暑い暑いがいったいいつまで続くのかとぶつぶつ言いながら、家を出て駅に向かういつもの道を歩いてて思ったこと。
住んでいるマンション買ったのが阪神淡路の年でしたから、なんと30年経ちました。振り返ってみてそんなに長いあいだこの道を通って通勤してきたのかとあらためて思ったわけですよ。といっても、クルマで通ってた時期もわりとあってですね、まるまる30年というわけでもないのですが、それでもまあ、長い。小学校に6年、中学校3年、高校3年の通学時代と比べて、社会人になってからの時が過ぎ行く速度のまあ速いこと。
最短経路で家と駅の往復を繰り返します。いきつけの医者とかコンビニとかに寄り道することはあれど、ほぼ毎日通る道は決まってます。だから、この道のことならなんでも知ってます。道沿いのどこの家が増改築したということも、掲示板のポスターが替わったことも、昨日無かったところにタンポポが咲いたこともつぶさに把握してます。文字通り、この「道」のスペシャリストです。
しかし、経路の途中で横に曲がった道、つまり最短経路から少しでも逸れた道は全く知らない。30年間一度も通ったことがない道があります。てか、そんな道の方がはるかに多いのです。
子どもの頃は、家があった界隈の半径何キロの道はすべて制覇していました。通学路であろうがなかろうが、そこに道があれば必ず通ったことがあり、地図で辿るとその地点の風景が必ず思い出せます。学校から帰ってきてカバンを家に放り込んだらそのまま遊びに出かけて、もっぱら外で遊んでいました。今のようにゲーム機なんか無いし、ましてやひとり一台持って、誰かの家に集まってピコピコとゲームに興じるなんてことはなく、遊びと言えばもっぱら、野球を筆頭に屋外で走り回ってました。だから、行けるところは冒険し尽くしてて、知らない道は無くなったわけです。それどころか、道なき道や秘密の抜け穴もほぼ把握して、野山を縦横無尽に駆け巡ってました。中原中也の「僕の後ろに道はできる」状態でした。
それが長じるにつれて、通らない道が増えてきた。そもそも、育った吉野の山あいの町と大阪都市圏の道の密度、総延長が違うということはあるでしょう。それにしても今の家の近所に限っても知らない道が多いということは、行動半径が広くなるにつれてもっぱら必要な道以外は利用経路から切り捨ててきた結果です。
私もあと数年でリタイヤし、毎日決まった時刻に決まったところへと移動する生活様式が大きく変化する可能性があります。そうなるとこんどは子どもの頃へと返って、近所の歩ける範囲の道という道を制覇する冒険に出かけることになるのでしょうか。
暑いうちは、やめとこ。
わたくしも還暦を過ぎて、熟年世代の自覚に苛まれるお年頃となりました。昭和の頃、60歳といえばもう仕事はリタイアして老境に足を踏み入れ、第二の人生を模索する区切りとされてました。しかし現代にあっては


わたしは純粋文系人間で、子どものころから学生時代をとおして理数系はほんに苦手でした。理系クラスの友人たちを尊崇のまなざしでもって見ていたもんです。長じて、ロマンに満ちた深淵な宇宙の姿に思いを馳せようとしても、数学や物理学の基礎が身についてないので一定の線を超えるとそこから先は理解できません。これはとても残念なことです。もう少し勉強しとけばよかったといつも思います。
当時わが家では、お米は近所のお米屋さんでビールといっしょに配達してもらってました。ある日の夜、その店の大将が突然「配達でーす」とジュースのダンボール箱を抱えて現れました。うちはビールしか飲まんこと知ってるやろに、おやじ何をトチ狂ったかと思ったところ、箱の中にはなんと流通が絶えた貴重なコシヒカリ5kgの袋が。注文もしていないのに、日ごろのご愛顧にお応えして優先してお持ちしましたというではありませんか。嬉しかったわー。今みたいにスーパーや量販店で買ってたらこんな恩恵はまずありません。平成のはじめ、良き時代の風景でした。
欧米では、ライスは肉や魚の付け合わせ野菜に過ぎませんが、わが日本では堂々たる主食です。花といえば桜のことを指すように、ごはんといえば米飯のことです。パンやパスタがこれだけ普及してもお米の地位は絶対に揺るぎません。
お試しをということで、「ブック放題」というサブスクをちょっとやってみました。