人語天声

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 誠に申し訳ない。

 サッカーワールドカップ、ぽんぽんぽんと3つ負けて1次リーグで帰ってくるやろなと思ってました。ところがなんと初戦で強豪ドイツに逆転勝ちするとは。一気に今大会の日本代表の活躍に対する期待が高まりました。にわかファンここに極まれりです。doha.jpg

 300万円貯めて大会期間中1カ月ドーハに滞在して観戦する人や、そこまでではなくても休暇を取って現地に赴くサポーターのことをテレビで視ると、言わないけれど「どおせ負けんのに、ご苦労なことやなあ」と思ってました。

 誠にすみません。

 この人たちみたいな熱心なファンの真摯な応援あってこそ、今回の歴史的勝利があったものと思い知りました。不徳を恥じ入るばかりです。

 それにしても、本当にドイツに勝ったのね。未だ信じられません。森保監督の采配が絶賛されてます。1993年、かの「ドーハの悲劇」は、私もリアルタイムで視てました。アナログ時代の四角いテレビでした。試合終了直前のロスタイムに、日本のゴールキーパー松永選手の頭上にふらっと上がったボールがゴールに吸い込まれたあの場面、はっきりと覚えてます。思えばあの試合に森保監督も出場してたんですよね。今回「悲劇」を、ステージを上げたワールドカップ本戦で「ドーハの歓喜」へと変えたわけです。1次リーグ突破できるかどうかは未だ分かりませんが、暗い話題が多い昨今のわが国にあって、MLBの大谷選手といい、スポーツ分野でのヒーローの活躍は本当に元気を貰えます。

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 さて、国内に目を転じて相変わらずの朝日新聞ネタで恐縮ですが、先週の天声人語は、ツィッターのマスク氏が「Vox Populi Vox Dei(ラテン語)」(民の声は神の声)とツィートし、これは天声人語の英訳版タイトルと同じやと喜んでます。そもそも朝日の創刊当時から続くこの看板コラムは「天に声あり人をして語らしむ」という意味で、自らが神であるとする朝日の傲慢な姿勢を如実に表すものです。コラムでは「民の声、人民の声、世論が天の声なのだ」という意味と言ってますが、こじつけというか正反対の曲解です。それなら「人語天声」と表記すべきでしょうよ。

 天声人語を書き始めた明治の昔、当時の朝日は自らの主張こそが尊い天の声であるとする認識であったのです。多分、それくらい強気でなければ当時の論壇は通用しなかったんでしょうよ。けど、後年、もうそんなつもりはないですよというのならタイトル変えればいいいのに、やってない。つまり当時の意識はその後も変わることなく、気に入らない対象は徹底的に攻撃する、自らの過ちは絶対に認めないという今に至る社の風土、論調を育んできたものと思われます。「これはもう、時代に合わんなあ」と思ってるんであればどんどん変えていけばいいのに、古くから使ってるというこだわりを捨てきれず、こじつけの解釈で煙に巻く。なんだか日本の憲法に似てなくもありません。

 さらにこの日コラムは最後に「民の声は重いが、重さは数で決まるものではない」と結んでいます。民主主義の原則を否定する独善的で危険な思想がこの一言にこめられていて、さすがと言うべきです。

 日本中が盛り上がった東京五輪で朝日は、スポンサーに名を連ねながら「五輪反対」を主張し非難を浴びました。そして「やっぱりやめたら?」という否定的な論調から、日本選手が思いのほか活躍し世論の支持が高まると一転して五輪特集の紙面を組むなど、その日和見的な対応が再び嘲笑の的となりました。国民がこぞって快挙に沸く今回のワールドカップ、代表の活躍を朝日がこれからどう伝えていくか、注視したいと思います。

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