知的生活

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 渡部昇一氏の訃報が伝わりました。

 本業は英語学の学者さんでしたが、それよりも保守派の論客として長くわが国の論壇に君臨してきた人です。舌鋒鋭くあくまでブレない主張は、保守層には心強く響き、また共産党に代表される左翼暴力集団には目の敵にされ攻撃されてきました。

 わたしはというと、大学時代に読んだ「知的生活の方法」が渡部氏との出会いでありました。当時、氏の思想・主張などまったく知らず、本屋さんで何となく手に取って読み始めたところ、その示唆に富んだ内容に共感したことで名前を覚えたわけです。今も手許にあるその本パラパラめくってみると、いっぱい線が引いてあって熟読してた様子が知れます。20170422_050728147_iOS.jpg

 その後、メディアのいろんなシーンで見かけるにつれ、どうもこのオッサン、保守というよりもそうとう右寄りやなァと理解が進み、極めつけがあの石原慎太郎との共著「それでもNOと言える日本」でした。

 先発の「『NO』と言える日本」はバブル前の時代、日本が「沈まぬ太陽」として世界に君臨していた頃に世に出た、ソニーの盛田昭夫さんと石原の対談です。わが国の輝かしい発展を賞賛する内容でした。日本人は誇りを取り戻し、もっと自信をもっていいのだというその主張が世の働く世代の心に響きベストセラーとなりました。そして出版社が2匹目のドジョウを狙ったのがこの「それでも~」やったのです。こちらは盛田さん抜けて石原と渡部氏、そして軍事評論家の小川さんの対談ということで、当然ながら右翼的主張がドンチャンと展開され、読んでて辟易してしまいました。またその後「『NO』と言える日本への反論」なんて本も出たりで、どうもワケわからなくなります。3冊とも読みましたけど、出版社1冊目でやめときゃよかったね、と思ったもんです。

20170422_052122027_iOS.jpg ついでに言えば、石原は都知事時代の亡霊に取りつかれ、築地市場の移転問題で何やらヘタうったみたいで、結局今になって恥をかき晩節を汚しました。尖閣問題で中国を挑発し、その後の国際関係悪化を招き国益を損なったバチが当たったというべきでしょう。

 話それました。ともあれわたしにとって渡部氏は、知った当初の、しっかりと本を読む知的な生活とはこうあれと諭してくれた、それこそ知的な英語学者さんという印象から、中国を「シナ」と呼び敵対姿勢を募らせ、憲法改正を叫びややもすると戦前の軍国主義を礼賛するかのような論陣を張る、とんがった知識人という印象へと変わっていったわけです。

 その後も氏の信条は揺るがず、例の韓国の慰安婦問題に際しては先頭に立って朝日新聞の大失態を糾弾し、貶められた日本と日本人の名誉を取り戻すための活動を続けてきました。そしてとうとう朝日に対する訴訟におよび、市民約9,000人で1人当たり1万円の慰謝料と謝罪広告を求めて提訴しました。これは、まあムリ筋でしたけど、日本人のひとりとして気持ちはよく分かります。読んではないけど「朝日新聞と私の40年戦争」なんて本も書いてるそうですから、まあ半端やないです。

 主張はトンガり過ぎてて一般ピープルにはやや受入にくいところもあったし、わたしも氏の考えに無条件にくみするものではありませんが、あくまでぶれない主張の鋭さは素直にスゴイと思いました。何の根拠もなく国粋主義思想を叫ぶのではなく、学者ならではの理路整然とした論理構成により日本の素晴らしさを訴え、国民に元気を与えてきたことは確かです。

 国際関係、特に中国や朝鮮半島をめぐる東アジアの情勢が歴史上類をみない雰囲気に進みつつある現代社会に、氏の存在は大いに意味があったと思います。ご冥福をお祈りいたします。

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katsuhiko

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