あの日から10年

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 飛ぶ鳥を落とす勢いで発展を続けてきた日本が、バブルの崩壊、その後の新興国の追い上げで経済大国としての国際的地位に陰りが広がり、のちに「失われた20年」と言われた困難な時期にとどめを刺すかのように起こったのが東日本大震災という巨大災害でした。あの日から10年が経ちました。

 先週は各局特集番組を組み津波の映像が繰り返し放映され、10年前の衝撃がよみがえってきました。

 10年ひと昔といいますが、もうそんなに経ったのかというのが率直な思いです。大阪では被害はほとんどなかったけど、あの日は鮮明に覚えています。

20180326_030750072_iOS.jpg 仕事中になんだかゆ~らゆ~らと揺れだし「おっとまた地震か」としばらくして収まってからテレビやネットで確認したところ、ただ事ではない震災の全容が徐々に伝わってきます。都市機能がほぼ麻痺してしまった首都圏の様子よりも、やはり津波の映像は衝撃でした。被害の詳細が明らかになるにつれて、これは大変なことになったと誰もが言葉を失いました。増え続ける犠牲者の数。壊滅した東北地方沿岸の姿。

 しかし、この甚大な被害はまだこの災害全体の序章に過ぎなかったのです。そう、原発で水蒸気爆発に続いてメルトダウンが始まりました。大地震、大津波、そして放射能汚染という三重の試練を神は日本に課しました。

 ときの民主党政権のお粗末な対応によって被災者の救済と復興は遅々として進まず、原発の処理も当然誰も経験したことがなく手探りの状態で、莫大な国費が徒に費やされていきました。そして、現在でも廃炉に向けての道筋は不透明なままです。

 しかし、日本人は強かった。助け合い我慢し合い、焦らずに少しずつ復興の歩みを進め、災害の教訓を決して忘れることなく災害に強い国土を築き防災意識を培ってきました。米国・台湾をはじめとする友好国からの励ましも心の支えとなりました。20190226_091623361_iOS.jpg

 そして、震災を克服し復興を成し遂げた証として東京オリンピック招致を実現し、輝かしい日本の再生を世界にアピールするはずでした。ところが、神様はここでも、コロナ禍という試練をさらに日本に課してきたのです。もはや世界中がオリンピックどころではない事態となり、日本国民の多くが「中止すべきだ」という意見に傾いています。政府とIOCは断固開催の姿勢ですが、極めて危うい状態で、とうとう海外からの観客をシャットアウトするところまで話が煮詰まってきました。ワクチン接種の状況を睨みながら、しばらく正念場が続きます。

 もうすぐ南海トラフ巨大地震がやってきます。地震自体のエネルギーは東日本を上回るものとされ、当然甚大な被害が予想されます。しかし、日本国民は阪神淡路や東日本での経験により、被害を最小限にとどめる心構えができています。過去の災害によって犠牲となられた尊い命に報いるためにも、我々は忘れた頃にやってくる次の難敵に対して決して侮ることなく恐れることなく、厳然と立ち向かっていくのです。

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katsuhiko

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