暑い松山で思ったこと

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 四国松山に行ってきたぞなもし。
 
 経済団体の研修遠足で、先進的、特徴的な経営を展開する企業や大学を訪れるシリーズものの企画です。つらつら思い起こすに、松山は多分3~4回目、前回は大学校友会関係のイベントで来たものと記憶しとります。かれこれ10年以上前のことで、それ以来になります。
 
 新幹線を岡山で特急しおかぜ号に乗り換えて3時間弱。なんとなく松山は瀬戸大橋を渡って西に少し行ったあたりという感覚があったのですが、さにあらず列車はさらに西へ西へ。四国地図の左上のふくらみをくるっと周ったところまで行かねばならないので、これは思いのほか遠い。そいやこれまではすべて飛行機で、列車でトコトコきたのは初めてです。
 
 道後温泉では本館が変わらぬ風情を醸してますが、来年から耐震改修工事となるため、千と千尋のモデルともいわれているこの全容はしばらく拝めないかもということです。
 
IMG_6894.jpg  粛々とお仕事をこなし、せっかくの機会ということで延泊して時間をつくり、かねて行ってみたかった「坂の上の雲ミュージアム」を訪れました。まだ午前9時とはいえこの夏一番の炎天下、リオ五輪の開会式の開催中ということも影響してか松山市内は人もまばら。たどり着いてみると、言われなくても「これ安藤忠雄やろ」と分かる斬新・珍妙な三角形のミュージアムに、なんと一番のりで入館しました。
 
 館内からは松山城山の南麓に立つ「萬翠荘」というカッコいい洋館がよく見えます。夜はライトアップがキレイなんやとか。大正時代、旧松山藩ゆかりの伯爵が別邸として建てたらしい。
 
 「坂の上の雲」といえばいうまでもなく司馬遼太郎の代表作のひとつで、明治の昔松山から巣立ち、近代日本の黎明期を駆け抜け歴史に名を遺した三人のヒーロー、正岡子規と秋山好古・真之兄弟の青春を通じて、日本とはなにか、日本人はどうあるべきかを問うた司馬遼渾身の傑作です。かつて少しふれたことがあるのでハショりますが、「竜馬がゆく」と「翔ぶが如く」そして「坂の上の雲」は日本人なら一度は読んでおきなさいということだけ再掲させてもらいます。IMG_6896.jpg
 
 子規が東京帝国大学を中退したということから、子規と帝大とのかかわりや東京大学の歴史を詳しく展示してある一角があり、わたしも大学関係者のはしくれということで血が騒いだんやろと思います。興味深く見入ってしまいました。列強に追いつけ追い越せ、そのためには人材の育成が何よりの急務、喫緊の課題であるというなかば焦りにも似た国家の危機感がひしひしと伝わってきます。
 
 と同時に一方国民には単純な向上心と言って片づけられない底知れないハングリー精神がにじんでいます。かつて日本にもこんな時代があったんやでということは、学校で、社会で繰り返し見聞きして理屈では分かっているけど、リアルな展示物を目の当たりにしてみると、近代日本の礎を築いてきた明治の国家と国民の精神がダイレクトに伝わってきます。
 
 そしてのち、今の時代を振り返ってみると、先の大戦で牙を抜かれてしまったとはいうけれど、強くありたい、優しくありたい、人間力を高めたいという思いは連綿と受け継がれ、その結果、現代のグローバル展開の中で日本と日本人は確固たる地位を築きあげてきたのです。
 
 坂の上の雲ミュージアムは単にいち作品の記念館ではありません。近代日本の歴史を象徴的に綴った大叙事詩への招待であり、日本人はどうあるべきか、どこに向かうべきかを導く、まさに作品のコンセプトを視覚的にあらためて訴える空間であったのです。
 
 今回に見学では、当時の時代を生きた日本人のすべてに深甚なる敬意を感じました。そして前夜、市内二番町の某お店で絶品の若鳥をいただいたときと同様に、またつくづく思うのです。日本人でよかったと。

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katsuhiko

男 

血はO型

奈良県出身大阪府在住のサラリーマン

生まれてから約半世紀たちました。

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雨の日と夜中はクラシック音楽聴いてます。

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