革命の季節

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 昨日伝わった話題、日本赤軍の元最高幹部、重信房子が刑期を終えて出所しました。

 ひさびさにこの名前を聴きました。wikiのプロフィルには「テロリスト、革命家」とあります。国際指名手配されていたところ、2000年に大阪で見つかって逮捕されました。1974年のハーグ事件の犯人の一人として、逮捕監禁、殺人未遂の罪状で起訴され懲役20年の判決を受けて服役中でした。FUSAKO4.jpg

 あさま山荘事件が1972年、ハーグ事件がその2年後、その26年後に重信が逮捕され、さらにそれから20年が経ったという時の流れの加速度に驚きます。あさま山荘では、当時小学校4年生のわたしもご多分に漏れずテレビの生中継に見入りながら、こんなドラマやマンガのような事件が現実の世の中でも起こるんやなと思ったもんです。

 学生を中心とした新左翼団体の革命ごっごは山岳ベース事件やあさま山荘事件を境に急速に社会の支持を失い衰退していきますが、学生の遊びではない筋金入りのテロリストと化した日本赤軍のメンバーはその後、テルアビブ空港乱射事件、クアラルンプール米国大使館占拠事件、ダッカハイジャック事件など、世界各地で凶悪なテロを実行し、世界中から恐れられる集団へと大化けします。PFLP(パレスチナ解放人民戦線)はじめ、世界中の暴力革命を目指す組織との連携を進め、制圧された日本国内の活動とは反対に、世界中に革命の機運を盛り上がげていきます。重信はこの間、テレビのワイドショーに出演しインタビューに応じたこともありましたが、ハーグ事件の後は結局指名手配されました。日本の公安も黙っていない。日本赤軍をなんとかしなければ日本が、今のシリアやロシアのようなテロ支援国家として世界中にさらに迷惑をかけてしまいます。そして、世界中に潜伏していたメンバーの多くが次々に逮捕されていきますが、坂東國男や岡本公三、大道寺あや子、さらにはよど号の実行犯などいまだ逃亡を続けているメンバーも多くいます。

FUSAKO3.jpg 重信は、手配されて後も、世界革命を目指す「テロリストの女王」「魔女」などともてはやされますがその行方は杳として知られてなかったところ、実は大胆にも偽造旅券で不法に日本に舞い戻り、赤軍派残党一味の援助を受けて潜伏を続けていたのです。日本赤軍最高幹部の逮捕は当時大々的に報道されたので、わたしも覚えています。連行される際に手錠の両手でサムアップしながらカメラに笑顔で応える姿が、日本赤軍の革命の季節の終わりを象徴していました。そうか、あれからもう20年も経ったのか。

 直接の逮捕容疑となったハーグ事件において重信は現場にいたわけでもなく、当然実行犯でもありません。しかし共謀共同正犯として逮捕され有罪とされました。事件自体に直接の関わりはないけれど、実行犯を指揮した事件の首謀者とみなされたわけです。さらに、実行犯でもないのに懲役20年という、無期を除くと当時最長の極めて重い判決でした。普通なら殺人などの凶悪事件でも、20年はあんましありません。「共謀共同正犯」という概念は、私が学生時代に所属してた刑法ゼミの教授が学会で中心となってこの学説を唱えていたので少し馴染みがあるのですが、当時の通説・判例において主流ではありませんでした。にもかかわらず、日本の司法は、重信をことさらに重く裁くために主流ではない刑法理論に根拠を求め、主犯と位置づけたのです。さらに服役後仮釈放もありませんでした。これは言うまでもなく、日本赤軍という近代史上最大の国家反逆集団の首領であるがゆえの、公安警察の国民に対する見せしめにほかなりません。国家転覆を企てそれを実行に移す、破防法に基づく公安の監視対象団体の前には、武闘派の指定暴力団もかすんでしまうのです。

 刑期満了出所後も重信は、共産主義暴力集団である現在の日本共産党や、オウムの残党同様に、一生、公安の徹底した監視下に置かれるでしょう。

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