過ち疾く謝るべし

| コメント(0) | トラックバック(0)

 すっかり春めいてまいりました。職場となりの公園でも桜が咲き始めました。全国的にコロナのまん防が解除されましたが、今年は3年ぶりに花見が復活するのでしょうか。クラスターからの第7波到来とならないことを祈ります。

 さて、プロ野球も公式戦が始まり球春たけなわの今日の話、甲子園のセンバツ高校野球で、審判団が誤審を認め謝ったことが賞賛されてます。送りバントを球審がフェアと判定したのに二塁の塁審がファールのゼスチャーしたもんやから、1塁走者が走塁を止めてアウトになったというプレーでした。プロ野球でも高校野球でも審判が誤審を認めることは極めて異例です。審判は神聖にして侵すべからず、私がルールブックです、私の言うことは絶対ですというのが常識でした。プロ野球でビデオ判定が導入されるまで、スローVTRで明らかに誤審と分かる場合でも、いったん下した判定を変えることは絶対にありませんでした。かなり以前、甲子園大会で、ワンバウンドしてスタンドインした打球がホームランと判定されたことがありました。選手も観客も視聴者も啞然、しかし判定は覆らず幻のホームランならぬ超ラッキーの棚ぼたホームランとなりました。この頃は白いものでも審判が黒といえば黒やったのです。誤審した塁審が「フェンスが白くて見にくかった」と言い訳したせいで、フェンスに掲げられていた歴代優勝校を書いた白いボードがそれ以降すべて撤去されたことはとんだとばっちりでした。

2022senbatsu.jpg それが、今大会ではあっさりと即座に「間違いました。すんません」と謝罪し、送りバント成功としてランナー2塁で試合を再開しました。場内拍手喝采。これは審判団の潔さに対する賞賛です。今やプロ野球でもビデオ判定で判定が覆ることもしょっちゅうです。審判も人の子、間違うこともありますよ、というごく簡単なことに気づくのがちょっと遅かったかなと思います。

 子曰、過而不改、是謂過矣。(子いわく過ちて改めざるこれを過ちという)

 論語の中でも有名な言葉です。人間はそもそも間違う生き物で、間違うことは別に恥でもなければ名折れでもありません。問題は間違ったそのあとにどう対応するか。これに尽きます。自分自身で完結し周りになんの影響も与えないのであれば、即刻間違いを認めて改めることになんら躊躇はありません。忘れ物したら取りに戻ればいいし、キーボードの入力ミスはすぐに修正すればいいわけで、誰でもそうするでしょう。

 しかし、自分の間違いによって他者に何らかの影響を与える場合はやっかいです。謝罪を求められる場合などは往々にして「間違いを認めない」で済む可能性を探ろうとするのです。世の中、これが実に多い。

 自分が悪いと思わない場合は、仕方がありません。謝る必要がないのに謝る必要はないのです。ただし、相手方や世論などが「謝れ」と言っている場合は争いになります。これも仕方がありません。謝るべきかそうでないのか、客観的な意見を求めることとなり、究極は裁判所の判断ということになります。

 いよいよどうしようもなくなって謝る場合でも「謝り方が下手くそ」な件について、だいぶ前に書きました。ことほど左様に人間は謝ることが苦手で、それゆえに嫌いなのです。しかし、失敗したらしっかり謝ること。これ、やっぱり大事なことです。 

 とっとと非を認めて謝ったほうがええよ、プーチン。

トラックバック(0)

トラックバックURL: https://corridor0108.main.jp/mt/mt-tb.cgi/676

コメントする

WELCOME

CALENDAR

PROFILE

IMG_0227_2.jpgのサムネール画像のサムネール画像

katsuhiko

男 

血はO型

奈良県出身大阪府在住のサラリーマン

生まれてから約半世紀たちました。

お休みの日は、野山を歩くことがあります。

雨の日と夜中はクラシック音楽聴いてます。

カラオケはアニソンから軍歌まで1000曲以上歌えます

月別 アーカイブ