毎年参加してる、地域と大学主催の淀川クリーンキャンペーン、今年も行ってきました。
またしても台風接近であいにくの曇天でしたが、時折小雨がパラパラするぐらいで、何とか最後までもってくれました。
およそ1時間のウォーキングかねてのゴミ拾い。参加者それぞれゴミばさみとビニール袋持って、一斉にスタート。
ところが河川敷、パッと見、とてもキレイなのです。
じつは、先日の台風18号が直撃した際、この広い河川敷は濁流に沈み、水が引いたあとには大量の瓦礫とゴミが堆積しました。これは市民や学生参加のイベントなんかでは到底歯が立つ状態ではありません。河川を管理している行政のどっかの部局がそれなりに手を打ったのでしょう。普段どおりの河川敷の姿に戻っています。しかし、それでも撤去しきれなかったガレキの山がいくつか残っています。こんなのは、今日のゴミ拾いでは対象外です。
ということは、やはり去年よりもゴミは少ない。数百人のゴミ拾い隊がせーので繰り出すもんやから、早いもの勝ちで少ないゴミの取り合いといった様相を呈してます。あちこちで「やったー、大物ゲーット!」なんてやってる(^^)
大雨で流れ着くのを別とすると、河川敷には普段から目立ったゴミはありません。わんどに面した広い河川敷には道路もあって人の行き来がわりと多い。だからゴミが少ない。街かどでも人通りが多いところは、比較的道端のゴミが少なくて、一本入った路地裏には空き缶なんかのポイ捨てが目立ちますよね。
この現象はつまり、人目があるときには捨てにくいというよりも、われわれは人様に見苦しいすがたを見せることを特に恥と感じていることが根にあると思うのです。見えるところはことさらにキレイに保つ。われわれサラリーマンでもそれぞれ職場での身の回りは整理整頓してピカピカにするけど、自宅は「お部屋」ならぬ「汚部屋」の状態という人もよくいるそうです。
外国からの観光客は、日本の街のゴミの少なさに驚愕するそうですが、日本人の矜恃の為せるワザと言っていいでしょう。海外を旅行すると特に感じます。近年わが国では公園や行楽地でもゴミ箱がない場合が多い。「ゴミ箱を無くす」という発想は日本ならではではないでしょうか。よく考えるとスゴイことです。「ゴミ箱がないのなら、持って帰るしかない」と考えるか、「ゴミ箱がないということは、どこにすてても良いということ」と考えるか。民度の習熟があってこそできるのやと思います。
そんな風に公共のエリアのゴミを減らしてきた日本ですが、まちかどでちょっと注意して見ると、マレに落ちてるゴミはその大部分がタバコの吸い殻なんですね。この日のゴミ拾いの収穫でも体積では空き缶やペットボトルが多くを占めますが、拾った件数ではやっぱり吸い殻が圧倒的に多かった。
歩きタバコしてる人は、必然的に道路を灰皿がわりにするほかありません。ちょっと観察してるとあからさまに捨てるのはそれでも少し気がひけると見えて、道路の側溝や排水溝に投げ入れる人が多い。ポイ捨てした吸い殻という自らの恥の痕跡を消してしまえるからです。
恥の感じかた、ちょっと違うような気がしますよ。
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