聖徳太子といえば日本古代史のビッグネームで、長らく一万円札や五千円札に肖像が使われてたので、ある意味日本で一番有名、かつなじみがある歴史上の人物と言えるかも知れません。それが昭和の終わりに「万券の顔」の座を福沢諭吉に譲ってからは知名度が徐々に下がり、いまや子供たちにとっては教科書に出てくるたくさんの歴史上の人物のうちのひとりになってしまいました。それもさっこんは厩戸王(うまやとおう)と呼ばれることが多く、そのうち聖徳太子という名前は教科書から消えてしまうかも知れないそうです。一部には「聖徳大子は実在しなかった」なんて説もあるんやとか。
ところが、今年は聖徳太子の名前を聴くことが多かった。なんでも没後1400年にあたるとかで、いろんなイベントがあったりで目にする耳にする機会が多かったのです。こないだBSでスペシャルドラマの再放送もありました。
そんな年に因んで先日、所属する県人会の遠足も法隆寺界隈を見学ということになりました。言うまでもなく聖徳太子が建造したと伝わる、日本で最も有名な寺院のひとつです。世界最古の木造建築物。日本で最初に世界遺産に指定された、キングオブ文化財です。
奈良県で生まれ育ったんで、法隆寺は何回も訪れてます。何度見てもこの塔の美しさには圧倒されます。並び立つ金堂とともに、均整を極めたフォルムは日本の仏教建築の神髄、日本人の魂に響く美の極致と言えます。お寺大好きな私にして、数ある塔の中で2位に大差をつけて文句なしナンバーワンの花丸です。
延々2時間、見学のガイドをしてくれたお坊様の話が面白かった。「回廊や金堂の柱の膨らみは、エンタシスと呼ばれるギリシャ建築のパルテノン宮殿を模した造り...」うん、知ってる知ってる。「...と言われてましたが、最近ではそんなことを言う学者はいません」え、そうなの?
正岡子規の「柿食へば...」の歌碑の前では、「この句ははじめ子規が東大寺で作った後に法隆寺に来て、こっちのがええやん!ということになったそうです」ぜんぜん知らんかった。
つまり学問の世界は歴史など人文科学の分野でも常に発展進歩しているのです。われわれが子どもの頃に学校で習ったことがどんどん覆っていきます。例えば、有名な足利尊氏と源頼朝の肖像画、実はそれぞれまったくの別人やったらしい。だから、さらに時代をさかのぼる聖徳太子や法隆寺についてこれまで伝わってたことが実はそうでなかったなんて、まああって当然でしょう。
戦後マンガ史に輝く傑作と評される山岸涼子の「日出処の天子」では、太子は超能力者にして蘇我蝦夷と同性愛関係にあったという大胆な着想に基づいています。これを単なるフィクションと片付けることはできません。なにせ生まれてすぐに会話ができたり、10人の話をいっぺんに聴いて理解できたり、予言もできたりという超人ですよ。教科書ですら書き換わる時代のこと、ここはひとつ、山岸が描く太子の姿こそ真実に近いというこでよいのではないでしょうか。没後1400年記念やし、その方がロマンがあるやん。
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