令和5年この一年

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 年の瀬です。ビールも大量に買い込み、迎春に向けての準備はちゃくちゃくと進行中であります。

 いつも週末に更新するこのブログ、今週末は大晦日からの年越し一連のイベントで多忙が見込まれるため、今年最後のエントリーは年末特別番組として平日にお届けします。

 今年一年、振り返ってまあいろんなことがありました。20231224_030226504_iOS.jpg

 いちばん印象に残っているのは、やはり野球でしょうね。大谷選手の活躍もあってWBC優勝で日本中が盛り上がり、全国民がこぞって歓喜に沸いたのが3月のことでした。

 その大谷選手、いまや日本一のヒーローとなりました。メジャーリーグでホームラン王かつ投手としてもシーズン10勝をあげるなど、いまや英語でも日本語でもこの偉業を賛辞する言葉が見つからない有様です。一部では、大谷は宇宙人やとの疑惑もささやかれています。時代はヒーローを求めます。大谷選手は昨今の日本の政治家どもの情けない在りようの対極に位置する、当世最大の英雄であります。今年を象徴する人をひとり選べとなったら、日本国内では満票で大谷選手に決まります。国民栄誉賞なんてチンケな誉め方では到底全国民が満足できません。もうね、すごい。エライ。

 そして、わたしとしてはやはり阪神タイガースの日本一は今年の十大ニュース筆頭に据えなければなりません。阪神ファンはタイガースが生活の一部、身体の一部と化してるわけで、その感情は単に「応援してます」とはレベルが違った領域のものです。同じようなファンは全国に多々おり、今年はまさにご同慶の至りといえます。御堂筋の祝賀パレードには100万人が詰めかけました。100万人ですよ。中継を視るにその光景たるやまさに圧巻でした。近年これほど多くのひとびとが一所に集い、心をひとつにして喜びと感謝を発露することがあったでしょうか。阪神タイガースの日本一の偉業は絶賛されてしかるべきです。WBC→大谷→阪神。今年は野球で夢と希望と元気をもらった年でした。

 次に、自然との付き合い方として、コロナの5類移行と夏の暑さが印象深かった。4年間にわたり全世界を席巻し多くの死者を出した中国発祥のコロナウイルスもどうやら下火となり、世界的に社会経済活動が復活してきました。この間人類は移動を控え人混みを避け、知恵を絞って感染を押さえ込むことに腐心しました。「やりたいことができない」4年間でした。いよいよその頚城から解放されたことは来年に向けての明るい希望と言えます。インバウンドも戻り景気の上昇が期待されますが、オーバーツーリズムはじめコロナ後の社会的リバウンドにもしっかり対処していきたいところです。

parade.jpg そして、夏が異様に暑かった。今年だけの異常気象であってほしいと不安は尽きません。

 そんな自然の驚異にヒトが屈する中で、愚かな人間どもの所業も相変わらずで、ウクライナ情勢は収束の気配すらなく、プーチンは、核の玩具を盾に国際社会に反目する北鮮キム王朝の首魁とともに、現下地球上最悪の独裁者、全人類の敵です。なんとかこれを駆逐する方法はないものでしょうか。国内でも闇バイトや連続強盗事件の首魁「ルフィ」が捕まり、ビッグモーターの勘違い経営者が辞任するなど犯罪に関するニュースが目立ちました。中でも最も凶悪な事件が、自民党議員による裏金問題でした。「令和のリクルート事件」と称される近年まれにみる一大政治スキャンダルと言えます。年内に決着はつかんでしょうけど、検察はこの際徹底的に頑張ってもらいたいところです。検察といえば今週、外為法違反に関する違法捜査事件でとんでもないヘタを打ち、国と東京都(警視庁)に対して損害賠償を命じる判決が出ました。日本の刑事司法上の一大汚点です。汚名返上のため信頼回復してもらいたいところです。裏金がらみで大物政治家の逮捕が何件でるか、国民は大いに期待しています。

 さて、そんなわけで今年も終わっていきます。ブログ初めて10年とちょっと、今年のエントリ―つらつら読み返してみれば、拙い文章とお粗末な内容には何とも悲しくなります。しかし、陸続と心にうつりゆくことどもの発露として楽しんでいく分にはまあいいかと、これも毎年思うところです。

 今年もおつきあいいただいた皆様、どうもありがとうございました。来る年2024年が皆さまにとって素晴らしい年となるようお祈りいたしております。

切手代の憂鬱

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 クリスマス・イブです。街はジングルベルに浮足立ち、LEDのイルミネーションが、コロナ禍明けて最初の歳末にカネを使いやすい雰囲気を演出しています。わたしもあと1回で今年の忘年会もおしまいです。インフルにも気を付け年甲斐もなく羽目を外すことのないように自重してまいります。irumi.jpg

 さて、来年の秋から郵便代が値上げされるそうです。

 はがきが63円から85円、封書は今25gまで84円、50gまで94円なのが、どっちも110円に統一となります。消費増税がらみでない値上げははがきが7年ぶり、封書は実に30年ぶりやそうです。

 お手紙1通100円(税別)か~。諸色高値の世情とはいえ、ちょっと高いなと思います。わたしの記憶にある最初の郵便料金は小学生の頃、はがき7円封書15円でした。はがきは10倍以上の高騰です。日銀の資料によるとこの間の消費者物価指数は約4.3倍なので、郵便料金は物価上昇を差し引いても2倍以上高騰してることになります。

 しかし一方でつらつら考えてみるに、郵便制度は近代国家の基本事項、根本事業として優先して整備されてきた歴史があり、全国一律料金で確実に親書が届くという仕組みは、すごい社会インフラと言えます。仮に郵便が無かったとすると、親書や荷物すべて自分で、あるいは誰か別の人に頼んで自家用車や電車バスに乗って運ばなければならないわけで、その経費負担を考えると封書100円安いもんです。

 その制度が社会の変革によって苦しんでいます。実は、今回値上げしても今の郵便事業の赤字の解消は1年しかもたずその後再び大幅な赤字が予想されてて、もう値上げでの対処は難しく構造的抜本的改革が必要ということです。

 adpDSC_8804.jpgそらそうですよね。今やインターネット通信の爆発的な普及で、アナログの極みである手紙やはがきが大きく減りました。社会活動上の様々な手続きもネット経由になって手間が減り、スピードも格段にアップしました。懸賞の応募もネット、ラジオ局へのリクエストもネット、年賀状もネット。はがき書くより簡単かつ高速。さらに企業活動でも諸事デジタル化に加えて経費削減・虚礼廃止のトレンドから年賀状の発行枚数も激減しています。もうね、そのうち郵便ポスト無くなるかも知れません。わたしも過去、若くて交遊が活発な時代には300枚以上の年賀状をやりとりしてましたが、近年は半分以下に減りました。同年代の知り合いに「年賀状仕舞」の宣言も増えてきました。送り送られは楽しいものではありますが、そこに費やす時間と手間と費用を考えると自分もそろそろかなと思ってます。

 かつて、昭和の高度成長時代には郵便事業もイケイケで、記念切手も出せば完売してました。それらは郵便物に貼られずマニアのコレクションとしてストックされることで国の丸儲けとなってたのです。「将来値上がりするかも」という幻想に騙されて大損したマニアたちの惨状については何年か前のエントリーで詳しく書きました。郵政事業の回復に向けて打つ手は限られてきていることはあきらかです。

 そういえば、私も最近お手紙書いていません。もはや、万年筆を使って手紙を書くなんてことは一部の粋人のマニアックな趣味となってしまったのでしょうか。わが国の郵政にかつての勢いを取り戻してもらうため、応援の意味を込めてたまには手紙、はがき書いてみようかなと思います。

政治とカネ再び

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 うわー!気が付けば、師走も半分行ってしまいました。今年が終わっていきます。大掃除してない、忘年会終わってない、仕事片付いてない、休暇の予定なんもしてない。気ばかり焦って無駄な動きが増える、毎毎年末の風景です。

 さて、自民党が非常にヤバいことになってます。

 安倍派清和会の議員がパーティーで政治資金として集めて上納したカネの一部を派閥の幹部が「おまえ、もっとけ。キックバックや」と下賜したにも関わらず、当の議員は政治資金報告書に記載していませんでした。つまり、納税申告不要、使途報告不要の裏金、お小遣いとして、議員のポケットに入ったわけです。そしてこれ魔が差した一部の悪人が出来心でやったということではなく、当選多数回のベテランたち派閥の重鎮たちが当然のようにみんなやってたと。これはいかんやろと誰でも思います。一同連座して議員辞職は当然で、検察が本気になれば脱税で逮捕されて刑務所に放り込まれるレベルの大事件です。mansatsu.png

 安倍派、自民最大の派閥がやり玉に上がってますが、他の派閥も叩いたらきっとホコリが出てくるでしょう。派閥単位でそれぞれに同様の狼藉を働いてたことから、世の論調は「派閥政治」の弊害を前面に出して指弾しています。

 派閥ってなによって話です。別に派閥ごとに政策や理念にたいした違いがあるわけではなくて、ようは今回あきらかになったようにカネを集めて配るための仕組みなんですよね。自民党の公認があっても、当選回数を重ねなければその後の出世街道を進めない。選挙資金がなければ当選できない。だから、派閥に入れてもらってその看板でもってお金を集めて、一部を自分の選挙に使い一部の分け前を看板代として上納するのです。フランチャイズみたいなもんか。

 派閥の領袖である幹部議員が親分となり、集まってくる上納金を幹分たちに分け与える構図は、組織暴力団と同じです。ノルマがキツイことを理由に派閥を抜けた議員も話題になりました。ヤクザ組織だと彼は盃を返してカタギになるしかありませんが、政治家は派閥を抜けても地盤を固めて選挙に勝てる仕組みさえしっかりしてたらその後も議員としてやっていけるのです。大臣にもなれます。自民党でも無派閥の議員がいる所以です。わたしのふるさと奈良県選出で40年近く代議士を務め文相や法相を歴任した奥野誠亮氏も、その間ずっと無派閥でした。

 これまでにも再三書いてますが、自民党はこれなんですよね。カネで躓く。遡れば田中角栄の時代に「金脈」という言葉が生まれ、結局田中は収賄で逮捕・起訴され有罪判決を受けました。その後政治とカネのあり方について国民の視線が厳しくなったのに自民党の金満体質は一向に改まらず、リクルート事件、東京佐川急便事件など、カネがらみのスキャンダルが続き、とうとう民主党に足元をすくわれ政権与党の座を追われました。

wairo.png その時には多くの国民が、これでクリーンな政治が実現する、米国なみの2大政党制が日本でも定着すると大いに期待したもんです。

 ところがそんないっときの熱病のようなトレンドで誕生した民主党政権、実際はとんでもない出来損ないということが露見し一瞬で消えてしまいました。もうね、つくづく日本国民のなんと不幸なことか。

 わたしはこれまでも再三書いてきたように共産党は大嫌いで、日本から出ていけと心底思ってます。しかし、企業団体献金や金集めパーティー全面的禁止という彼らの主張には大いに賛成します。本当にそうあるべきなのです。ただ、悲しいかな共産党の主張であるがゆえに大多数の国民から相手にされていません。だから共産党は黙っとけというのです。

 そういえば、先週の朝日新聞に元民主党の首魁菅直人のインタビューが載ってました。東日本大震災の対応をはじめ、日本をむちゃくちゃにしたA級戦犯筆頭です。この記事、珍しく朝日にしてはなんだかまともでした。

 というのも、取材を終えた記者の感想として、菅は「市民運動や社民連を語る際はいきいきとしてるのに、民主党政権となるととたんに口が重くなった」「民主党政権に何が足りなかったのか。菅氏からその答えを聴くことはできず、見出そうとする姿勢もうかがえなかった。非自民政権にリアリティーが感じられない理由はそこにある」と、つまりけちょんけちょんですわ。まあ、そのとおりでざまあみろなんやけど、菅がこれ読んだら真っ赤になって怒るよ、きっと。ちょっと朝日を見直しました。

CDの衰退

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 これは、先日「秋の四天王寺大古本市」で見つけて買った中古のLPレコード、小学生の頃には高くて買えなかったCARPENTERSのアルバム"NOW AND THEN"と、私が日本橋のお店で初めてCDプレーヤーを買った際におまけで1枚だけ貰えるというので選んだ、いわば生まれて初めて手に入れたCDカラヤンのサン=サーンス交響曲第3です。20231210_005302019_iOS.jpg

 約40年前、CD(コンパクト・ディスク)が世に出たことでレコードが消えていった時代の空気を、当時学生やったわたしもよく覚えています。秋葉原の家電量販店で、SONYのCDプレーヤーのデモ機で初めて聴いたデモ盤の曲は「さらばシベリア鉄道」でした。その、雑音がない透明な音質に度肝を抜かれました。これはえらいもんが出て来たと。その後予想どおりアーティストの新譜はシングルもアルバムもすべてCDでリリースされるようになり、レコード屋さんの看板はCD屋さんに書き換わっていきました。レコード針を独占的に生産販売していたナガオカは売上が激減しなすすべもなくギブアップ、会社は解散しました。まだ業績が黒字のうちに会社を清算することは極めて珍しいんやそうです。まあ、レコードの発売が無くなる訳ですから針専門のメーカーはどうすることもできないわけで、将来を絶望し決断が速かったのも頷けます。

 ところがですよ。

 最近ではなんとそのCDの発売数が急速に減ってて、逆にレコードが復権して売り上げを伸ばしてるらしい。中古盤ではなく、新作のレコードですよ。アメリカではなんと昨年、レコードのリリースがCDのそれを上回り、わが国でも多くのメジャーなミュージシャンが新曲をCDではなくレコードで発表するケースがあるとか。なんということか。その昔レコードを一気に駆逐しミュージック市場の天下を取ったCDが、今再び繰り返される歴史の中で逆にその役割を終えようとしているのです。

 CDが作られなくなったのは、言うまでもなく新曲の販売形態においてネット経由のダウンロード販売が主流となったからです。

 ダウン購入はとにかく簡単手軽、いつでもどこでも買えます。わざわざお店に行く必要がない。真夜中でも山の上にいても、欲しくなったらその場ですぐに手に入る。売り切れる心配がないから予約なんかいらない。パッケージのビニールを剥がしてプレーヤーにセットしてなんて手間もいらない。デジタルデータなんで、スマホに転送するのもすこぶる簡単。amazonが街の本屋さんを蹴散らしてるのと同じ理屈です。

 さらに、ネット上の音楽関連サイトの充実があります。新譜以外の曲なら自分ちで聴きたいとき、わざわざCDをセットしなくても、YouTubeに行けばたいがいの曲は映像つきで揃ってます。わたしなんか部屋で聴いてる曲はポップスよりクラシックの方が圧倒的に多いので、この先よほどマニアックな作品でない限りCDを買うことはもはやないでしょう。

 強いてCDの優位性を考えてみるに、コレクションとしての形があるということか。例えば本を買う場合も、いまやKindleなど電子書籍が普及してますが、やっぱり本は紙のかたちで手元に置いとかないとダメという層がまちがいなくいます。かくいう私もどっちかっつーとそっちです。同様に、棚にズラッとCD並べることまでを含めてミュージックライフと考える人にとってはやはりダウンロードよりCDということになります。しかし、昨今の住宅事情もありとにかく聴ければ良いという買い方の場合は、無尽蔵にパソコンに取り込めて場所を取らないダウンロード販売一択。そう考える人が増えてきたということでしょう。

 それでは、CDのリリースが減ったのに、CDより明らかに場所を取るレコードの発売が増えてきたのはなぜか。

 まず、ジャケットが大きい分それ自体がいわば美術品的価値があるようです。12cm四方のCDジャケットより存在感があって眺めてて楽しい。そして、歴史が古い分中古盤はコレクターズ・アイテムとして市場が確立してます。プレミア価値がある希少盤は、圧倒的にCDよりレコードの方が多い。

 そして、扱いに際して手間がかかることがかえって魅力になるということも言えます。ジャケットから出してホコリをふき取ってターンテーブルに載せて針を下ろして...音を出すまでの一連の作業の緊張感が音が出た瞬間の満足感を高めるわけです。この辺になるとわれわれ気楽にミュージックを楽しむ層ではなく、いわゆるオーディオマニアの領域か。

 さらに、CDは劣化してダメになるけど、レコードはもともとアナログの時代のガジェットなんで丁寧に扱えば極めて長期間その性能を保てるらしい。確かに、初期の頃の自分で焼いたデータCDの中には経年劣化で読み込めなくなってんのがあります。デジタル化したから安心と思ってたら、事態はむしろ逆やったのです。音楽CDも同じで、さすがに製品の音楽CDはデータが消えたなんて話は聞かないけれど、CDケース内の劣化したスポンジがこびりついてダメになったなんて事故はありがちです。

 今やハイレゾとかいう超絶クリアな最先端の配信技術が提供されてるけど、バカ耳なわたしはCDで充分、と以前に書きました。レコードの復活、復権の話を聞くと、オーディオ趣味というのは単にいい音を求めるだけではなくて、なんとも奥が深いもんやと改めて思います。こだわる人はこだわればよろしい。わたしは立ち入らないことといたします。

諸行無常の響き

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 なんと、今年ももう師走に突入です。これから毎週、忘年会と称する何らかの飲み会が行列を成してやってきます。コロナ期間中は肝臓も休養できてたのに、元の木阿弥というところ。コロナに加えてインフルエンザも流行しているとかで、幾多の宴席に挑むのに備えて昨日インフルのワクチン打ってきました。

 今日もいいお天気ですが寒い。すでに木枯らしが吹き、秋はその北風に乗ってどこかに行ってしまいました。冬の到来です。今年は夏が異常に暑かったしその暑さが遅くまでずうっと続いてその分秋が短くて、キンモクセイの香りもあっという間に消えてしまいました。

 恐ろしいのは、こんな夏の暑さがひょっとすると今年に限ったことではないかもということです。異常気象がもはや異常でなくなり、地球さんはこれから平均気温のキャリアハイを毎年更新し続けるのではないでしょうか。地球温暖化、日本の亜熱帯化待った無しになったのではないかと。美しい日本の秋よ永遠にと希う、初冬の朝です。

20231125_053317934_iOS.jpg さてそんな中、そうだ京都へ行こう、というわけで先々週の土曜日、久しぶりに出かけました。定期的に集まっている高校時代の仲間の集いです。夥しい外国人観光客が押し寄せた壮絶な混雑を覚悟して出立したところ、四条通は想像したほどには混んでいませんでした。この時期、やはり観光客の目当ては紅葉です。きっとインバウンドは嵐山方面へと向かい、祇園八坂界隈は穴場やったようです。

 主要産業で競争力の減退が甚だしい日本において観光産業の隆盛は喜ばしいことなんやろけど、奈良・京都をはじめ日本各地の美しい都市が、オーバーツーリズムの餌食となってイタリアのベニスのような運命を辿らなければと思います。

 京都コンシェルジュの異名をとるいつもの仲間の案内で今回は、祇園からほど近い丸山公園隣接長楽寺を見学し、その後公園内の料亭で懇親会という段取りです。

 長楽寺さんは、かの建礼門院ゆかりの古刹です。一行はちょっとした団体のテイなんで、住職さんが特別に見学のガイドをしてくれました。 

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 延歴24年(西暦805)桓武天皇の勅命により伝教大師(最澄)を開基とし延暦寺の別院として創建。その後室町時代に一遍上人の時宗に改まったんやとか。宗旨替えなんてそんな簡単にできるんかとも思います。カソリックからプロテスタントに変わるよなもんでしょ。まあ、吉野山の吉水神社みたいにもともとお寺やったのが神社に変わることもあるんやから、同じ宗教どうしなら有りか。

 建礼門院徳子といえば「平氏以外はひとでなし」と栄華を極めたのちマラリヤと思しき熱病に罹って死んだ平清盛の娘です。安徳天皇の生母としてオヤジ同様に権勢をふるったのち、平家が壇ノ浦で滅亡した際に死にそこなって京都に戻ってきました。その後大原の寂光院で生涯御仏に仕えたというイメージが強い人ですが、先にここ長楽寺でまず出家したんですと。知らなんだ。 
 ご住職、境内の鐘も突かせてくれました。ホントは1発だけのところ「わたしもー」とうわがままが出てきて団体向け出血サービスで2人目も許されました。ゴ~ン...大晦日のNHKで中継されたこともるとかで、なるほどいい音ですわ。余韻が長ーく残るこれぞ諸行無常の響きか。知らんけど。

 ちなみに平家物語の冒頭「祇園精舎の鐘の声」って、祇園っいうから何となくどっか京都のお寺の梵鐘のことと思ってたけど、調べてみるとそうではなくどうやらインドの話らしい。これも知らなんだわー。

 長楽寺はもともと円山公園一帯を含む大っきな境内のお寺やったのがどんどん縮小して今日に至ると。わがふるさと奈良でも、東大寺や興福寺は今でも超広大な非課税の敷地で事業展開していますが、元興寺や飛鳥寺んかはその昔創建当時は広ーい領地を占めてたのに今ではしょぼーいお寺に縮小してしまいました。似てます。時代を経ていく中で、時の権力者の都合その他いろいろと大人の事情があったものと思われます。お寺の隆盛衰退に際しても盛者必衰のことわりは世の常なのです。

image_xlarge (6).jpg んなこんなで長楽寺をあとにした一行はメインイベントの懇親会へと向かいます。丸山公園内にある料亭「左阿彌」さんペリーが来た頃に創業したと言われても、その程度の老舗では京都では大きな顔はできません。「ふーん」という感じですわ。時代が下るとこのお店は川端康成や志賀直哉の小説にも出てくると女将さんから説明がありました。

 席は例によって芸舞妓さんたちの登場で盛り上がりました。わたし京都でのお座敷はほかでも年に数回はお邪魔します。しかし、今回の仲間のコンシェルジュは祇園甲部の置屋「亻(にんべん)」さんの古くからの太客で顔が効くのです。ありがたい話です。もし彼がいなかったら仲間一同はここまで京文化の神髄に触れることも無かったのです。感謝、感謝。

 この穏かな京都見学の集いが今後も続いていくことを願ってやみません

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katsuhiko

男 

血はO型

奈良県出身大阪府在住のサラリーマン

生まれてから約半世紀たちました。

お休みの日は、野山を歩くことがあります。

雨の日と夜中はクラシック音楽聴いてます。

カラオケはアニソンから軍歌まで1000曲以上歌えます

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