統治行為論ふたたび

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 いよいよ梅雨に突入で蒸し暑い日が続いてます。アイホンの湿度計はなんと「90%!」これはあかん。不快極まりない。外出時はマスクするもんやからさらに不快。湿度でコロナウイルスは死んでくれんのやろかと思います。

 さて、そんな不快な日々にあって、昨日の朝日新聞朝刊一面「統治行為」に関する記事に目がとまりました。

 統治行為の詳細と考察は過去に何回か書いてますので端折ります。砂川事件の再審請求があったときと、いわゆる集団的自衛権をめぐる政局に際して安倍内閣が理論の根拠として唱えたときでした。この再審請求はまだ活動が続いているみたいですが、そもそもときの司法が政権に忖度して出したこのトンデモ判決について、最高裁が自分のクビを絞めるような再審を認めるとは思えません。とはいうものの、成り行きを興味深く見守ってるところです。20200613_002443145_iOS.jpg

 昨日の記事はその再審云々についてではなく、当の砂川事件の上告審判決に際して、最高裁判事を補佐する調査官が残したメモが見つかったというもので、メモの内容によると、裁判官の多数意見として確定した判決が実際には必ずしも多数とはいえず、さまざまな意見を無理くり「統治行為につき司法判断せず、が多数意見」の方向にまとめて判決を出したいきさつをうかがわせるものだ、というのが朝日の分析です。別に今書く速報性がある記事ではないので、朝日が砂川判決を根に持って追っかけてるなということが分かります。

 メモによると、当時の最高裁長官の田中耕太郎は、米軍の駐留は統治行為ですらなく、もっと積極的に「合憲」を主張していたらしいといいます。政府の御用判事で提灯判決しか出さず、そのおかげで大出世したものの現代ではけちょんけちょんに批判されてる輩にして、さもありなんと思わせます。

 朝日は砂川事件の判決に否定的な考えを維持しており、その点はわたしも同じです。その後のわが国の防衛政策と平和憲法との折り合いを根拠のあるものとするために、統治行為論を正当化する必要性を当時の政府、司法ともに痛切に感じており、砂川判決をその嚆矢濫觴とするべく、内閣と最高裁が一丸となってやってのけた愚行であったことを、今回の記事は改めて感じさせます。

 わたしは、韓国の司法について、政権に忖度して三権分立の原則をないがしろにしており、これやからこの国は...ということを以前書きました。しかし、何のことはない、かつてわが日本でもおんなじようなことをやっていたのです。 

 駐留米軍や自衛隊は、まともな感性をもった正常人が素直に考えたら、疑う余地なく「違憲」です。田中長官やその後の政府のように合憲と主張するには、なんらかの屁理屈をこね回して詭弁を弄する必要があり、日本はずっとそれをやってきたのです。こんなことはやめるべきです。きちんと憲法を改正して自衛隊と集団的自衛権を明記するか、それともあくまで改憲しないなら自衛隊など即座に廃止すべきか、いずれかをはっきり選択すべきです。日本は、法治国家なのです。

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