと雨が降ってます。今日から3月。これからは雨が上がるたびに暖かさが増していきます。
昨日はゴルフに出かけましたが、陽射しが暖かくて風もない中に身を置くと、確実に近づいている春を感じました。コンペではなく、もとよりスコアにはこだわらない気楽なラウンドで、緊張が高まる年度末に向けて鋭気を養ってきました。その心地よい疲れが残ってることもあり、今日は完全休養日を決めこんでひさびさに朝寝坊しましたようなわけです。
さて、先日、カニ食べに行ってきました。桜が咲くとその下で酒を飲みたくなるように、雪が降ってくるとカニを求めて日本海の海辺に大移動するように日本人のDNAは設計されています。
今回は私も本能に従って、北陸から山陰方面で手ごろな旅先を探しました。カニ+温泉となるとまず城崎温泉が思いつきますが、例によってうちの奥さんのご指示により部屋に温泉露天風呂がないとダメなわけです。城崎は外湯が充実してますが、部屋に露天温泉付の宿はありません。何か大人の事情があるみたいで、部屋に露天風呂がある旅館はあってもなぜかすべて温泉ではないのです。これでは意味がない。
そうすっとやっぱりこの時期どこも混雑していて、なかなか空いてないなあとか思いつつ探しててふと目についたのが「夕陽ケ浦」という温泉地でした。京都府日本海岸の天橋立と城崎温泉の真ん中あたりにあります。知らなかった。調べてみると割と最近温泉が湧いて、昭和の終わりにできた新しい温泉地みたい。数百年の歴史がある木津温泉が近くにあり最寄り駅は北近畿タンゴ鉄道の木津温泉駅ですが、木津温泉とは直接関係はないそうです。新しそやし、まあいいかと思って空いてた一軒の宿に予約を入れ行ってみることにしました。
近場でもあり、普通なら間違いなくクルマで行く距離ですが、冬タイヤは持ってない。一度真冬に信州の温泉地に出かけたところ、雪中でのチェーンの着脱に慣れておらず疲労困ぱいした思い出があり、以来冬場の温泉はクルマを避けてます。列車やと機動力は確実に落ちますが、行き帰りの車中でビールと駅弁という楽しみが増えます。久々の列車の旅といたしました。
大阪から特急こうのとり号、はしだて号を乗り継いで、なんとも鄙びた木津温泉駅とうちゃく。迎車でお宿に向かいました。部屋のつくりは昭和の香り漂うよくあるタイプの客室で、現代風とは言えない。部屋の露天温泉は完備していますが内湯がないので、かなり不便。昭和の旅館ではありますが館内に売店がないなど、何か中途半端な感じがしました。しかしまあ満足できる範疇でありましょう。わが家のようなわがままな湯治客が増えてきて、お宿もなにかと大変やと思います。誤算は、雪見酒と雪見温泉を求めて行ったのに積雪がまったくなかったこと。これならクルマで来てもよかったわけですが、お天気だけは如何ともしようがありません。
肝心のカニは、よかった。わが家は二人とも量がこなせないのでそんなにボリュームは必要ない。その分クオリティを上げてほしい方ですが、今回は量、質ともに十分で、ひさびさにカニ三昧を堪能いたしました。
古来、日本人は食べることに何とも貪欲です。和食が世界文化遺産に登録されたように、何か美味しいものはないかと探し続けてきた食いしん坊の歴史を連綿と紡いできました。よくナマコやウニを最初に食べた人の勇気のことが言われますが、カニを最初に食べた人もたいがい大胆やったと思います。おかげさまで現代人はその美味を堪能することができるわけで、何ともありがたいことです。食の分野でも先人の苦労と業績を蔑ろにはできません。
マンションの入口脇の植え込みに鐘馗水仙が咲いてます。ヒガンバナのかたちでひとまわり大きくてきれいな黄色の花です。ヒガンバナと同じ種類らしく、お彼岸の今頃になっていきなり咲きました。故郷下市の田んぼの畦では真っ赤なヒガンバナが咲き誇っていることでしょう。
そいや、いつの間にか季節はめぐり日に日に涼しくなってきました。もうしばらくすると秋の使者にして香木の王者キンモクセイの芳香が風に乗り、夕暮れの淋しさをさらに募らせていきます。河島英五が「この国が一番美しい燃える秋が訪れる」と唄った季節、秋本番となりました。
うん、秋は良い。
四季の移ろいを愛でる感性は日本人のDNAにしっかりと刻まれています。自然を畏れ、自然を愛し、慈しみ、美しい自然への感謝を忘れないことこそ、太古より八百万の神とともにあったわれわれ日本人の誇るべき伝統やと思います。
八百万の神といえば、先日また伊勢方面に出かけてきました。昨年は式年遷宮イヤーということで珍しく伊勢神宮お参りしましたが、今年は単なる温泉旅行です。お伊勢さんは側を素通りしたんでバチがあたるかも知れません。ちなみに我が家は初詣した年にはあまり良いことがないというジンクスがあるので、神社参詣はお正月を避けてます。
温泉大好き夫婦、私は秘湯派ですが奥さんは「部屋に露天風呂がついてないとイヤ」というトレンド志向です。昔はそんなことなくて山奥の鄙びた小っちゃい宿でも喜んで行ってたのに、いつの頃から「露天風呂付客室」の存在を知り、さらにそんなホテルや旅館がどんどん供給されてきて全然「特別室」扱いでもなくなってきました。とうとう奥さん「知らない人と同じお風呂に入るのはいや」とかわがまま言い出してからもう何年にもなります。
最近はネットでもって温泉地や旅館探すわけですが、部屋の間取りからお風呂のかたち、料理の献立、アメニティの状況にいたるまで多くの情報を事前に吟味した上で宿を選ぶことができます。注意しないと「お部屋の露天風呂は天然温泉ではありません」なんて小さく書いてあるところもあるのです。
おもえば結婚当初の20数年前、雑誌やガイドブックに載ってる旅館の一覧だけ見て電話で予約してたもんやから、それはそれは当たりはずれがありましたとも。急に思い立って出かけることが多かったので、旅行代理店はあまり使わなかったのです。現地までの道中にしても、昨今は電話番号さえ分かればナビが連れてってくれる。何とも便利になったもんです。
ミキモト真珠島近くの郷土料理店「七越茶屋」さんで伊勢うどんと手こね寿司のセットをいただきました。昨年、神宮門前のおかげ横丁で特大天丼食べて夕食までに消化しきれずさんざバカにされたことを教訓とし、あっさりめで。それでも美味しいものを貪欲に求める姿勢には、いささかの陰りもありません。しかし、伊勢うどんってコシがまったくなくて、なんだかお団子食べてるような食感です。これは、う~ん…
今回は「御宿ジ・アース」とゆう宿です。
鳥羽市のはずれ、伊勢半島が太平洋にズンと突き出た先っちょにあります。海沿いに走る幹線道路からも遠く外れたそそり立つ崖の上に建ってて、まわりには海以外に何もない。宿へと続く一本道も切り拓いてから日が経っていない感じで、まだオープンして日が浅い様子。あとで聞くと、できて7年目やとか。どおりでキレイで現代風に凝った造りでした。
近年、こういうコンセプトの宿が増えてきました。つまり、温泉宿というよりはスパ付きリゾート、といっても部屋数は極力少なく大浴場よりも部屋の露天風呂メイン。大浴場はありませんというところも出てきた。客室は和風フレーバーを残すものの基本洋風の佇まい。今回のジ・アースさんもまさにこのとおりのなんとも心地よい宿でした。
あいにくとお天気が悪い。晴れていれば太平洋の彼方まで見渡せるはずが、朝から降り出した雨はだんだんと強くなり、ダイニングで夕食の頃には台風並みの猛嵐となりました。そいや去年のお伊勢参りも雨でした。やっぱりお参り省いたバチやろか。「明日は晴れそうですから日の出がキレイに見えますよ」と作務衣にエプロンつけたギャルソンからありがたいお言葉でした。
しかし、いつもながら温泉浸かっては飲み、また浸かりしているうちに眠りこけてしまい、気が付けば翌朝、陽は高く昇っています。日の出はいずこよって。
何十年ぶりかで訪れた鳥羽水族館、スケールでかくて楽しめました。ジュゴンやスナメリ見てると何とも癒されます。ちなみにコツメカワウソはいきものがかりの吉岡聖恵にそっくりやという噂は本当でした。
いつも9月のはじめに短い夏休みをもらうことにしています。行楽地では忍び寄る秋の気配とともに子供たちの姿が一斉に消える。なもんで、いっけん中途半端な時期ですが何ともゆっくりできて非日常を味わうにはなかなかよろしいわけです。
若かったころは、休み中に仕事のことを考えることなどついぞ無くて、それこそバッッケイションを堪能する原色の夏休みでした。ところが昨今、職場での責任が増すに連れてオン・オフの切り替えが下手になってます。これではいかん、いかんぞと思ってるあいだに今年の夏も去っていってしまいました。
済んだことは仕方がない。季節を心底楽しむ日本人の矜持に恥じないよう、この国の美しい秋を堪能することといたしましょう。
先日、いつも世話になっている親しい友人の父上が亡くなられ、弔問のために帰省しました。
いつもクルマなのですが、この日は電車にしました。途中にたちよる訪問先が駐車しにくく、前後の動きを考えて時間的にもあまり変わらないことなどから電車を選んだのです。
ふるさとは奈良県吉野郡下市町といいます。県南部の山峡の町で、最寄り駅は「下市口」という近鉄吉野線というローカル線の駅です。住んでる大阪からわりと近いこともあり、年に何度も帰省します。しかし、電車でというのはめっきり少なくなり、久しぶりにこの駅に降り立つとなんとも懐かしい思いが募りました。
下市口駅は、大峰山や天川村といった奥吉野地域に向かう玄関口としてかつては大いに賑わってました。下市の隣町の大淀町に立地しながら「下市口」という駅名であることが、できた当時の状況を今に伝えています。今や両町の勢いは完全に逆転していますが、駅名は変わらないままです。
この駅、地域産業の衰退による人口減少に伴って利用者が急激に減り、すっかり寂しくなってしまいました。駅前広場にあった土産店なども次々に姿を消し、発着するバスも減りました。
田舎育ちの私にとって、幼いころから通学その他出かけるときには必ず利用してた行動の拠点であり、幼少の頃には駅前の商店街の喧騒に胸ときめいたものでした。しかし、久々に訪れてみると駅舎は変わらないものの、人影がめっきりと減り、商店街も多くの店がシャッターを下ろしています。人口の激減に加えて自動車の普及と郊外型大型店舗の攻勢によってすっかり衰退したのです。
この日乗った近鉄電車の車内も、途中、橿原神宮前までの南大阪線の区間はそこそこ乗客がいたのですが、吉野線に入るとガラガラとなり、まさに空気を運んでいる状態でした。吉野線区間だけやとおそらく赤字なんやないでしょうか。もっとも、春の花見の時期には壮絶な混雑となって臨時列車も走るそうなんで、よくあるように「切り離すから自治体で面倒みてよ」という事態にはならないでしょうけど。
思い起こせば高校時代、朝の通学時には満員やけど、それ以外の時間帯はとても空いてました。しかも単線で利用者が多い時間でも運行本数増やせないもんやから1本乗り遅れるとその日は遅刻決定、駅までは必死で自転車漕いだもんです。
まだ、そこそこの利用者があり吉野地域の観光産業もあることから、当分は存続しそうですが、将来的にはどうなるか予断を許しません。もしこの鉄路が断たれるようなことがあると、わがふるさとは壊滅的な打撃を受けます。なんとか利用者が増えていってほしいもんです。
ところが、そう思いながら結局この日も帰りには友人に駅までクルマで送ってもらい、取り込み中のお宅に迷惑をかける結果となりました。やっぱり、クルマで行けばよかった。
つまり、田舎では電車の利用が減っていくのです。う~ん。