高校野球に世論誘導をみる

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 プロ野球今シーズンのペナントレースが始まりました。シーズンオフは平和でこころおだやかな毎日が続いてましたが、また毎日一喜一憂のやっかいな日々が帰ってきたわけです。

 わが阪神タイガースは昨シーズンAクラスであったにも関わらず、開幕戦を本拠地甲子園で戦えませんでした。言うまでもなくセンバツ高校野球が行われてるからです。理不尽な話です。だいたい日本は高校野球で騒ぎすぎます。高校野球に甘すぎます。

senbatsu.jpg 日本人は野球好きで、野球が国民的球技として他のどんな競技よりも浸透してるのは理解します。わたしも大好きです。でも、高校生の部活動としての野球はあくまで教育の一環であって、関係ない人間がその勝ち負けに一喜一憂しすぎるのはなんか違う気がします。勝負を楽しむのはプロ競技の世界です。プロ野球の独立リーグのような感覚で高校野球を楽しんでるように思います。

 郷土の代表に肩入れするのも分かるけど、それにしたってサッカーやラグビーその他の競技に比べてあまりにも依怙贔屓しすぎです。ラグビーなんてテレビが全国ネットで生中継するのは花園の決勝だけやのに、甲子園の試合は1回戦からすべて生放送です。なんかおかしい。

 なぜにこんなことになってしまったのか。そこには甲子園大会を主催する新聞社の陰謀が介在しているのです。毎日新聞や朝日新聞は連日多くの紙面を割いて高校野球を報じてます。試合の結果だけでなく、関連のトピックスや関連情報など非常に幅広く記事にします。これでは国民が野球に偏った興味を抱くのもむべなるかな。

 だいたい新聞が記事にするか否かは「報道する価値があるのか」が基準になっているはずです。野球部の下級生部員がスタンドで応援したなんてまっっっったくどうでもいいことを写真つきで載せてます。全国紙でニュースとして報じる価値があるとは到底思えません。

 自分ちが主催(または共催)しているから必要以上に肩入れしてるのです。つまり、新聞社は自社イベントの広告を記事の体裁で掲載し、読者は金を払ってそれを見せられているわけです。新聞社主催の展覧会などのイベントで全面広告みたいな記事を載せて特集するのもこれと同じ構図です。

 報道機関としての使命を忘れてもらっては困ります。新聞は読者に読ませたい記事を書くのではなく、読者が知りたい情報を記事にするべきです。少なくとも高校野球関連の記事は多すぎる。もっと他に書くべきことがあるやろと。

 さらに言えば、新聞とは何かという話になります。全国紙ともなると、読者・国民はその記事の内容を真実として受けとめます。ウソを書かないのは最低限当然のこととして、特定の個人団体を貶めるためにその使命を蔑ろにすると偏向報道などと指弾されます。しかし、そんなあからさまではないにしても、例えば時の政策に批判的であるかそうでないかなど、新聞によって論調はまったく違うわけです。

 マスコミはよく世論調査を行いますが、同じ主旨の調査でも実施した新聞社によって結果に大きな差があることもままあります。質問の仕方で巧妙に自社に都合のいい答えが返ってくるように仕向ける、いわゆる世論誘導が行われているわけです。世論がマスコミによって創られているのであって、こんなものとても信じられません。田中角栄の言葉「マスコミが世論ではない。選挙が世論だ」は、今になってなるほどそのとおりと思えてきます。

 歌の文句やないけれども、ひとはみな自分が聴きたい答えを聴けるまで訊ね続けてしまいがちです。結局、読者が賢くならなければなりません。

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katsuhiko

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