1999年の7月でした。ノストラダムスが予言した恐怖の大王が結局現れなかったこの月に、私は初めて携帯電話を契約しました。爆発的に普及し始めて、「ケータイ」といえば携帯電話機のことという新たな日本語も始まった頃で、持った時期としては人よりも特段早くも遅くもなかったと記憶しています。
爾来すでに14年、この間にケータイは電話機から通話機能付きの小型PC端末へと進化し、技術の進歩を追いかけるように現代人の生活様式も変わってきました。皆、出かけるときは財布や定期券(今ではICチップの入れ物と化した)忘れても、ケータイだけは絶対に離さない。電車の中を見渡すと10人中7・8人はケータイいじっている。新聞や本を読んでる人はあまりいない。
かくいう私も、仕事に趣味に生活に欠かせなくなっていますが、最近思うのは「通話が減った」ということです。愛機のiPhone5使う頻度を考えると、メール(LINE含む)が圧倒的に多い。以下写メ、たまにネットで検索(FaceBook含む)という順かな。あ、シーズン中はラジコで阪神戦聴くか(^^)。いずれにしても通話は少なくて週に2・3回あるかな、という程度です。
さあ、そんな世の中になるにつれて存在感がキハクになっているのが自宅の電話。ケータイの普及とともに、かつてなかった「固定電話」なんて言葉も世に出てきました。最近は家電(イエデン)ともいうそうですが。
ほとんど使わない。FAXもそう。書類のやりとりはほとんどPDFでパソコンやケータイに電子メールやし、たまに業者からの広告FAXが入るくらい。留守電のメッセージなんてここ数年聞いたことない。
家族が家内と二人きりということもあるのか、外とのコミュニケーションはまず99%ケータイで済んでしまいます。はたしてイエデンの存在意義は??
…という状況の中で、わが家の電話機が壊れました。
きっかけは家内の友人からの「あんたんとこの電話、ヘンくない?」というご指摘でした。繋がらないらしい。鳴ってるけど誰も出ない。留守が多いなあ、と思われてたみたいなので会ったときに話すとどうやらそういうことらしい。試してみると、なるほど発信はできるけど受信ができない。いったいいつからこうなのか??別段何も困らなかったところがおもしろい。
さて、ここで考えたわけです。この機会にイエデン無くすこともありか?
結果、たいして熟慮もせず買い換えることにしました。ほとんど使わなくてもやっぱり固定番号もってたほうが社会の一員っぽい気がするし、万一の災害のときも比較的安全ぽいし。
ところが、ヨドバシで「おたっくす」の最新機種買ってきて設置したところ、なんと、やっぱり受信が鳴らない。そう、電話機の故障ではなかったのです。ネット機器配線の接触不良だったようで、いじくってるうちに直りました。とんだ早とちりやったわけですが、元の電話機は古くて給紙の部品壊れてて爪楊枝挿して補強してたりで、早晩買い換えの時期やったので、いいとしました。小型でカッコイイのに変わったし。
ポジティブ・シンキング。
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