思いのほか寒い日が続き、桜の開花も遅れ気味でしたが、花見の名所には開花とともにそろそろ酔っ払いが出没し始め、春本番となってきました。しかし、今日は曇り空でやや肌寒い朝です。花はまた足踏みか。
職場でも、去る人との名残を惜しむ集いなど続き、多くの人がさまざまの場所において新しいスタートに臨んでいく様子を見るにつれ、季節の巡りとともに繰り返される人の世の営みが変わらず続いていることを実感します。今週は新年度がスタートします。新しい仲間も増え、職場にも心機一転の雰囲気が満ちていきます。
大学卒業後、今の職場にお世話になって30年が経ちました。就職当時には友人たちから「学校は休みが多くていいな、今春休みやろ」などと言われもしましたが、夏休み、冬休みはともかく、春休みなんてとんでもない話で、入学試験後新入生を迎える一方で、決算作業をはじめ年度末、年度初めの交錯に忙殺されることは一般企業と同じです。のんびり春休みを楽しむ学生・生徒たちを後目に、実は年間でもっとも繁忙を極める時期なのです。
さて、朝日新聞が夏目漱石の小説を100年ぶりに連載しており、読者にスクラップ用のノートを配布していることは以前にも書きました。最初は「こころ」、次の「三四郎」の連載が先日終わり、これで終わりかと思ってたら4月1日から今度は「それから」の連載が始まるとか。
「それから」は、「三四郎」「門」とともに漱石の前期三部作に位置づけられる重要な作品と言われてるそうですが、前二つと違ってわたし実は読んだことありません。漱石の生涯の業績全体を俯瞰し作品ひとつひとつの持つ意味を探究したり、さらにそれぞれの作品の一文一文の表現に込められた漱石の思いなど、究めれば実に奥が深いということは分かります。しかし、自分なりに解釈すればよいのであって、いち読者として素直に楽しんでます。難しいことは専門の研究者に任せておけばよいのです。「それから」も同じことになろうと思います。
「こころ」「三四郎」とスクラップ続けてきたので、ここでやめるわけにはいかない。さっそく販売店に連絡してノート分けてもらいました。サイズは前ふたつと同じですが今度は縦置きです。ということは紙面でも縦長の構成なのか。
スクラップ続けるうちに、量販店で見つけたのが写真のスティックのりです。最初のうちは定番の「プリット」を使っていたのですが、新聞紙をノートにはりつけたとき、乾くとどうしてもシワシワになってノートがぶわっと膨らんでしまいます。ところがこのスティックのり、成分がかなり違うらしくて乾いても本当にシワにならないスグレモノで、これは重宝しています。
去年からいろいろあって購読者激減とも伝わる朝日新聞、自社の責任どこふく風で読者獲得の企画を進めるようすにはやや呆れもします。しかし、以前にも書いたように、わたしは正義を追及する姿勢と拮抗するところのおおらかなミーハー精神を持ち合わせています。新聞を毎日切り抜く作業はなかなかに大変ではありますが、引き続き楽しませていただくこととします。

落語家として米朝師匠を超えたのは枝雀さんだけやと思います。これは個人的な独断と偏見であって異論は多々あるでしょう。現に生前の枝雀さん自身が、師匠と比較された批評に対して「わたし、そんなとこ目指してませんのでね、必要なかたはどうぞそっちの方へ」とコメントしておられました。まさにそのとおりで、枝雀さんは米朝師匠直伝の芸を超えたかたちで人を笑わせる芸風を開拓したわけで、芸風の比較など意味がないんです。落語に関しては枝雀の前に枝雀なし、枝雀の後に枝雀なし。ナニワの爆笑王桂枝雀こそ空前にして絶後という思いは揺るぎません。枝雀さんについてはいずれゆっくりと書く折があろうと思います。
年度末の慌ただしさは、歳末のそれとは微妙に違って切羽詰まった感が強いように感じます。年末はオフのせわしなさであるのに対して、年度末は100%仕事上の追い込みであることが主な要因でしょうよ。年度更新は仕事人生のひとつのケジメであって、自らの成長曲線のマイルストンでもあります。徒に馬齢を重ね来年度はなんと勤続30年の節目の年となりますが、振り返ってみて成したことの少なさと成長の跡の儚さ脆さがいまさらながらに重く感じられて落ち込んでしまいます。そんないささかブルー気味でどこか落ち着きのない日曜日の朝ですが、ここは素直に春の訪れを歓迎し、忙中閑のブログ更新を楽しむことといたしましょう。


朝からしとしと雨が降ってます。今日から3月。これからは雨が上がるたびに暖かさが増していきます。
