明日は早朝からゴルフコンペに出かけるので、土曜日にブログ更新しております。真夏、真冬の時期には苦行と化すラウンドも、この時期は実に楽しい。スコアが付いて来ればさらにいうことないわけですが、そこは贅沢はいいません。楽しめれば良いとしましょう。
さて、NHKのBSでやってる「幻解!超常ファイル/ダークサイド・ミステリー」が好きでよく視るわけです。
かなり前にも書きましたが、昭和の頃日本では「夏の夜におくる戦慄の心霊写真特集」だの「宇宙人はあなたの隣にいる!」だの「今夜明らかになる超能力のすべて」だのは、ゴールデンのスペシャル番組として不動の人気を得ていたもんです。それが今やテレビでは幽霊やUFOなど怪奇、超常現象のたぐいはめっきり見なくなってしまいました。
理由ははっきりしてて、現代社会において科学的根拠のない情報を流布することは国民にいらぬ不安と恐怖を与えるので好ましくないというお上の意向が働いているからです。日本の現代史において、オウムなどのカルト教団に洗脳される人たちがあいつぎ多くの人が殺されるなどした不幸な経験が影響しています。分からなくもないですが、これはまことに嘆かわしい風潮です。
NHKのこの番組、「幻解」という造語で分かる通り、単に謎と恐怖をそのまま伝えるものではなく、超常現象とされている不可解な事象を科学的に解明することを主眼としています。国営ペイテレビのNHKが政府の意向に反して、超常現象を超常現象のまま流すわけにはいかないわけです。
しかしながら、超常現象は不可解なものではなくてすべて科学で解明できるとするこの姿勢は、人間の驕り以外のなにものでもなく自然を畏れない不尊な態度であるといえます。
以前、友人を誘って奈良県川上村の山奥に吉野川の源流を訪ねたときのことを書きましたが、ガイドの先生は、かつてこの川にはガタロウ(河童)が住んでて、普通に村の子供たちと遊んでいたと力説されてました。
また、わたしが愛してやまない桂枝雀さんは生前、キツネやタヌキは、昔は当たり前のように人を化かしてた。しかし人間が驕り高ぶり自然を畏れなくなったため、もう、化かす化かされるという人間とのコミュニケーションをとってくれなくなったのだ、と述べておられます。動物園の狐、狸は逃げようと思えば簡単に逃げられる。しかしそれをしないのは、もう人間を友達と見なさなくなったため本来の力を見せてくれなくなった結果である、実に悲しい話だとする説です。私も例によって枝雀説に賛成です。
つまり、超常現象はこの世界に厳然としてあるのです。ないはずがない。解明されたとするのはごく一部であって、たまたま科学的な理屈が判明したものをことさらに取り上げているにすぎません。
宗教なんてのもいってみれば非科学的体系の極みです。出エジプトのモーゼが海を割っただの、聖母マリアの処女懐胎だの、キリストは昇天して復活しただの、人類が現代世界を築いてきた原動力として大きな役割を果たした宗教というコンテンツは、科学とはまったく相容れない事象をその存立の基礎としているのです。かつてのソ連のように共産主義の名のもと宗教を完全に否定した社会が破滅への途を歩んだように、科学万能など幻想にすぎないのであって、超常的なものに対する無条件の信奉こそ人類の進歩を後押ししてきたのです。
超常現象は確かに存在する、そう考える方が夢があるやんか。人間がみずから夢を潰してしまうことはありません。
幼い頃、夜トイレに行けなくて困るくせに、怖いもの見たさで食い入るように見入っていたあの心霊写真特集を再びと乞い願う、今日この頃であります。
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