2024年9月アーカイブ

風神雷神

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 秋が来ました。いつまで続くかと思われてた猛暑も、お彼岸を過ぎるとさすがに大人しく去っていきました。だいたい9月半ば過ぎても猛暑日があるなんておかしい、と友人も言うてました。巷間言われてるように確かに秋と春が短くなってます。そのうち日本が誇るべき四季の風情が損なわれ、いずれいちねんは冬と夏だけになってしまうなんて話が現実味を帯びてきます。皆さん、これからは息をするのを控えて、二酸化炭素を減らしましょう。

20240906_100840861_iOS.jpg さて、現下、セ界の終焉が訪れ、次の総理大臣も決まり総選挙が近づき、兵庫県知事による異次元のドタバタ劇にも進捗があり、涼風にのって社会的にも衣替えの季節到来の今日この頃。少し前のお話ですが、京都に行ったこと今日は書きます。

 暑かったころです。今も暑いけどさらに壮絶に暑かった今月初めのある日、仕事の関係で京都建仁寺の夜間拝観に招待をいただきました。

 建仁寺と言えば、京都の玄関口祇園四条駅から歩いてすぐの名刹です。過去、京都通の友人の伝手と計らいで、芸舞妓さんたちとの宴席にたびたび連れてってもらってますが、ここ建仁寺界隈の有名な料亭にも行ったことがあります。その際にも境内は歩きましたが、建物の中に入ったのは覚えてる限り初めてではなかろうかと。ただしさっこんだいぶんに脳の海馬が衰えてるので定かではありません。

 この日は、お寺と某情報通信企業とのコラボによる夜間拝観のイベント中にあって、少人数のご招待者だけ貸切、しかも通常入れないところも案内してくれるという、好奇心をくすぐるお話とあって、わくわくして出かけたわけです。

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 夜間拝観といっても、ただ明かりをつけて昼間と同じように観て回るというわけでなく、アート照明とシンセサイザー音楽の現像的なイルミネーションが上映されるという催しでした。近年、奈良でも東大寺や薬師寺といった超メジャーな大寺院の境内でコンサートが盛んに行われてます。お寺という伝統の極みと現代的なイベントのマッチングに時代を感じます。

 お堂の中、仏様の両脇でデジタルアートのプロジェクション・マッピングやら、中庭でスモーク焚いたりの演出効果もあり、塔頭全体に幻想的な空間を楽しむという、どうやらそんなイベントでした。おまけで座禅体験もあり、おかげで次の日まで足が痛かった。

 まあ、趣向を凝らしたイベントはそれなりに楽しめましたが、わたしとしては堂内に置かれてる国宝、俵屋宗達の「風神雷神図屛風」に一番コーフンしましたよ。ライトアートなんかどうでもいいんで、もっとよく見える明るい時間で呼んでほしかったわと、せっかく招待してくれた人にしてみれば身もふたもない感想が正直なところでした。

 20240906_091555346_iOS.jpgところがですよ、名画拝謁の余韻にひたりながら京都を後にし、その後調べてみたところこの日置かれてた屏風は「精巧な模造品」であることが判明しました。本物は劣化防止のために京都国立博物館で厳重に保管されてて普段は誰も見ることができないんですと。そらそうですよね。そういえば、立入禁止とはいえ部屋の畳の上に無造作に置かれてて写真もOKなんて、考えてみれば至極もっともなお話です。

 座禅の効果か、本物を見極める目を養わねばと悟った、ある暑い夜の出来事でした。

テロ国家許すまじ

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 能登の再びの被災が心配な三連休の中日、大阪もどんよりと雨模様の朝です。

 すごいですねー、オオタニサン。人類史上初めての50-50を達成し、なお昨日時点でその記録を52-52まで伸ばしてます。去年、WBC優勝の際に「こんな筋書きの野球漫画描いたら、ベタ過ぎて企画段階でボツ」と書きましたが、打者専念の今シーズンも、想像の斜め上をいく壮絶な偉業を続けてます。MVP間違い無し。聞けば、長いMLBの歴史の中でも純粋DHの選手がMVPを獲得したことは一度もないそうです。もはや空前にして絶後。まさにわれわれは日々、伝説を目の当たりにしている気がします。

 セントラル・リーグの優勝争いもいよいよ最終版に突入で、連日目が離せない。なんとも楽しいわくわくドキドキの日が続いた先週でした。しかし今朝はちょっとネガティブな話題書きます。

 意図が分からない。

 先週、イスラエルが敵対するレバノンのシーア派武装組織ヒズボラに対して卑劣なテロ攻撃を敢行し、子どもを含む多くの市民が犠牲となりました。

 その手口たるや、製品としてレバノンに出荷したポケットベルやトランシーバーに、製造段階で爆薬を仕込んでおき、遠隔操作で一斉に爆発させるという周到な計画による無差別テロでした。pocket_bell.png

 ポケットベルって、ひっさびさに聞きましたね。日本ではバブルの頃、24時間戦うビジネスマンの必需品で、どこにいても会社から呼び出されて近くの公衆電話からコールバックするというまだるっこしいシステムでもって外回りの営業を支えてました。その後若い世代にも広がり、表示される数字のゴロ合わせで意思疎通しあったりと、昭和の若者文化に浸透していきました。どろどろの不倫ドラマ「ポケベルが鳴らなくて」も話題になったりしました。それが90年代以降、携帯電話の爆発的な普及で木端微塵となって姿を消しました。

 それが今回、爆発で文字通り木端微塵になることでニュースに復活なんて洒落にもなりません。なんでも、ヒズボラのメンバーは位置情報がイスラエルの諜報組織モサドに伝わらないように、携帯電話ではなく時代遅れのポケベルを使ってたとか。そんならというわけでそのポケベルを利用した作戦を立案した、やっぱりイスラエルは悪知恵が働く。卑怯なことをやらしたら天下一品ですわ。

 過去にも書いてきたようにイスラエルは敵が多い。さらに神様がついてて自分たちが正しいと信じ込んでるんで始末が悪い。周辺をイスラム国家に囲まれてずっと四面楚歌の状態にありながら、その強大な軍事力をたてにやりたい放題やってます。特に現在のガザ地区の惨状に象徴されるパレスチナに対する迫害は、およそ人間として本来備えているはずの良心を捨てないとできないジェノサイドです。

 Jews.pngそんな状況の中で、なぜ今レバノンなのか。確かにレバノンは70年代の内戦以来イスラエルとは長年にわたり対立して、今なお交戦状態にあります。しかし、イスラエル、目下の敵はパレスチナでしょうが。ガザでの非人道的行為がアメリカを除く世界中から叩かれ国民からも停戦を求める声が出る中で、さらにレバノンに対して卑劣なテロを行って何の意味があるのでしょうか。市民を巻き込んだ無差別攻撃にどんな大儀があるというのでしょうか。イスラエルの国民はこの暴挙を支持するのでしょうか。

 政権の暴走なのか、それとも国民の世論がふたたびのアラブとの全面衝突を望んでいるのでしょうか。ユダヤ教に帰依した国民は平和を望まないということでしょうか。わけがわからない。

 一つ言えるのは、どのような屁理屈をこねたとしても、ガザでのジェノサイドからイランでのハマス幹部殺害、さらには今回のレバノンでの大規模テロなど、イスラエルによる蛮行は言語道断の国家テロであって、絶対に許されるものではないということです。混沌の中東に対して、フヌケの国連による和平工作は全く期待できません。安全保障理事会において拒否権をもつ常任理事国のロシアが自ら他国を侵略して市民の虐殺を続けている状態で、もはやその機能不全は明白です。さっさと解散すべきです。

 ここはひとつ、紛争に何の利害もないわが日本国が介入して和平交渉を主導すべきです。ただし、その場合は、レバノンに逃亡しているカルロス・ゴーンの日本への引き渡しを条件とするのがいいと思います。知らんけど。

はがねのメンタル

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 先週に続き所用で出かけており、日が暮れてからブログを更新する三連休中日です。

 先日のエントリーで、どうせ辞めることになるんやから周りに迷惑かけずにとっとっと辞めたら、と書いた兵庫県斎藤知事の話ですが、なんと彼はわれわれ常人の考えが到底及ばないモンスターやったようです。

 現下の状況を客観的に考えてみるに、もう自分の味方はまったくおらず、知事の座にあり続けても生き恥を晒すだけであることは、本人にも理解できているはずです。  

 しかるに、辞めない。

 兵庫県のみならず、全国民から浴びせられる容赦ない批判は極めて厳しいものがあります。当然です。今回の問題はあまりにも正邪が分かりやすく、知事は批判されて当然なのです。叩かれた芸能人みたいに「ごめんなさい、すぐ辞めますから勘弁してください」となる局面です。にもかからず、集中砲火を浴びても揺るぐことなく「任期を全うしたい」と言ってのける。大したもんだ。これくらい徹底して開き直れる強いメンタルの持ち主でないと、恥知らずなおねだりやパワハラのやりたい放題はできなかったと考えるべきか。saito.jpg

 当初、知事に推薦した維新の会もとうとう匙を投げ、辞職を申し入れました。県議会のすべての会派から引導を渡されたわけです。しかし、知事というのは議員さんたちが選んだわけではないので「私は有権者の負託を受けて知事になった。議員が何言おうが関係ない。」と、仕組み的にはそのとおりなんですよね。首長と議会の二元代表体制は地方公共団体の適正な運営には有効な制度です。

 知事の座にしがみつくこいつを辞めさせるにはどうすればいいか。選んだ有権者が、住民投票によるリコールで失職させることがいちおうの仕組みとしてはあるのですが、兵庫県で今回リコールを成立させるためには、法律に基づいて算出すると36万6372人以上の署名が必要なんやそうです。これは至難の業で、とても現実的ではありません。実際、過去に都道府県知事のリコールが成立した例は一度もないそうです。

 もうひとつ、不信任案可決という手があります。議会からのレッドカード提示です。全会派つまり議員の皆さん全員が知事に「辞めなさい」と意思表示してるんで、不信任案が出されれば可決されるのは間違いない。それで知事が素直に辞めれば問題ないんやけど、知事には伝家の宝刀、議会を解散するという手があります。知事辞めろという議会が正しいか、辞めない自分が正しいか、新しい議会を作ってそこで判断させようという仕組みです。新しい議会で再度不信任案が審議され、「やっぱ、この知事ダメだわ」となって可決されれば今度は自動的に失職となります。

 今回の場合、議会が新しくなっても不信任案が可決されるの100%確実なんで、議会の解散からの選挙なんて意味がなく時間とお金の無駄です。知事が自分をクビにした議員たちに対する復讐という意味しかなくて、そのために本来やらなくてもいい選挙で税金が費消されるのです。聞けば16億円かかるらしい。福祉の向上など県民の利益に使うべき貴重な予算を、ひとりのバカのわがままのためドブに捨てることになるわけです。これはダメだわ。

 知事の解散権は本来、なんらかの政策に関して議会と知事の意見が合わず、双方クビを賭けて有権者の信を問うためのもので、今回みたいにどちらが正義でどちらが悪かが明らかな場合はやっちゃだめなんです。

 しかし、こいつに限ってはおそらくやるんやないでしょか。知事になること、その座に居続けることが人生の目標であったかのようで、自暴自棄になる気持ちは分からんでもない。しかし最低限、人としてやってはいけないことはあるわけで、悪人の最後の理性に淡い期待をいだきたいところです。

口内どんぶり

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 明日から出張で週末お家にいませんので、珍しく平日の夜にブログを更新しとります。

 kadojin.jpg秋めいてまいりました。今週は遅い夏休みをいただき、ふるさと近くの洞川温泉で英気を養ってまいりました。日が落ちると気温はなんと20℃。へたすると肌寒く感じるほどの下界との温度差は、さすがに山の上です。そろそろ紅葉も色づき、この地にはひとあし先に秋が確かに訪れていました。

 さて、前回のエントリーに続いてお米関連の話です。

 ネットニュース見てたら「口内丼」なる新語についての記事がありました。何かと読んでみると、日本人の食事の方法についた名前やそうです。

 われわれ日本人はごはんを食べるときに、まずおかずを口に運び、咀嚼しながら同時に白飯を口に運び、口内でごはんとおかずを一緒にして味を楽しみ、しかるのちに飲み込むという方法で食事を進めると。なるほど、その通り。

 ところが、この食べ方がなんと食事マナー違反という見解があるとゆうのです。なんとなんと。特にインバウンドの外国人にとっては抵抗があるらしい。連中は日本の観光地で食事の際に「なんとか定食」を頼んでも、基本まずおかずを全部食べてからそのあとにドンブリ飯だけを食べるんですと。おったまげー。

 つまりですね、西洋人は、食事とは出てくる料理を順番に食べるのであって、ごはんと一緒に掻っ込むということをしないと。そもそもごはんやなくてパンなんやけど、パンが一緒に出てきても、あくまで料理は料理、パンはパンと別々に食べます。確かに、フレンチやイタリアンのコースではこの食べ方を強制されます。和食の会席でも料理が順にでてくるので同じっちゃ同じなんやけど、これは料理をことさらに楽しむ特別なシチュエイションであって、日々三度三度のごはんをいただく際には、おそらくほぼすべての日本人が「口内どんぶり」状態で食事を進めます。

 この食べ方の場合、必然的に口内に食べ物がある状態で口を開くから、内部を人目にさらすことになり、西洋人にはどうやらこれが「マナー違反」と映るらしい。だから、ドンブリ物やカレーライスなんかのように、はじめから混ざってて一度に口に運べるメニューはごはんとおかずを混ぜてもOKという理屈です。katsudon.png

 純粋日本人のわたしにしてみれば、なにをバカなということになります。いろんな料理との味のコラボを楽しんめてこそごはんが主食といわれる所以やないですか。おかずだけ食べて、ごはんはごはんで食べるなんて考えられません。このあたり、悠久の歴史に根差した食文化の違いで、おもしろいところです。

 そいえば、日本人はうどんやお蕎麦を豪快に音を立ててすすって食べますが、欧米ではこれもひどいマナー違反になると聞いたことがあります。「ヌーハラ(ヌードルハラスメント)」とゆうそうです。まあいろんなハラスメント考えるもんやと思います。

 西洋人はすする文化がないのやそうです。日本人の食べ方を見て衝撃を受けて試しにやってみた人がいて、麺が気管に飛び込んで死にそうになったなんて話もあります。西洋人さん的には、すする行為はマナー以前に命に関わる禁忌なのです。麺をすすれない、正座もできない。外人さんのなんと不器用、不憫なことよ。しかし、ラーメンは外国人観光客にも鉄板超人気の日本食ですが、そんなら連中はいったいどやってラーメン食べてるんやろ。

 温泉など観光地の日本旅館では、たいてい夕食は豪華会席料理です。

 しかし、わたし実はこの「会席料理」全般が苦手、ということをかつて書きました。あまりたくさん食べられないので、メインの肉料理が出てくるまでにほぼ満腹してしまうのです。

fugu.png 今週の洞川ではフグのコースでした。なぜに超絶山の中の天川村でフグなのかについては別の機会にまた記すとして、とにかくフグ。焼きフグ、てっちり、てっさ、フグ尽くしの会席料理はまあなんと美味しかったこと。しかし、美味しいからといっていくらでも食べられるものでもなく、「このあとシメのラーメンです」という案内に思わず「参りました」と、シメはすっ飛ばしてデザートへと向かったのでした。

 だからね、順番にお料理一皿ずつやなくて、いっぺんに全部並べてほしいと希うわけですよ。ちょうど、旅行パンフレットの写真みたいに。そうすれば自分のペースで好きなものから好きなだけ食べられて、ひょっとしたら完食できるんやないかと思うんですが、ダメなんでしょね、きっと。

令和の米騒動

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 変な台風がきました。いつものように日本列島を通り過ぎず、ゆっくりと長居し今なお近畿地方上空で迷走してます。太平洋上の高気圧に阻まれて、上空の偏西風が弱まってるからやそうです。おかげで長雨が続きました。誰かがテレビで言うてましたが、普通、強い台風が沖縄付近まできたときは「勢力を維持しながら」北上するのですが、今回のんは「発達しながら」列島のすぐそばまで来たと。地球温暖化、日本の熱帯化の表れではないかということです。10go.jpg

 さて、今日のお話。お米が品薄やそうです。スーパーの売り場からお米が消えてると。わたしは食糧の買い物には行かないので知らんけど。

 買い者客が「すわ、お米が品薄やん。値上がりする。買っておかねば」というわけで、さらに売れて不足します。それがニュースで取り上げられて視た人が「すわ、お米が買えない。買えるうちにカクホしなければ」というわけで、さらにさらに品薄になります。今ここ。

 しかし、お米大好きなわたしはまったく慌ててません。スーパーの店頭からは消えましたが、ネットではまだ普通に買えます。街のお米屋さんでも充分商品は並んでます。さらに、ふるさと納税のサイトでも返礼品のお米は絶賛 ON SALEです。もうしばらくすると早稲の新米が市場になだれ込んできます。秋が深まるころには品薄も解消するでしょう。今、あちこちで買い溜めした人は、買い置きした古米の処分に困るなんてことになるのです。

 去年の猛暑による不作が原因らしい。米どころといわれている巨大生産地での作柄が著しく悪かったと。「梅雨に降って土用に照ると米は豊作」といわれますが、照りすぎて気温が高いとかえって具合が悪いのです。加えてコロナ禍終息で外食産業での米の需要が増えたことや、インバウンドも影響しているらしい。日本のおいしいお米がそっくり来日観光客の胃袋に収まってると。

 30年以上前になりますが、同様に米が不足して「平成の米騒動」なんて言われた年がありました。わたし結婚した年でよく覚えてます。この時は今年と逆で、冷夏の影響で不作となり極端に供給量が減りました。国の在庫米を吐き出しても到底足りない。米農家さんが自宅用のお米をお店で買ってたそうです。政府は急遽タイから米を輸入して流通にのせました。ところがタイ米はいわゆる長粒米というパサパサなやつで、これがとにかく日本人の口に合わない。日ごろ食べてるごはんの代わりにはとてもならず、ピラフやカレーなど色物に加工しないといけないシロモノでした。biden2.jpg 当時わが家では、お米は近所のお米屋さんでビールといっしょに配達してもらってました。ある日の夜、その店の大将が突然「配達でーす」とジュースのダンボール箱を抱えて現れました。うちはビールしか飲まんこと知ってるやろに、おやじ何をトチ狂ったかと思ったところ、箱の中にはなんと流通が絶えた貴重なコシヒカリ5kgの袋が。注文もしていないのに、日ごろのご愛顧にお応えして優先してお持ちしましたというではありませんか。嬉しかったわー。今みたいにスーパーや量販店で買ってたらこんな恩恵はまずありません。平成のはじめ、良き時代の風景でした。


 日本人の歴史はお米とともにあります。日本という名前が付くまでこの国は「豊葦原千五百秋瑞穂国(とよあしはらのちいおあきのみずほのくに)と呼ばれてました。「いいお米がいっぱいとれる素晴らしい国」という意味です。江戸時代にはお米の石高が三百諸侯各藩のGDPを表し、税金は年貢米で徴収し、お侍さんは給料をお米でもらってました。米本位経済制度が確立していたのです。庶民は、オカズがなくてもとにかくお米を腹いっぱい食べられたら満足という食生活でした。何回もあった飢饉も乗り越えました。広々とした美しい田んぼは農耕民族日本人の原風景です。夏に水を湛えた田は洪水を防ぎ、新鮮な空気を供給し、気温を調節し、人の心に安らぎをもたらします。
yayoi_inasaku.png 欧米では、ライスは肉や魚の付け合わせ野菜に過ぎませんが、わが日本では堂々たる主食です。花といえば桜のことを指すように、ごはんといえば米飯のことです。パンやパスタがこれだけ普及してもお米の地位は絶対に揺るぎません。

 明治維新以降、軍部のバカヤローたちが戦争なんか始めたせいで昭和の始めから戦前戦後までは、庶民がお腹いっぱいごはんを食べられない苦難の日々もありました。ヤミ米を買うことを拒否して餓死した裁判官もいました。しかし、日本人は頑張った。米の生産を増やせ!と、日本で2番目に大きい湖をぜーんぶ埋め立てて田んぼにしてしまった。品種改良や技術の進歩もあって生産高はうなぎ上り。そして、戦後復興なって高度成長の時期にはなんと、逆にお米が余ってきました。

 そこで大阪万博の年に減反政策が始まります。農家さんたちは自由にお米が作れなくなった。休耕田の札を上げて草ボウボウにしとくか畑に転作すれば、米を出荷して得られる何倍もの額の補助金が国からポンと支給されます。これでは誰もお米を作ろうとは思わない。2018年に減反政策は廃止されますが、転作に対する補助金は残ってて、実質的に国よる米の流通と米価管理は続いてます。米価を維持するためにギリギリのところまで生産量を絞ってるんです。だから今回みたいに、ひとたび不作でお米が品薄になると慌てるのです。

 生産農家が市場経済の原則に沿って、切磋琢磨、競争して安くて美味しい品種をどんどん開発し、作りたい銘柄を作りたいだけいくらでも作れる仕組みの方が、需給が安定するんやないでしょか。

 日本で、お米が不足して狼狽える、なんてことはあってはならんのです。

WELCOME

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PROFILE

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katsuhiko

男 

血はO型

奈良県出身大阪府在住のサラリーマン

生まれてから約半世紀たちました。

お休みの日は、野山を歩くことがあります。

雨の日と夜中はクラシック音楽聴いてます。

カラオケはアニソンから軍歌まで1000曲以上歌えます

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