梅雨に思う18秒のこと

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 梅雨です。城北公園のコクチナシのは花はそろそろ終わり。大きな八重咲のクチナシ(ガーデニア)は強烈なコパトーン臭を周辺に漂わせますが、こちらは香りが控えめです。ヨーロッパでは晩春から初夏に至る6月は、暑くもなく寒くもなくカラッとしてて一年で一番爽やかなんやそうです。そんな季節に結婚した花嫁は幸福になれるということで、ジューン・ブライドの趣向が浸透したとか。それをそのまま日本に持ってきたもんやから、梅雨の最中、爽やかどころか最もジメジメな時期に、礼服着こんで汗をふきふき披露宴に出かける羽目になりました。マヌケな話です。

 「梅雨がない北海道を除く全国が梅雨入りしました。」毎年この時期に聴くフレーズです。子供のころから、北海道の人は梅雨を知らんのやろか、たとえば赤道直下の国の人たちが雪を想像できないように、道民にはこのジメジメが続く雨季という概念がないのやろかとずっと思ってました。明治時代に、奈良県から北海道に渡った十津川村のひとびとは梅雨がないことに驚いたでしょうか。経験のない極寒と開拓の苦労でそれどころではなかったでしょうね、きっと。

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 そんなたわいのないことを考えたのは、先週NHKスペシャル「街道をゆく」の十津川街道編の再放送を視たからです。

 明治22年の大水害で村が壊滅します。死者168人、全壊・流出家屋426戸。壊滅的ではなく、壊滅です。生活の基盤を失った600戸、2489人が北海道への移住を決めました。

 簡単に言いますが大変な決断です。現代ではおよそ考えられないドラマチックな歴史があったのです。明治22年といえば東海道本線が開通した年です。東北本線はまだ青森まで届いてません。そもそもいったいどうやって北海道まで行ったのか。舞鶴から船に乗ったのか。興味は尽きません。今や美田が広がる新十津川町ですが、当時は果てしなく続く手つかずの原野であったはずです。とにかく大変な苦労であったことは間違いないでしょう。

 似たような話で、ダム建設による集落の丸ごと移転が同じ奈良県であったことを、大昔に書きました。これは自然災害が原因ではなく政策に基づく計画的なものですが、やむにやまれぬ事情という点では似てます。一方で、人為的な理由で故郷を追われるという意味では、ウクライナの国民も同じですが、こちらはひとりの人間の邪悪な欲求が原因となって、おびただしい人々が多大な苦難を被っているわけです。許されるものではありません。

 人間も悠久の大自然の一部分を成す存在なんやから、逆に人が自然のすべてを制御しようとするのはおこがましい話です。地球の長い歴史を考えると、人類が生まれたのはつい最近、というよりたった今です。地球ができて46億年、人類が誕生して100万年。地球の歴史を1日に換算すると、人類の歴史は18秒前に始まったばかりです。文字を書き始めたのが0.005秒前、人権思想が誕生したのが0.001秒前、私が生まれたのが0.00006秒前です。その間大自然はず~っと大自然やったわけで、それを超新参者のヒトが自分の都合でどうこうしようなんて考えてはいけない。つまり、いくら頑張ってみても自然災害による被害を根絶することはできません。

 であるならば、せめて人間どおしのトラブルによる悲劇ぐらいは避けようよ、それくらいの知恵はもう身に着けたでしょと思うわけですが、18秒ではまだ無理な話か。

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katsuhiko

男 

血はO型

奈良県出身大阪府在住のサラリーマン

生まれてから約半世紀たちました。

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雨の日と夜中はクラシック音楽聴いてます。

カラオケはアニソンから軍歌まで1000曲以上歌えます

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