先日、恒例となった旧友たちとの京都花見行に参加しました。この集い、花見といいながら最近は料亭での宴席が主体で、桜があってもなくてもさほど影響がなくなっとります。しかし、やはり日本人としては単なる宴会よりも「花見」と銘打ったほうが春爛漫の雰囲気が充満し、盛り上がるというものです。
京都で長く仕事してた友人が毎度毎度設定してくれるのです。これはまったく感謝に堪えません。彼が京都の職場に勤務することがなかったら、さらに置屋さんとの馴染みがなかったら、われわれがこのように気軽に京文化を満喫することはおそらくなかったでしょう。持つべきものは京都の友人であります。今回は河原町の「本家たん熊本店」で京料理をいただきました。ミシュラン☆☆、京都のビッグネームです。
たださえ都情緒たっぷりの木屋町通りと高瀬川はおりしも桜満開、うれしくも雨の予想がはずれ、青空をバックに清楚な花弁が映え、これぞ日本、これぞ京都という絵画のごとき空間が広がっていきます。座敷からは反対側、鴨川と川沿いの桜並木が望め、遠くに眺める東山、清水寺の杜を覆うのは春霞かそれとも桜の花房か。川沿いは多くの人が行き交い、それぞれに春を楽しんでます。晴れてよかった。
高瀬川といえば森鴎外の小説「高瀬舟」。小学生の時分に読みました。今ならもうどおってことないけど、安楽死という言葉を初めて知り、純真なこどもやった私の中で法律論、社会・哲学論に一石を投じその後の思想醸成に多大なる影響をもたらした衝撃の問題作でした。
ところで、高瀬舟って高瀬川の水運に使われてるからそういうんやと思ってましたが、調べてみると実はこれ逆で、高瀬舟という舟を使う運河やから高瀬川という名前がついたんやとか。知らんかったわ。
さて、午前中に所用あり少し遅れて参戦したのですが、いつもの馴染みの面子がそろう中、初めての参加でほぼ卒業以来の再開となった友人あり、いつもながらの実に楽しいひとときでありました。はじめて会った舞妓さんの鉄板ネタ「祇園小唄」の京舞を堪能するうちに予定の刻限となり、すっかりハイテンションに至った一行は欣喜雀躍して河原町での二次会へと参じていくのでありました。
そして昨日、今度は中学校時代の旧友に会うべく帰省し、吉野山で花見してきました。なんだか最近春になると毎年吉野山に登ってます。去年も一昨年も。京都よりも南都奈良リスペクトの私には「京都やとぉ~??南朝はどした南朝は。」という後醍醐天皇の声が心に響き渡るのです。
いつもは近鉄吉野駅から心臓破りの七曲りをえっちらおっちらと登っていくのですが、今回駅前のバス停に並ぶ列が思いのほか短かかったので中千本まではバスに乗り、温存した分の体力を使って上千本吉野水分神社まで一気に登っていきました。今年は花が早く、ここ上千本一帯でもすでにして葉が出始めています。
この前水分神社に参ったのは2年前の夏、暑い盛りでした。やはり吉野の寺社は花の時期にその本領を発揮します。大和国四所水分に数えられる由緒あるこの神社、地元では「コウモリさん」と呼ばれてます。上千本のこのあたりの地名が「子守」というのです。コウモリさんがあるから地名についたのか、子守地区にあるからコウモリさんなのか、こちらはいまだ不明です。
歩いていると東京弁や外国語がひんぱんに聞こえてきます。それにしても人の多さよ。この世界遺産は、1年間の稼ぎの大部分を4月ひと月でたたき出すのですから無理もありません。
日本人が大好きな桜。日本中に桜の名所は数あれど、吉野山はトドメをさします。そのスケールは桁外れで、一度や二度訪れただけではとても堪能しきれない。行くたびに新しい発見があるのです。久々のハイキングでへろへろになった足の疲れも、気の置けない旧友との語らいのうちに癒されていき、年度初めの喧騒を乗り切る鋭気を充電できました。
桜は良い。日本人でよかった。
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