先週、都内で某省庁主催の協議会に出席しました。
さすが政府のイベント、演壇にはきちんと国旗が据え付けられていました。
社会の一員であることの矜恃と主権国家国民であることの認識は、憲法に保障された国民の権利と義務を享受するための前提です。国民の圧倒的支持と適正な法令に基づいて日の丸を国旗と定めるわが国においては、国の象徴である国旗に敬意を払うことは、別に誰に強制されているわけでもなく、人間としての自然な感情の現れです。
学校の式典で日の丸掲揚反対だの国歌斉唱拒否などという愚かな話はあまり聞かなくなったように思います。当然のことを当然として受け入れられるように、社会と民度が熟成してきたのであればいいのですが。
とは言うものの、マレに「日の丸がキライ」という人がいるのは仕方がないことです。思想・良心にも個性は必要ですから。けれど社会の一員としての、自分の存在根拠を否定する考え方しかできない人は、可哀想やなぁと思います。
帰りの新幹線で夕闇に沈んでいく富士を眺めながら考えました。
明治の昔、新都東京と京都を結び国家建設の中核とする幹線鉄道の敷設にあたって、内陸(中山道)か、海沿い(東海道)か議論があったけど、結果的に東海道線にしよってことになったそうです。これは良かった。その後、昭和の東海道新幹線へと続いていくのですが、何が良かったって車窓に富士山がある。過去、明治の近代化、大正の民主主義の成長から昭和にはあの戦争からの奇跡的復興、その間、日本の大動脈を担った東海道線、東海道新幹線の車窓から、延べ何百億という国民が富士を眺め、この国の尊さ、偉大さと国民である誇りをその深層心理に植え付けてきたのではないか…
今あらためて書いてみるとどうにも妙な話ですが、疲れとトロンとしたほろ酔いの中でこの日、確かにそんなことを考えてました。
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