パリで起こった大規模なテロを嘆くように降っていた小雨は上がってきたようです。陰鬱な休日の夜明けとなりました。
冷戦終結後、戦争の危機は大きく減衰したかのように時代は進んできましたが、人類はよほど好戦的な生き物とみえて、殺し合いの種が尽きることはありません。この点のみ地球上に存在する多くの生物に劣っています。イスラム原理主義勢力がテロを繰り返すのはなぜかという根源的な理由を廃しない限り、許されざるテロの蛮行は根絶されず戦争は続きます。武力による制圧とともに、今こそ人類の叡智を示してほしいものです。
さて、人生そこそこ長くなってくると、偶然の産物というか妙にタイミングが合う瞬間に出くわすことがあるもんで、仕事で関わった人が同郷の出身やったり思わぬ共通の知人がいたりなんてことはもう珍しくもなくて、まったく関係のない二人の親しい知り合いの誕生日が同じやったり、たまたま覗いた古書店で親戚が50年前に出したハガキを見つけたりとか、いうところの「奇遇」を感じる機会が増えてきます。
今日のはなしは、客観的にみればそれほどの奇遇とは言えないのですが、なぜか自分としてはタイミングピッタシやったと感じた出来事から。
先日、近所に超巨大なイオンモールがオープンしました。西日本最大級といわれるほどの規模で、四條畷市市制施行以来の大きな出来事ともいわれるほどの大イベントでした。で、うちの奥さん、何らかのお得感を求めてイソイソ・ワクワクと探検に乗り込んでいったそうです。
丸一日うろついて結局、とにかくバカでかかったけど特にこれといって見るべきものとてなく、モールの酒屋さんで、幾分安かったというかのプレミアム焼酎「百年の孤独」買って帰ってきました。
一方、わたしはというと、南米コロンビアのノーベル賞作家、ガルシア・マルケスの小説「百年の孤独」まだ読んでなかったので、思い立ってamazonで買った矢先でした。去年マルケスの訃報が伝わったのでずっと気になってたのです。
わが家に、期せずして二つの「百年の孤独」が揃いました。奇遇。
酒造メーカーの社長さんがこの作品が好きで自社商品の名前にしたというエピソードと、手に入れにくいことでは「森伊蔵」と並び称されるプレミア感による人気とあいまって、お酒も小説もすっかり有名になりました。私はお酒の方は飲み屋さんでこれまでに何回か体験しましたが、小説の方は読んでなかった。よおっし!と思い立って買ったとたんに、お酒の方もわが家にやってきたという次第です。
昨日、読み終わりました。
何というか…スゴイ小説です。今世紀初頭、ノルウェー・ブック・クラブという団体がやった「世界傑作文学100」というランキングで選ばれたそうですが、なるほどという感じです。
ある一族の興亡を100年にわたって描く、壮大な叙事詩のような小説ですが、すごい勢いで挿入されるおびただしいエピソードのひとつひとつが常人の想像の域を超越しています。訳者の力量もすごいのでしょうが、文章のひとつひとつが気を引き締めてかからないと跳ね返されてしまいます。一文の中に、現代日本の人気作家が書く数ページ分に匹敵する質量が込められており、も少し水で割って軽く分かりやすく描いていけば数十巻の大河小説に編纂できるでしょう。それをわずか1冊の中で展開していながら、単なるあらすじを記すというのでなく圧倒的な筆力でもって読者に迫ってきます。
これを小説というのであれば、芥川賞受賞作など4コマ漫画みたいなもん、なんていうと怒られそうですが、それほどの衝撃がありました。ここ数年私が読んだ小説の中で、文句なし最高の逸品です。
一方、お酒の方はというと、こちらもなかなかのもんです。焼酎というよりは何だかウイスキーみたいな香りと味わいで、ウイスキーよりまろやか、かつ深みがあります。繰り返し言ってますが私はミーハーであって、幻のプレミア焼酎というブランドに酔っているところがあることを素直に認めたうえで、美味しいものにはどこまでも貪欲であることもまた事実なのであります。
何にせよ好きなミュージックに包まれて、焼酎のロックをちびちび甞めながら人類の財産である傑作を読んで夜更かしする、この幸せが永く続くことを願った晩秋の週末でありました。
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