可哀そうな関西弁

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 今日10月10日といえば、何年か前までは「体育の日」でしたが「ハッピーマンデー」で10月の第2月曜日に移動され、のちに名前も「スポーツの日」と変りました。それが今は東京オリンピックで祝日がワープし、10月第2月曜は旗日ではなくなりました。もう、わけ分からん。なんしか明日11日はカレンダーは赤いけど平日で、仕事に行かねばなりません。20211010_002936830_iOS.jpg

 そんな秋の日のいいお天気の日曜日、報道によるとコロナが最近また終息に転じたとか。「また」が曲者で、また増加に転じることもあるわけです。もう第6波7波の繰り返しが無いことを願います。コロナが天然痘のごとく根絶されるとは考えにくいので、せめてインフル同様に季節の風邪の地位に納まり、人類が再びマスクなしの日常を送れる日が一日も早くくることを切に祈ります。

 さて、だいぶ前にも書いたことがありますが、わたしはテレビドラマをあまり視ません。俳優の演技が下手くそで見るに堪えないことが多いからです。特にセリフが、いかにも台本を読んでますという素人っぽい役者が多くていやになる。いっそ棒読みというのならまだ愛嬌もあるのですが、人と人とのリアルな会話でとてもこんな間(ま)では喋らんやろ、とてもこんな気の利いたセリフは吐けんやろと、つまりはあまりに「芝居」がかってて現実味がないため、物語に感情移入することができないのです。だから、たまに見るときは「これは小説である、あるいはマンガである。その吹き出しの部分を誰かが読んでくれているにすぎない」と思って視るようにしてます。

 中でもとくにガマンできないのが、関西人という設定の役を関西出身でない役者が演じる場合です。関西圏の人なら誰もが感じることですが、まあ、関西ネイティブ以外の役者の下手くそな関西弁ほど、神経を逆撫でするものはありません。関西人の役は絶対に素で関西弁を話せる、つまりは関西出身の役者である必要があります。つまり、大阪が舞台なら、出演者は全員関西人にせんとあきまへん。

 キャスティングの関係で、または事務所の都合やなんかでどうしても関西出身以外の役者を使わねばならない何等かの事情があるのなら、台本を変えて舞台を東京に移すなど、関西弁を使わなくていい演出を考えるべきなのです。

H.jpg 妹尾河童の自伝的小説を映画化した「少年H」がひどかった。

 普通ならこんな映画を観ることはまあ無いのですが、私の母校の高校の校舎がロケに使われたと聞いたんで「これは観なければならない」と思ったわけです。やめときゃよかった。

 主演の水谷豊は北海道出身、妻役の伊藤蘭は東京出身です。あえてリアル夫婦を夫婦役に起用したのはそれなりの意図があったのでしょうけど、ふたりとも、神戸を舞台としたこの映画に出るべきではなかった。本当に、出てはいけなかった。まあ、とんでもない間の抜けた珍妙なセリフのオンパレードです。セリフの字面は正しい関西弁なので台本は適正に書かれているのでしょうけど、役者が喋るのを聴くたびに椅子から転げ落ちそうにズッコケてしまいます。「いったい全体、どこの言葉や!」と何度テレビに向かって叫んだことでしょう。途中からは「この映画はウケ狙いで、わざとやったはるんや」と自分に言い聞かせてガマンすることにしました。そうでもしないととても最後までもちませんでした。ことばが可哀そうです。

 およそ、一本の映画で主役を張ろうというのなら、もう少し役作りに気を遣うべきです。周りのスタッフにも関西出身者が少しは居たろうに、なぜに「今のセリフはアクセントがおかしい」「今のセリフはイントネーションが全然ちゃいます」と指摘しなかったのか、いやそれ以前に「あなたにこの役はムリです」と止める人が誰もいなかったのか。この映画に出ることで二人が笑いものになると、そばで見ていて容易に予想できたであろうに、知らん顔するがごときはおよそ人でなしの所業です。

 繰り返しますが、映画であれドラマであれ舞台を関西に設定するのであれば、出演者は絶対にネイティブ関西人を使ってください。関西人からの切実なお願いです。

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