先日のこと、阪神タイガースの日本シリーズ敗退で打ちひしがれてたら、母から「阪神、今年は準優勝やったな」と電話があり、それってなんかちょっと違うような当たってるような、妙な感じに苛まれました。一方、大谷選手はじめ日本人選手の活躍によって日本でもメジャーのワールドシリーズへの関心が高まり、NHKも地上波で中継する中で、第7戦の激闘で興奮は最高潮に達しました。結果、ドジャースの2連覇となり、傷心のわれわれ阪神ファンも少しく元気をもらえました。日本のファンが、メジャーの試合をこれほど熱狂的に観戦したのはおそらく初めてではないでしょか。
そんな熱狂の陰で、もう半月ほど前になりますが、村山富市氏の訃報が伝わりました。享年101歳。1994年といいますから30年以上前、いわゆる「自社さ」連立内閣において首相を務めた、かつての日本社会党の党首です。当時、自民党と社会党の連立政権誕生にはおったまげました。何かというと対立し、なんでも反対してた社会党が自民党と与するとは、政治の世界はなんでもありかと複雑な思いがしたもんです。
そしてこの連立が、その後の社会党のジェットコースターのごとき凋落につながったわけです。いまや社会党の末裔である社会民主党所属の国会議員は衆議院に1人、参議院に2人。その唯一の衆議院議員のなんとかいう人が「離党する」と言いだしてて、党首の福島瑞穂は「認めない。除名もしない」とわけわからんことを言ってます。辞めたいのに辞めさせないなんてブラック企業かよ。退職代行サービスの出番かも知れません。
福島の錯乱ぶり、わからんでもない。社民党は去年の参議院議員選挙では比例区でタレント候補を擁立したことで得票率がかろうじて2%を超え政党要件を満たしましたが、もはや風前の灯です。衆議院議員ゼロとなれば、少なくとも国政レベルでは政党としての活動はできません。いずれくる解散総選挙の結果次第では政党要件を満たさないことが想定されます。そうなると、政党助成金は貰えない、選挙で政権放送もできない、企業・団体からの政治献金ももらえないなど、党としての活動が不可能となり、悪循環で党勢はさらに減衰します。必然的に廃党、解散となり社民党を名乗って立候補しても「諸派」という扱いになります。
福島は社民党があればこそその党首という肩書があって、いちおうメディアから意見を聞いてもらえるし、テレビにも映ることができます。しかし、党が無くなればそれまでです。かつての社会党議員みたいに立憲その他野党に拾ってもらえればいいけど、これまでの数々の斜め上の主張や意味不明パフォが災いし、どの政党も敬遠するでしょう。福島は選挙区で選ばれたことがなく比例区で当選した議員です。社民党という政党があればこそ議員になれてたわけで、無所属では比例区出られない。選挙区での当選はありえない。なにしろ得票率2%、供託金没収レベルです。だから党勢の衰退につながる衆議院の議席消滅を避けるために、ヒステリックに「離党認めない」となるわけです。
かつて日本社会党は、社会民主主義の実現を党是とし、大資本に支持された自民党に屹然と対峙しました。労働者の権利を守り、徹底した反戦平和の実現を掲げたその主張は、労働組合をはじめ「持たざる国民」から一定の強固な支持を集めていました。55年体制の中で、国力の増強のために疾走する自民党政治を冷静に批判する党の姿勢は「なんでも反対党」と揶揄されながらも、ある意味、現代日本の政治における良心を感じさせるものでした。
しかし、冷戦が終結し、人類の壮大な実験であった共産主義・社会主義が失敗に終わり、国際社会の急激な変化の中で中国や北鮮の野望が顕在化しても、社会党は百年一日のごとき「頭の中お花畑集団」のままでした。北鮮による拉致疑惑に際しては一貫して北の主張に与し、被害者救出を遅らせる一因にもなりました。企業労働組合の衰退とあいまって、社会民主党と名前を変えたところですでにオワコンと化し、今や完全にその使命を終えました。
その社会党の苦難の歴史の中で、村山さんは党トップの委員長として重要な役割を果たし、最後には自民党との連立で党の歴史に自ら幕を引きました。事実上の最後の党首であったといえるでしょう。
そんな村山さん、私はひとつだけ思い出があってですね、もう10年以上前ですが、仕事の関係で大分であったある人のお葬式に出かけた際に、式場内最前列中央に座ってたのが村山さんでした。わたしそのすぐ斜め後ろに席に座ってたんですけど、驚いたことにあのトレードマークの巨大な眉毛は斜め後ろからでも見えるのです。いったいどれだけ長いんやと、お式の間、あきずにずっと眺めてたことを覚えています。改めてご冥福をお祈りします。

なぜ、わたしにとってこの裁判が思い出かというと、実は学生時代に家永先生の授業を受講してたからです。先生は東京教育大学を定年退官したのち中央大学法学部の教授に転任し、もちろん法律関係の授業ではなく一般教養の史学を教えたはりました。んで、その頃にちょうど、若き日のわたしも在学してたと。
気が付けば今年も自宅マンションの植え込みに鍾馗水仙が顔を出しました。
当時の野球協約では、ドラフト指名権は翌年のドラフト会議の2日前まで効力を有しました。つまり会議前日の1日だけはどこの球団にも優先的交渉権がないことになります。ここに目を付けた悪党読売と江川が、ドラフト会議前日に「江川は読売と交渉して、今日入団に合意した」と発表したのです。さあたいへん。 

リーの人気は凄まじく、社会現象となりました。当時から今に至るまでブルース・リーの活躍は、小柄なアジア人リーの欧米人や軍国主義日本に対抗する反骨精神の現れであって...などともっともらしく評されますが、当時のわたしを含めたファンは、そんな理屈などこっから先も考えてませんでした。とにかく強い。カンフーアクションがカッコいい。これまでに無かった新しい、超クールなヒーローの肉体の躍動に心酔していってたのです。