「表現の不自由展・その後」その後

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 昨日、ふるさとの花火大会に出かけており、真夜中過ぎに帰ってきました。夏の風物詩を大いに堪能したことはまたいずれ記すとして、今日は先週気になった話題のこと書きます。

Clipboard01.jpg 今月1日から愛知県で「あいちトリエンナーレ」という現代アートの芸術祭が行われてまして、そのプログラムのひとつに「表現の不自由展・その後」というのんがありました。「表現の不自由展」という展覧会が何年か前にあったことを受けて企画されたそうで、もととなったこの「表現の不自由展」は、社会的にタブー視されて展示できなかったことどもを集めて、展示不許可になった理由も併せて展示したものやったそうです。「慰安婦」問題、天皇と戦争、植民地支配、憲法9条、政権批判など、近年公共の文化施設で「タブー」とされがちなテーマの作品が、当時いかにして「排除」されたのかを検証したとか。全然知らなかったのですが、今聞くと、なかなか興味深い内容です。

 今回の「表現の不自由展・その後」は、前記の展示会以降、新たにどんな作品が展示不許可になったのかということに焦点を当てる内容でした。ふむふむ。これもなかなか面白そうだ。

 ところが、ある作家がその展示物として、韓国が量産している例の従軍慰安婦の像を出展したもんやから話がこの上なくややこしくなりました。

 主催者には抗議、批判が殺到し、名古屋市長が開幕初日に展示中止を求める発言をし、官房長官がこのイベントに補助金出してることに疑問を呈し、果ては「ガソリン撒いて火をつけるど」なんて脅迫文が届くに至って、開始早々というのに展示は中止されました。

 展示物には他に、昭和天皇の写真を燃やすビデオ作品など、なるほど過去に展示不許可になったのも納得といったものがあり、これはまあ、抗議されるやろなというのが率直なところで、社会の大方の声も「中止当然」といった感じです。

 中止したらしたで今度は反対側から「表現の自由を犯し憲法違反」だの「公権力の検閲で憲法違反」など火の手が上がってますが、まあ見当違いのものが多い。

 表現の自由はもちろん保障されるべき重要な権利ですが、当然に公の秩序の制限を受けます。実物を見たわけではありませんが、くだんの慰安婦像は造形としては稚拙で美術品として評価されることはまずないでしょう。これを作品として出展した作者の意図はもちろん、韓国で捏造された歴史に基づいて朝日新聞が無理やり主張している、いわゆる従軍慰安婦問題を訴えることにあります。政治的な作品なのです。Clipboard02.jpg

 芸術作品に政治性を持たせることは一概に悪いことではなく、禁止するべきではありません。しかしたとえば、わいせつ動画を「表現の自由だ、芸術だ」と強弁しても、街の映画館やネットで公開することはできません。表現の自由よりも公の秩序維持、善良な風俗の保護が優先されるわけです。同様に、反日の象徴である慰安婦像を日本国内で展示するがごときは、隣国の卑劣な言説を肯定し日本と日本人の尊厳を踏みにじるものであって、わいせつ以上に公序良俗を害し人の心を傷つけるものです。当然、許されるべきではありません。

 さらに「検閲」とは「行政権が主体となって、思想内容等の表現物を対象とし、その全部又は一部の発表の禁止を目的とし、対象とされる一定の表現物につき網羅的一般的に、発表前にその内容を審査した上、不適当と認めるものの発表を禁止すること(最高裁の昭和59年の判例より)」であって、今回名古屋市長や官房長官にはもちろんそんな権限はなく強権的な中止命令などしていないので、こんな批判は当たりません。

 慰安婦、徴用工、レーダー照射など、韓国の傍若無人で卑劣な挑発行為が続き、日本国民の我慢の沸点が超えたこのタイミングでこんな展示をすれば結果どうなるか。結局、主催者の見通しがオオアマやったということです。やっていいことと悪いことの判断がまともにできない輩が増えてます。

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