近年、社会の急激な高齢化を反映して、高等教育界もどんどんと医療・福祉系の充実に重きをおいており、この傾向は一向に変化なくしばらく続きそうです。800校に迫る勢いで増え続けるわが国の大学ですが、最近の新設校、新設学部・学科は、医療・福祉系学部が圧倒的に多くを占めています。「バスに乗り遅れるな」状態で次から次へと新設が続いており、競争過多の様相ではと思うのですが、この情況はまだまだ続きそうです。
とくに看護学部の伸びはすさまじい。右肩上がりで増え続けています。かつて看護師さんになりたい人は、短大や専門学校に進学して国家試験に挑んだものでした。 「准看護婦」 なんて制度もありました。しかし、資質の高い看護師を求める社会情勢に応えるかたちで四年生大学が看護師の養成に参入しはじめ、一方それにつれて入学志願者も急激に増加しました。国が看護系大学の整備指針を出してからかれこれ20年になりますが、この間に看護学部を設置する学校数はほぼ20倍に増え、入学定員は実に30倍以上に増えてます。それほど看護師は不足しているということです。おりしも企業等への就職情況は超氷河期といわれるほどの厳しい情況にあるにもかあかわらず、看護学部の志願者はどんどん増加しています。
そんな中でわが摂南大学も、薬学部と同じキャンパスに看護学部を設置して2年が経とうとしています。学部棟には学生も増えて活気がでてきました。なんて、知った風に言ってますが、実は、学部があるキャンパスに足を運ぶことはほとんどないのです。義理を欠いてるなぁと思っていた矢先、今日、「開設1周年記念シンポジウム」なるイベントが開催されたので、よろこびいさんで行ってきたという次第です。
会場は超満員。大学関係者、看護学部の学生に加えて進学を目指す高校生の姿もあり、学部の順調な成長を嬉しく思いました。
基調講演は看護師出身で看護学専攻の東大の教授です。ご自身の経験の中で優れた研究成果を上げ、最前線で看護学の発展に寄与しているすごい先生です。近年の看護師さんのお仕事はきわめて高度化されており、高度な看護研究と高い専門性を有する看護師の業務遂行が現代の医療には欠かせないという主旨のお話でした。
人の幸せにとって医学の進歩はもとより大切ですが、加えて患者に対するトータルケアの領域の発展が必要なのです。現在の医療はチーム医療です。お医者の先生だけでは医療は成り立ちません。看護師、薬剤師、療法士、またカウンセラーなど、多分野の医療スタッフがそれぞれの専門領域で高度なパフォーマンスを発揮してはじめて医療は成り立つのやということをあらためて感じました。
近年のわが国の少子高齢化の進行は、およそ日本人がその歴史において経験したことがない事態です。年齢構成がどんどん上に向かって推移し、お年寄りが増えるに従って、ケアが必要な場面が増えていきます。そんな中、ひとの幸せというものを思う上で、医療はどうあるべきかということをしみじみ考えたいちにちでした。

の古代史と南北朝の中世史で歴史の舞台となりました。中世のヒーロー後醍醐天皇の活躍というかやんちゃぶりは、足利尊氏とからめてよく小説、ドラマで描かれてきました。一方、古代の方はあまり題材にされてないように思います。壬申の乱なんて古代史上最大の戦乱、大スペクタクルなんやから、大河ドラマの題材としてはもってこいやと思うのですが、未だ企画されません。黒岩重吾の「天の川の太陽」とか恰好の原作やと思うけどなぁ。やっぱりよく言われているように国営放送としては天皇のご先祖様を主人公にすることはタブーなんでしょうか。



今日は雨降りです。文化の日は確か晴れが多いいわゆる「特異日」やったはずですが、連休なか日に無情の雨という天気予報てきちゅう。昨日のハイキングの疲れを癒す完全休養日となりました。
この大宇陀というエリアの現状、わたしの故郷の吉野郡下市町に通じるところがあります。すなわち、明治から戦前までは地域の拠点として非常に栄えたけれど、高度成長期以降、人口の都市集中につれて鉄道路線が通っていないことが町の発展にとって構造的な欠陥となり衰退した点です。かつて、宇陀松山の繁栄から地理的にやや外れていた隣町の榛原に鉄道の駅が出現し、中心がそちらに移行したことで、現代的な利便性を欠いた大宇陀はジリ貧状態に陥ります。下市もかつて商業が非常に発達し大吉野地域の中心として栄えていたところが、近代化の時代に近鉄電車が駅を隣の大淀町に造っちゃったもんやから、それ以降衰退の一途をたどったのです。