復讐の行方

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 コロナ、パラ五輪、アフガン、政局、盛りだくさんの先週のニュースヘッドラインでひときわ異彩を放ったのが、街頭で人に硫酸を浴びせるというとんでもない傷害事件でした。犯人が逮捕され事情が明らかになるにつれて、どうやら動機は学生時代の恨みに基づくもの、つまり復讐ということやったらしい。

 復讐、重いテーマです。報復、仕返し、仇討ち、意趣返し、リベンジ、いろんな言い方があるということが、人の本性に深く関わっていることを示してます。urami.png

 その昔、人々がまだ頭にちょんまげを載せてた頃、「仇討ち」はむしろ美談とされ、成し遂げた人は「よくやった、あっぱれ」と褒められてました。忠臣蔵なんてその最たるもんです。それが現代では、たとえ仇討であっても、他者を肉体的に傷つけることはもちろん、誹謗・中傷や名誉毀損その他法令に触れる行為は許されません。いわゆる自力救済の禁止とういやつです。自分でやる復讐はダメ。そのかわり国が代わってしっかりと悪い奴をとっちめてあげます、というのが現代社会のシステムなのです。

 今回の犯人、復讐という目的は果たしたと言えますが、それが適正な行為であったかというと絶対にそうではない。相手と自分の人生をぶち壊してしまった。バケツで水をかけるくらいで満足していれば笑い話で済んだものを、愚かなことをしたもんです。恨みに燃える人は自分中心に物事を考え、見境が無くなって暴走しがちです。現代の法が復讐、かたき討ちという動機を正当化しない理由のひとつがここにあります。

 とはいえ、正義が悪をやっつける勧善懲悪の欲求は人の本能に根差してて、悪事を働く敵役に対する鉄槌は快感として作用することから、映画であれドラマであれ復讐劇は基本的パターンとして堪えることがありません。「恨み晴らします」の必殺仕事人シリーズは長く続いたし、今では復讐劇に特化した「スカッとジャパン」なんてバラエティー番組まであります。いずれもひどいめにあった人が悪人に報復を加える、あるいは悪人が悪事の報いでひどい目にあうことで、観ている人は本能に根差したカタルシスを得られるのです。ところが。

kirinohata.jpg これまで読んだり観たりした復讐劇のうち、このパターンに当てはまらないものがひとつだけありました。それがかの松本清張の小説「霧の旗」です。有名な作品で、繰り返し映画・ドラマ化されてるんで「ああ」と思われる方も多いでしょう。ネタバレで続けます。

 無実の罪で死刑判決を受けた犯人の妹が、優秀で有名なある弁護士に兄の弁護を依頼したところ、高額の弁護費用を払えず断られます。結果、兄は控訴中に獄死しちゃったんで妹がこの弁護士に恨みを抱き、復讐を企て見事にやってのける、というストーリーです。

 おかしいのです。冤罪で死刑判決は誠にお気の毒ではありますが、復讐するなら、真犯人か警察か、はたまたこないだの指定暴力団の親分の事件ではありませんが裁判官に対してでしょって話なんです。弁護士さんは正当な職務活動において、単に契約内容が折り合わず仕事を引き受けなかっただけなのに、それが「あんたが引き受けなかったから兄は汚名を着せられて死んだ」とは、とんでもないとばっちりです。読んでる最中から「をいをい、それは違うんやない?」と思いつつ、最後までそのモヤモヤが回収されずに「見事復讐を果たした」という、ドヤ顔のやり切った感満載で終わっちゃったもんやから、実に後味の悪さが残りました。

 その後つらつら考えてみるに、これは単なるスカッと復讐劇ではなかったわけです。社会派の巨匠清張先生はありきたりの勧善懲悪を書いたわけではなく、世の中は見事な復讐を果たしたとしてもそれが必ずしも正義の実現ではない場合もあるよ、悪とされて復讐の的にかけられた人にも言い分があるんよ、ということを言いたかったのかも知れません。単に復讐劇完遂の爽快感を求めて読んでたら痛い目に合うよということか、と納得した次第です。

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