天気予報がはずれ、うららかな日が差す日曜日の朝です。
昨日は、故郷吉野に出向き、中学校時代の同級生たちと恒例の吉野山花見宴会に参加し、昼間から延々と飲み続けてきたようなわけで、今日は完全休養日です。あいにく開花は進んでおらず、さらに降ったり止んだりの空模様でした。しかし、もとより花見は友人たち集合の口実に過ぎず、飲んでるぶんには降ろうが晴れようがさほど気にもせず、むしろ雨に煙る吉野山もそれなりに風情があったわけです。
さて、先週の世界的なニュース、米軍がシリアを空爆し、例によってロシアと侃侃諤諤の非難合戦がはじまりました。
遠い中東の小国の内戦のことなんか放っときゃええのに「生物兵器の使用に対する報復攻撃は米国の国益に叶う」のやそうです。ご苦労なことです。まあ、世界の警察を自認する米国、せいぜい頑張ってください。
警察といえば先週、警察署に行ってまいりました。といっても、ワタシが個人的にいわゆる「警察のお世話になった」わけではなく、業務上の所用であったわけです。
刑事さんたちとお話ししてて、つくづく思ったこと。警察は正義の味方、ヒーローなのであります。身にやましいところがない人はお巡りさんの姿を見ると安心し、身にやましい何かがある人はコソコソとお巡りさんを避けていきます。国民は自分の生命・身体・財産を守るとき、また、身に降りかかるトラブルを収拾する最後のトリデとして、警察に対して無条件に全幅の信頼をおいています。そして警察はその負託に応えていかねばならないわけであって、友人や知り合いにも警察関係者が何人もいますが、つくづくタイヘンなお仕事やと思います。
そいや先月千葉県で起こった、小学女児殺害事件ですけど、まだ犯人が逮捕されていません。しかし、優秀な日本の警察のこと、水面下で捜査は粛々と進んでおり、早晩検挙されることでしょう。
物騒な世の中になったといわれます。しかし世界を見渡すと、小さな女の子がたったひとりで自宅と学校を行き帰りしていることがむしろ異常なんであって、テレビ番組「はじめてのお使い」なんて、国際的には虐待以外のなにものでもないという評価である、ということをかつて書きました。
日本の治安の悪化が世界レベルに追いついてしもて、安全神話が崩壊してしまったとすれば、なんとも忸怩たる思いであります。
集団登校の効果がよく言われます。今回の事件も女の子ひとりきりでなければ、おそらくは被害に遭うことはなかったでしょう。
思い起こせばわたしも小学生の頃は集団登校していました。毎朝集合場所にみんな集まってからゾロゾロと学校に向かってました。保護者の付き添いなどありませんでした。犯罪など皆無の田舎町のこと、交通安全のこと考えると、集団でいるよりバラバラの方がクルマが突っ込んできたときの被害が少ないように思うし、今にして思えばなぜに集団登校する必要があったのか謎ではあります。しかし、お友達とワァワァじゃれあいながら登下校、それはそれで楽しかった思い出です。
今回の事案を契機に通学の安全がさらに叫ばれることになるでしょう。世の中が複雑になるほど危機管理の要求は増していきます。警察が活躍しなくてもいい安全な日本の社会を取り戻したいもんです。どっかの国が空爆に来ないうちに。
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