八ヶ岳の麓、小海線沿いにある松原湖という湖で「フィンランドの夏祭り」開催中という記事に目が止まりました。小淵沢から小諸に至るJR小海線、さっこんは八ヶ岳高原線という愛称で呼ばれるそうですが、昔から好きな路線でこのブログでも何回かふれてます。今日はそっちではなくて、フィンランドのこと書きます。
北欧の美しき国、日本からは遠く距離を隔てているにもかかわらず、親しみと憧れを抱く日本人が多い。なぜか。
理由はいっぱいあります。まず、人口550万人といういわば小国であるにもかかわらず一人当たりのGDPが大きい豊かな国であり、特に社会保障制度と教育インフラの水準は世界最高レベルで、結果として国民の幸福度がひじょうに高い国であるということ。有名な「東郷ビール」の例もあるように、欧州の中では比較的親日国として知られていること。オーロラが普通に見られて、サンタさんも住んでいること。どこのおうちにもサウナがあること。固有の領土をロシアに不法占拠されているという境遇が北方領土を抱えるわが国と似ていること。「森と湖の国」というキャッチコピーが日本人の琴線に触れること。
フィンランド関係ないですが、かつてブルー・コメッツの「ブルーシャトー」とゆう歌がヒットしました。今あらためて聞くと、森ん中にある青いお城で薔薇のにおいにむせて泣いてる女がいるとか、全くわけの分からん歌なのですが、「白馬に乗った王子様」同様に西洋に憧れる日本人の情緒にうったえるところがあったのでしょう。
そんなフィンランド、わたくしは個人的に特に親近感があるのです。海外渡航の経験が少ない中で、訪れたことがある国のひとつやということ。幼少時より好きなムーミンのふるさとであるということ。
そして、学生時代にいた合唱団でシベリウスの「フィンランディア」を歌ったことです。
交響詩「フィンランディア」は19世紀の終り頃、ロシアの支配下にあって圧政に苦しむフィンランドの国民の士気を高め、独立運動の後押しをしたとされる名曲です。帝政ロシア政府はこの曲を演奏禁止処分にしました。その後も現代にいたるまでフィンランドはソ連、ロシアから繰り返し言いがかりといやがらせを受け続けており、何度も国家存続の危機に瀕したのですが、そんなときフィンランド国民を奮い立たせてきたのが「フィンランディア」でした。第二次大戦の時期には歌詞がつけられ、シベリウス本人が合唱用に編曲しました。フィンランドでは現在も国歌に次ぐ第二の国歌として大切にされています。
Oi, Suomi, katso, sinun paivas' koittaa,
Yon uhka karkoitettu on jo pois,
Ja aamun kiuru kirkkaudessa soittaa,
Kuin itse taivahan kansi sois'.
Yon vallat aamun valkeus jo voittaa,
Sun paivas' koittaa, oi synnyinmaa.
おお、スオミ 汝の夜は明け行く
闇夜の脅威は消え去り
輝ける朝にヒバリは歌う
それはまさに天空の歌
夜の力は朝の光にかき消され
汝は夜明けを迎える 祖国よ
Suomi とはフィンランド人が言うところのフィンランドそのもののことで、日本人がJAPANのことをニッポンと呼ぶのと同じです。
学生当時の私はその美しいメロディーを「ええやん」と思いはしたものの、フィンランドの苦難の歴史など深く知ることもなく、ただ歌っていました。その後縁あって仕事でかの国を訪れた際に懐かしく思い出したというわけです。ムーミン谷博物館に行ったところが閉館時刻過ぎてて入れず泣く泣く引き上げたことは、かなり前に書きました。
フィンランドは、大国ロシアの横暴に健気に対抗しつつ、権謀術数うずまく国際情勢の中にあって絶妙なバランス感覚で独自の発展を遂げました。国民の本当の豊かさを追求してきた結果が幸福度世界ナンバーワンの実績に結実しています。戦後の世界は、特に日本にあっては、米国の大きな影響下で国づくりを行ってきました。結果として現代の繁栄をもたらしてはきたものの、その代償として少子高齢化など負の遺産もまた積み上げてきました。将来を見据えるとき日本は、米中のように覇権を狙う大国を模範としてそのミニチュア版を目指すのではなく、フィンランドをこそお手本として国民の幸せが増していく社会を作っていくべきやと思います。