将棋の羽生さんと囲碁の井山さんに国民栄誉賞を同時に授与することになったそうです。
羽生さんは史上初の永世七冠、井山さんは史上初の七冠というその世界では前人未到の快挙を達成したということで、受賞は誰しも納得といったところです。
この国民栄誉賞は授与の基準が曖昧で時の政権が恣意的に人気取りに利用しているなんて批判が言われてきました。政治が滞って世の中の雰囲気が暗くなったときに、パッと明るい話題を作って少しでも政権批判の矛先をかわそうという思惑が見え隠れするというわけです。だからといって別に時の内閣の人気が上がるわけでもないんですけどね。
今しも日本では、極悪犯罪国家北朝鮮からのミサイル攻撃に晒されるという、かつてない事態に直面しています。にもかかわらず国会ではその対策を真剣に論じようとせず、ボンクラ野党が相変わらずモリ・カケを叫び続けるお粗末な有様で、政府も政府で、いつまでもそんな野党のたわごとに付き合い、国の安全保障をはじめとして年金・教育といった懸案の重要施策に有効な活路を見い出せずにいます。
もう少し待てば冬季オリンピックが始まって、日本選手のメダルラッシュでもあれば、一気に明るくなって景気もよくなると思っていたところが、ロシアがドーピング問題で参加しなくなったし、それよりもそもそも分断国家の紛争休戦ライン近くで、オリンピックなんかホントにやれるんやろか?と、開催が近づくにつれて世界中の人々が懸念し始めました。北朝鮮が国境すぐそばの会場狙ってミサイルを撃ってこないと、いったい誰が言えるでしょうか。つまりは、日本国内でも不安と失望が広がりつつあるのです。
そんな中で、なんとか社会の雰囲気を盛り上げたいと思った政府が「そや、国民栄誉賞や!羽生(ハニュウ)がだめなら羽生(ハブ)でいこ。んで将棋のついでに囲碁でもほらこないだなんかおったやんか」というわけで今回のニコイチ受賞の運びとなったわけですね、きっと。
さて、この国民栄誉賞、今回は納得の受賞ですが、基準が曖昧なんで過去には「なんで?」というケースがままありました。漫画なら長谷川町子よりも手塚治虫やろとか、寅さんがもらって高倉健や三船敏郎にはなんでないのとか。
また、ノーベル賞は死んじゃった人はもらえませんが、国民栄誉賞は没後受賞が非常に多い。本人の意向を無視した後の祭りやから「政府の人気取り」なんてことが言われるのです。国民の声をしっかり把握して、資格アリという人には元気なうちに授与してほしいもんです。
ちなみに野球界では、ホームラン世界記録の王さん、連続出場世界記録の衣笠さんがもらってるのに、なぜに盗塁世界記録の福本豊さんがもらえないのかがかつて話題になりました。当時「パ・リーグやったから」なんて冗談が言われましたが、実は政府は打診したのに福本さんが断ったらしい。曰く「そんなんもろたら、立ちションもでけへんようになる」
実に福本さんらしくて、よい。
実際のところは「記録だけやなくて、王さんのように野球人として本当に国民皆から愛される人でないといけない」と思って辞退したんやとか。
こんな人にこそ、国民栄誉賞あげるべしと思います。
判決いわく、テレビが家にあれば受信料を支払わなければならない。これは知る権利に応える公共放送を支えるため、なんですと。
NHKはスクランブル化しない理由について、公式サイトで次のように説明しています。

その神聖さと日本人が共有できる有益性を有するがゆえに、日本相撲協会は公益財団法人という法人格を取得しています。公益法人でありながらプロ選手を多数かかえ、営利目的の興行を全国規模で開催しているのです。こんな団体ほかにありません。その長い歴史と有益性によって農耕民族日本人の総意として「お相撲ならまあいいか」という認識ができ上がっているからです。
最初、国民投票で独立賛成派が90%を占めたとか聞いたんで、そんなら独立したらええやんと素直に思ったところ、どうもそんなに単純な話でもないらしい。
昔の夕暮れ時は現代よりもはるかに暗くて、黄昏(たそがれ)どきは「誰そ彼」どき、つまり夕闇にまぎれて誰だか分からなくなる時間帯という意味で、これに対して明け方の暗さを同様に「彼は誰(かわたれ)」どきと言います。美しい日本語です。しかし、そんな風に暗くて辺りが見えにくくなる頃合いには魔性のものが現れるという意味で「逢魔が刻(おうまがとき)」ともいうそうです。昔の人は、夕暮れには単に淋しいのみならず、神秘的な風情をも感じていたわけです。