式辞と五賢帝

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 早いもんで弥生三月、卒業式シーズンが始まり、さっそく昨日、高等学校の卒業式に出席しました。

 入学式、卒業式というと当事者である学生・生徒、保護者の皆さんはそう何度も参列することはないわけですが、わたしは学園関係者・来賓として、毎年春の時期には学園で挙行されるたくさんの式に出させてもらってます。卒業式は、学校のもっとも重要なセレモニーであり、主役の生徒にとっても3年間の高校生活成就のけじめとして、その人生においても思い出に残る大切な日となることは、いつの世も変わりません。

 今年も校長先生の式辞がよかった。IMG_2072.jpg

 卒業生の中にひとり、入学時から足が不自由で3年間車椅子で通った生徒がいます。なんと彼は一日も休むことなく出席を続け、式の中で皆勤賞の表彰を受けたうちのひとりでした。校長先生は式辞の中でそんな彼のことと、同様に一日も休むことなく彼の車椅子を押して送迎したお母さんのことを紹介し、彼のがんばりを讃えお母さんの苦労をねぎらいました。彼の卒業をこころから祝福し、また、その将来に幸多かれと祈らざるをえません。

 私自身の卒業式も、小・中・高と3回あったはずです。大学も間違いなく卒業したのですが、事情あって卒業式には出席しませんでした。

 その3回の式典でも、昨日同様に校長先生の式辞があり、巣立ちのハナムケとして感動的なお話を聞かせてもらったはずですが・・・覚えてない。もし今聞いたならきっと薀蓄に富んだすばらしい話として昨日同様に感動して心に残ったものであったろうと思いますが、結局身につかなかったわけです。もっとちゃんと聞いとけばよかった。式辞に限らず、自分にとって価値のある知恵や情報を吸収するチャンスが限りなくあったのに、そのほとんどをスルーしてきたことをあらためて思います。これが人生というものか。

 似たような話。先日、高校の日常の授業を見学するというある企画で寄せてもらったのが日本史の授業でした。室町時代でしたが、先生の話、とても面白い。興味深い。教室の後に座ってフンフンと楽しく聞いているうちあっという間に時間が過ぎていきました。ところが生徒たちはと見ると、熱心にノートをとっている子もいますが、大半は苦行に耐えているといった様子で寝落ち寸前。中には耐えきれず机に突っ伏して討ち死にする子もチラホラとでています。すると先生は、そばを通ったときに教科書でツンツン突きながら淡々と授業を進めていくのです。

 せっかくの、こんな面白い話をなぜちゃんと聞こうとしないのかと思いつつ、自分も高校生時代こんなやったよなぁ、と気がついた次第です。IMG_2064.jpg

 学生時代、特に中学・高校の授業は受験に特化した知識の詰め込みが多いことは否めません。高校時代の友人と飲むときに「俺、今でもスマトラ島の油田の名前、北から順に言えるよ」と言えば友人は「私なんか、ローマの五賢帝言えるもんね~」

 これまでの、またこれからの人生で果たして何の役に立つのかという話です。

 知識そのものに大して意味はなくても、学力を鍛えるツールと割り切って覚えるしかなかったあの頃。脳内から無駄な記憶を一掃できれば、その空いたスペースでもっと大切なことが覚えられてたかも、なんて思う今日この頃です。油田の名前を生涯忘れない私と、車椅子で皆勤通した彼、比較する必要もないのですが、「教育の成果とは」ということを考えてしまいました。

 そうそう、無駄な知識といえば、先月受検した「奈良まほろばソムリエ検定1級」合格通知来ましたよ。自己採点ピッタシ100満点の75点でした。これこそ「何の役に立つの?」の極みですが、知識欲を満たす趣味の領域として、これはこれでいいのです。友人たちからお褒めいただいたこともあり、調子にのってソムリエ取得を目指すこととします。

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katsuhiko

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奈良県出身大阪府在住のサラリーマン

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