毎年のことですが、立春過ぎても「春は名のみ」の寒い日が続きます。
冬は冬らしくキンキンに冷えてこそ、四季の趣きも増してこようというもの。踏み切りが深いほど高く跳び上がれるのです。今ひとたびの大寒波を期待する昨今、巷にはワイドショーネタが次々と供給されている感があります。週刊文春のスクープが起爆剤となることが続き、日本の週刊誌ジャーナリズムの面目躍如といったところでしょうか。ポストや新潮も、後追いばっか書いてないでもっと頑張ってもらわないと。
そして、今朝のテレビニュースは、北朝鮮が発射するぞと喧伝している弾道ミサイルについて時間の大半を割いています。毎度毎度、国際社会に対する敵対的な姿勢を示すことでしか国民を統制し体制を維持できない、独裁者の稚拙かつお下劣なありようはなんとも哀れを誘います。いつも思うのですが、北朝鮮国民にも自国とその指導体制が国際社会においてどのように評価されているかということが、どんなに規制しても伝わるはずです。わが国にも多くの在日北朝鮮人が暮らしているわけで、彼らを介して正しい情報が本国にももたらされるはずなのに、いまだ多くの北朝鮮人民が「おかしい」と声を上げないのはなぜか。幼少期からの洗脳の威力を感じるとともに、世界史上の先人たちの努力と苦悩の結晶として人類が現代社会おいて勝ち得た、自由と民主主義という叡智を享受できないかの国の人々の境遇を思うにつれ、独裁者に対する憤りが増してきます。
さて、そんな緊張をよそに、ごく身近な出来事です。
だいぶ前ですが、職場となりにある大きな公園に繁る樹々について、あんまり切らないでほしいということを書きましたが、また切られました。
桜の木がたくさん植わってて、春には花見で賑わう広場の端っこ、舗道沿いに桜の古木が並んでました。毎日仕事の行き帰りこの舗道を通っており、春満開の頃に下を通り過ぎると頭に肩に花びらがついてきたもんです。
先週ある朝、いつものように通りかかると、舗道沿いに並んで立っていた5・6本の桜がなんと地面から1mほどのところでバッサリと見事に切り倒されてます。何年も見慣れた並木が突如として無くなってしまうのはなんとも寂しいもんです。公園の管理事務所の仕業やと思いますが、理由がわからない。古くなって枝が折れて落ちる危険がある、舗道沿いなので人がケガしないうちにいっそ切ってしまおということなのか、広がった根が舗道を持ち上げて人や自転車の通行に危険やというのでしょうか。
おかしいなぁと思っていると、なんと次の日には同じ場所に若木が植えられていました。もとあった木の根っこまで掘り起こして整地して植え替えられたわけです。早業にビックリ。
樹齢が何年かになると切り倒して植え替えるというキソクがあるのでしょうか。舗道のすぐそばに立ってる桜はほかにもたくさんあるし、せっかく大きく成長した桜の樹のうち、今回なぜこの並びのんだけがその命を絶たれる必要があったのか。これだけの作業を数日の短期間でやってしまうためには相当の労力が必要となり、勢いそのための費用もかなりの額になると思います。まさか年度末に向かって予算が余ってたなんてことはないでしょうし。
つらつら考えて思い至りました。桜の広場の桜木はソメイヨシノという名札がついています。わが国の数ある桜の種類のうち、ソメイヨシノは圧倒的な勢力を誇っていますが、そのすべてが人の手によって接ぎ木で増やされたクローンです。花が咲いてもサクランボが実ることはありません。そのせいかどうも病気に弱いし、本来の寿命も、大木に育つヤマザクラに比べて短いらしい。今回の植え替え作戦も、素人の見た目にはわからない病気に感染してたかなんかで、つまりは、やっぱり枯死または倒木の危険があったということでしょう。
以前書いたことの繰り返しますが、せっかく大きく育った貴重な樹木、可能な限り大切にして将来に伝えていきたいもんです。
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