読んだ本のことの最近のブログ記事

弁護側の証人

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 いわゆる同性婚禁止違憲裁判で、札幌高等裁判所が違憲判決を出しました。同性婚を認めていない民法の規定は婚姻の自由を定めた憲法24条1項に違反する、という判断です。同様の裁判は全国で多数起こされてて、高裁の違憲判断は今回が初めてです。国会に法改正を迫ったことになりますが、政府の代表、カンボ長官は「まだ最高裁がある!」という主旨の談話を出しました。

 この件に関してはだいぶ前に書きましたが、同性婚を認める法改正は、もはや時代の流れで避けられないと思います。しかし、憲法では「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立」すると規定されてます。両性とはつまり男と女のことです。にもかかわらず「同性のことも含む」などとするのは法律の条文をことさらに恣意的に解釈するもので、この判決はムリがあります。おそらくは上告審でひっくり返るでしょう。同性婚を認めるためにはさっさと憲法を改正するべきで、「アカン」と書いてるのに「条文の求める意を汲んで」真逆に「ヨシ」と解釈するなんてやったらあきません。時代に即して都合がいいように解釈したりするから争いになるんです。9条で「軍隊を持たない」と書いてるのに「防衛のためなら持ってヨシ。集団的自衛権もヨシ」と無理繰り解釈するよりも、誰が読んでも誤解の余地が生じないように条文を改正するべきなんです。なっとらんなあ。

 さて今日は、裁判つながりで、久しぶりに読んだ本のこと書きます。

 ミステリーが好きでしょっちゅう読んでることはこれまで何回も書いてますが、最近、すごいのんに出会いました。小泉喜美子作『弁護側の証人』というミステリー。本屋さんをブラついてるときにポップに目がとまり買いました。bengo.jpg

 昭和38年発表の古い作品です。なんだか聞いたことがあるなと思ったら、アガサ・クリスティの有名な古典に「検察側の証人」という、映画にもなった作品がありました。そのオマージュかなと思ったら、どうやらそうでもないらしい。

 ミステリなんで、ネタバレせずにその魅力を綴るのはなかなかに難しいのですがやってみます。

 あらすじをひとことで言うと、主人公の元ストリッパーの女性が大金持ちと結婚して玉の輿に乗ったところ、夫の父つまり舅が惨殺されてしまい、この女性が弁護士に頼んで真犯人を突き止めるお話です。

 昭和30年代の作品らしく、文体や会話はやや時代がかってます。しかしストーリーは分かりやすくまたテンポよく進みます。心地よくとっとこ読み進めてるはじめのうちに実は、読者は見事に騙されてるわけですが、この段階では気がつきません。女性が依頼した探偵役の弁護士は、登場の際には冴えなくて頼りなさげに思えたのに実は凄いキレものやった、という設定は現代ではありきたりの感があります。そして、彼が法廷でスポットライトを浴びて、予想だにしなかった真犯人を見事に暴き出し大団円を迎え...れば、よくあるどんでん返しの推理小説です。ところが。

 まあ、なんというか見事に騙されます。これぞまさにどんでん返し、驚天動地の叙述トリックがさく裂し、ストーリーの最初っから、物語の根底から、ぐるりんっとひっくり返されます。思わず最初からもいちど読み直し、「そっかー、やられた!」となります。

 大体、ミステリーなんてものは、最後のこの「やられた感」を味わうために延々と読んでいくわけで、その切れ味が魅力の全てと言ってもよろしい。そういう意味で、この作品はピカイチです。

 こんな佳作が昭和30年代に世に問われていたとは、なんとも驚きです。いったいこの小泉喜美子という作者は何者なのかと思ってネットでプロフィルを探索するに、著名人と2度結婚していずれも離婚し、51歳の若さで、新宿の飲み屋で酔っ払って階段から転落して頭打って死んでしまったというから、破天荒というか波乱万丈というかなんというか、もうね、参ったと思いました。

 実はこの作品、ミステリー界隈では非常に有名やったらしくて、広告にも「日本ミステリー史に燦然と輝く、伝説の名作」とあります。看板に偽りなしと言えましょう。氏のほかの作品も読んでみたくなりました。

「日本左翼史」

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 テレビで北陸の被災地の状況を視るたびに心が痛みます。復興に向けてできる支援を考えていきたいところです。あちこちで募金しています。

 さて、明日から週明けまでしばらく旅にでますので、平日のこんな時間にブログを更新しています。

 年末からお正月にかけて、こんな本を読みました。

 講談社現代新書「日本左翼史」全部で4冊。池上彰さんと佐藤優さんの対談集のかたちで、明治の始めから現代に至るまでの日本の左翼の歴史を分かりやすく解説したものです。最初のんは「真説 日本左翼史」終戦から1960年まで、2冊目が「激動 日本左翼史」1960年から1972年まで、3冊目が「漂流 日本左翼史」で1972年から現代まで、そして最後が「黎明 日本左翼史」1867年の大政奉還から終戦まで。

20231106_051300104_iOS.jpg 1巻から3巻目までは歴年に沿ってて年代順、終戦からスタートして現代に至るまでの左翼の歴史を解説し、最後にくるっと昔に返って明治時代の左翼思想・運動の誕生から終戦までの、共産党が非合法であった期間をもってきてます。

 おもしろかった。池上さんは、テレビでよく見る司会者で、現代の内外の社会情勢をおバカなタレント相手に分かりやすく解説してる物知りなおじさんというイメージがありますが、この本の内容は実に知識と教養と蘊蓄にとんでおり、素人にも実に分かりやすく書かれてます。そもそも対談なんで、話しことばで解説は進んでいきます。これがいい。

 相方の佐藤優さんは、作家ということになってますが、もともと外交官でかなり前に鈴木宗男と連座してヘタを打って、なんだかよく分からん罪で有罪になって外務省辞めた人です。改めて調べるとなんともすさまじい経歴です。現代日本に君臨する最強の論客の一人です。

 対談形式になってますが、対談した内容をそのまま書き起こしたものではないように思います。次から次にでてくる左翼関連の事件が起こった年代とその内容、関係する膨大な数の左翼活動家のひととなりや(生没年を含む)経歴、そして重要な文献や証言など、こんなんアタマに入っててソラで言えるわけがありません。もし本当に二人の対談した内容をそのまま書いたんやとするならば二人とも化け物です。きっと、あとから内容を分かりやすく精査して、それを対談の形に構成し直したのでしょう。おかげで、非常に分かりやすく明快で最後まで一気に読めました。

 左翼というものに対する日本人の一般的な理解を前提にしたうえで、あまり知られていないドラマティックなエピソードなども効果的に交え、その本質を説き明かしていきます。私も概ね知ってることが多くて興味が募り、内容の理解が深まったと思います。

 二人の説くところに一貫しているのは、日本の左翼勢力といえばすぐに共産党が思い浮かぶけど、共産党なんて実は本来の左翼運動とは異なった相いれないゲスな集団であるということです。2巻目の巻頭「はじめに」で、1巻目出したあと「共産党を宗教的に信奉する勢力以外には好意的に受け止められた」と書いています。つまり痛いところを突かれた共産党支持者からは叩かれたということでしょう。

 左翼の歴史というと、明治から終戦に至る歴史の中で活動家に対する激しい弾圧があったことが思い浮かびます。しかしそれ以上に、昭和の60年安保に始まる過激派や学生運動がもっとも印象深いところです。当時日本中の多くの学生が革命を叫び学生運動に身を投じていきました。それはさながら大規模な集団ヒステリーの様相を呈し、過激化していきました。多くの大学キャンパスは破壊され、バリケード封鎖され荒れ果てた東京大学では入学試験を中止するに至りました。まさに前代未聞の出来事です。こんなことは許されてはならないのですが、当時の世相ではそれもまたやむなしとする空気があったのです。

 今冷静に考えれば、学生を中心とする一部の新左翼がゲバ棒をふりかざして何を訴えたところで革命など成るはずもなく、社会全体にとっての迷惑以外のなにものでもなかったのです。しかし、高度経済成長によって生じた社会の歪みを実感し始めた多くの若者にとって、それはまさに違法薬物のように蔓延していったのです。

 そして、東大安田講堂の陥落によって多くの学生が目を覚まし、衰退した新左翼に対する社会のごくわずかな期待と憐憫も、先鋭化し武装した日本赤軍による一連の凶悪事件によって完全に失われ、日本の極左は完全に終焉を迎えました。「左翼史」では、それらの経緯についての詳細な分析から、今後の左翼勢力の行く末までも詳細かつ分かりやすく書いてくれてます。非常に情報量が多い。しかも分かりやすい。

 日本における左翼思想がいかにとんでもないものであるか、日本において共産党なんかがなぜにいまだに一定の支持を有し、あまつさえ国会に議席を有するのか。日本国と日本人を邪悪な共産主義勢力から守るその戦いにおいて、敵を知るために「左翼史」は非常にためになります。おすすめです。

 先週、ふと大昔の子供の頃に読んだ雑誌の記事を思いだし、それが気になってもう一度読みたくなりました。小学館の学習雑誌に載ってた、よくある「夏の怪談、怖い話」のたぐいで、記事の内容は忘れましたが、それを読んだことでしばらく夜中にトイレに行けなくなったことを覚えてます。

 昨今、こいった怪談やなんかは「非科学的で教育上よろしくない」ことから、それをさも事実であるかのような前提、構成で書かれた記事はめっきり減ってきました。テレビ番組にしても、昭和の頃は「木曜スペシャル」あたりで「恐怖!あなたの知らない超常現象!」だの「身の毛も凍る、冬の心霊写真特集」なんかが鉄板ネタとして放送されてたのに、同様の理由で今やすっかりなくなりました。実に嘆かわしいことです。

 んで、いろんな意味でまだまだ夢が壊れてなかった、幼き日々のあの純粋な感覚を再び体験したいと、それは多分この夏の異常な暑さの中、朦朧とした意識の成せる業であったのでしょう。

 かつて読んでた「小学〇年生」は今でも手元にわりと残ってるのに、それらの中に記憶に該当する記事が載ってる号はありません。書籍ならば絶版でなければ買うなり、図書館行くなりで読むことができますが、雑誌となるとなかなかそうはいかない。「昭和何年発行の小学何年生何月号」とはっきり分かってれば、オークションサイトで探すとか手立てはあります。しかし、それすら不明である今回の事案はやっかいです。

 そこで、今回夏休みで時間があったので、探索に乗り出しました。「61歳真夏の大冒険!」です。

 わが家がある大阪府四條畷市からクルマで30分も走ったところ、京阪奈学研都市の一角に「国立国会図書館関西館」なる施設があるのです。これです。20230822_041153180_iOS.jpg

 国会図書館といえば、法令で、日本で発刊した書籍、雑誌は必ず1部以上を納めなければならないとされています。およそ、国内で過去に発行された書籍のみならず、読み捨てられてきた雑誌さえ、そのすべてを収蔵している、最強のモンスター図書館です。

 なので、ここに行って手続きさえすれば、思い出の記事に出会えるはずなのです。

 まずネットで情報収集したところ、一定の収蔵図書はネット経由でも読める中で、お目当ての学習雑誌は現地でないと閲覧できないらしい。まあ、そりゃそうでしょな。マニュアルに従って利用登録し、先週のある晴れた日に行ってきました。

 かつてバブルの頃に国が採算度外視で建設し、その後税金のムダ使いと大いに批判されてあえなく頓挫した「わたしのしごと館」の廃墟にほど近いところに、この関西館はあります。行ってみて驚いた。でかい。しごと館もそうとうバブリーでしたが、この図書館もとてつもなく大きい。まあ、収容量を考えればそうなるんでしょうけど、これは、中途半端な金持ち自治体なんかではとてもムリで、やっぱり国でないとできない事業ですわ。そもそも東京の国会図書館が溢れてしもたんで半分関西にってことででけたんやろから、大きくないといけないんでしょね。知らんけど。

 「初めてでーす」と受付に行くと丁寧に説明してもらい、手荷物をロッカーに入れて閲覧室へ。実にスムーズです。ここで、カウンターで司書さんに「これこれこおゆう雑誌を探したいんで、それらしき候補を何冊か読ませてください」と頼むつもりでいました。

20230826_000406319_iOS.jpg ところがそんな必要など無く、パソコン端末があるブースに座って自分で検索できます。そして何と、何と、候補の雑誌のすべてのページがパソコン画面で閲覧できます。腰抜かしそうになりました。何というビッグデータ。およそ日本で過去に発売された書籍のみならず、今も毎日発行されている夥しい量の様々な分野の雑誌の1ページ1ページがすべてスキャンされ、電子データとして国会図書館のデータベースに収蔵されていってるのです。そして、そのページすべてを誰もが簡単に画面で閲覧することができます。何と便利になったことか。しかもこれ、全部タダ。一切の費用が必要ないのです。この日ここでお金使ったの、お昼に食堂で食べたハンバーグカレーだけでした。

 今から40年近く前の昭和の終わり、東京で学生してた頃、1回だけ国会図書館を利用したことがあります。今回と同様に古い雑誌を調べるためでした。カウンターで読みたい本の名前をメモして出したところ「申請を受け付けたんで、〇月〇日にまた出直してきなさい。」と言われました。当時のお役所仕事なんてそんなもんでした。で、指定された日に再び行ったところ、読みたい雑誌1年分をそろえてくれてました。そんな時代からはまさに隔世の感があります。データベース化されたことで、利用者も職員も圧倒的に手間が減ってます。

 しかしですよ、いつのことかは知りませんが国会図書館がこの電子データ化を始めた時点で、それまでに発行されてた膨大な量の雑誌を、全てスキャンしていく作業があったわけです。古い雑誌は脆くなってておそらくは手作業であったと思われます。いったいどれだけの作業量であったか、どれほどの税金が費やされたかと気が遠くなります。

 まあ、その甲斐あって今回、わたしの脳裏にあった思い出の記事にも数十年ぶりに対面することができました。内容はあまりにも予想通りなチンケなもので、当時わたしはこの記事を読んで衝撃を受けたとはなんと純真な感性であったことよと、現在の汚れた精神とのギャップに慄然とした、ある暑い日の出来事でした。 

 いいお天気、爽やかな日曜の朝です。
 今日は統一地方選後半、わがまちでは市議会議員の投票日です。ブログの更新が終わったら行ってきます。朝の散歩にちょうどよろしい。

 さて、今日は村上春樹の新作について書きます。ちょっとだけネタバレしますんで、読んでない人はご注意ください。

 「騎士団長殺し」から実に6年ぶりの書下ろし長編です。6年前のエントリー読むと、当時の盛り上がりの様子が蘇ります。今回また久しぶりのハルキ祭りで、先週の発売日大型書店では前日の夜中から行列ができたそうです。こんな作家ほかにはいません。6年前よりさらに深刻化している出版不況を救う救世主といったところでしょうか。

20230422_081811235_iOS.jpg 世の風潮に迎合することを嫌い「ベストセラーは読まない」と斜に構える人も多い世間にあって、かねて宣言しているとおり私はミーハーでお祭り大好きです。6年ぶりの社会的イベントに参画しないはずはなく、かといって夜中に並ぶほどのファンというわけでもなくて、発売と同時に、初版売り切れとならないうちにamazonで注文しました。で、届いた日に夜更かしして読みました。1,200枚、約700ページ一気読みです。

 発売直後から多方面で解説されてるように、また「あとがき」で作者自身が言ってるように、この作品は過去に雑誌で発表したけど単行本にしなかった「街と、その不確かな壁」という中編をもとにした改作です。前作を読んでないので何とも言えませんが、作者自身が納得できなかった失敗作なんて言ってても、ミーハーのノリで読んでいるわたしにはどこが失敗で、改作でどう修正されたのかなんておそらくは分からんでしょう。おもしろければいいのです。

 おもしろかった。「騎士団長殺し」同様に村上春樹してます。現実と異世界の間を穴を通ってまた壁をすり抜けて行き来する、例の村上ワールド全開です。中編の改作であると同時に、後に発表した代表作のひとつ「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」の構成、空気感と重複します。村上さん、失敗した中編を根っこから書き直して「世界の終わり...」を完成させ、40年近く経ってもとになった中編についても失敗として葬ることなく書き直して完成したのです。雰囲気が似てて当然です。

 実はわたし、作品の成り立ちに関するこれらの背景を知らずに読み始めました。はじめのうちは主人公の少年(最後まで名前は出てこない)の淡い初恋譚と、陰鬱さが漂う異世界での物語が交互に展開します。前者は純粋な恋愛小説のように進んでいき、それはたとえば「ノルウェーの森」のような雰囲気やなと思っていたら、例によって主人公はその意に反して突然異世界へと迷い込み、また突然何らかの力によって還ってくるのです。初恋が破局に至った原因はなんであったか、また赴任先で出会った女性との関係はこの先どう発展するのかなど、読者が知りたい謎が明かされることはありません。というか、異世界での主人公の体験、タイトルにもある「壁」が何のメタファーであるのかという重要な主題の前に、形而下に発生することどもの理屈や整合性などはすっ飛ばされてしまうのです。

 思うに、作品中で撒き散らかされた伏線がキレイに回収される小説、たとえば推理小説がその極みですが、これらは大衆小説であって直木賞の候補となります。一方、いわゆる文学作品では、登場する謎や疑問の解決を読者に委ねてしまいます。これらの小説は芥川賞の候補となります。

 つまり村上春樹は純文学の作家といえるのに、なんと芥川賞は受賞していません。芥川賞の選考に漏れた作家がノーベル文学賞を受賞した、なんてことになったら、日本の純文学界最高の権威とされる賞の値打ちもダダ下がりでしょうね。過去の産経新聞の誤報も懐かしく思い出します。それは置いといて。

 この作品の重要なキーワードは「壁」と「影」です。壁の中に入った主人公は影を没収されてしまいます。主人と切り離された影には、なんと人格と感情が備わっており自らが主人の「分身」であることを踏まえて、主人公に「壁から脱出しよう」と進言します。作中の「壁」が人間関係や社会的な境界のメタファーであるとするならば、村上春樹は壁の内と外に分かたれたのち果たしてどちらが本体でどちらが影なのかを問うてきます。また、壁が個人的な内面に築かれたものであるならば、外界と遮断された中で自己と他者との距離をどのように受け入れて扱っていくべきなのかと読者に迫ります。

 そして、当然ながらその答えが示されることはなく、読者がそれぞれ個々に解にたどり着くことが求められるのです。そう考えると文学とは何ともやっかいなものですが、同時にその解に至る作業が結局は文学の楽しさでもあります。繰り返しますが、難しいことは考えず読んでておもしろければよいのです。これからも気楽に一読者として村上春樹作品を楽しんでいきます。

 今日は統一地方選挙の投票日です。うちの市では市長選も市議選もなくて大阪府知事と府議の改選なんですが、府議は無投票で決まってて結局知事選だけです。候補者をながめると大阪維新の会の現職吉村さん以外は泡沫候補ばっかりで、投票締め切りと同時に「当確」が打たれます。盛り上がりに欠けます。

 一方おとなりのふるさと奈良県の知事選はおもしろい。一連の高市大臣関連のドタバタで保守が分裂してしもたところに維新の候補者が漁夫の利を狙う構図となっており、自民党が強い奈良県で大阪以外初めての維新知事誕生かという、目を離せない展開となってます。車で奈良まで行って、そっち方に投票したいもんだわ。まあ、お天気もいいし、ブログの更新が終わったら散歩がてら投票所に赴き、国民の義務を果たすことといたします。

 さて、三大奇書、最後「虚無への供物」について書きます。

 中井英夫という人の作品で、これもまた古い。1954年の洞爺丸事故直後に発表されました。ちなみに、この実際に起こった大災害が作中でひとつの重要な要素となってます。

 推理小説の歴史は古く、E.A.ポーが史上最初の推理小説といわれる「モルグ街の殺人」を発表したのが1841年といいますから、日本では老中の水野忠邦が天保の改革を始めた年です。その後、世界中でまた日本であまたの作品が世に出て、読書の楽しみにおけるひとつの分野として確立していきました。「虚無への供物」は、この「推理小説」というものに対して一石を投じる意味で世に問われた、いわゆる「アンチミステリー」であるというのが現代における評価です。いったい何のこっちゃいと思いつつ読み終えて、なるほどねと納得しました。

20230409_010207937_iOS.jpg 三大奇書のうちでは、ミステリーとしてそれなりに楽しめる作品ではあります。しかし、それでも奇書と言われるだけあって、昨今のステレオタイプの推理小説を念頭に読み進めるとまたえらい目に遭います。

 推理小説の基本的な構造として、殺人事件が起こって探偵が登場し、犯人を突き止め(who done it)動機を明らかにし(why done it)トリックを暴いて(how done it)いきます。探偵がすべての真相を説明するのは物語の最後で、登場人物を一堂に集めた上でおもむろに「犯人はあなただ!」と指さすことになってます。

 そしてそこに至る基本的なルールとして、有名な「ノックスの十戒」や「ヴァン・ダインの二十則」などが伝わってます。曰く「犯人は物語の早い段階で登場していなければならない」とか「犯行の方法は超自然的な力は使っちゃだめ」とかとかいろいろあります。なるほど、謎解きで明かされた真相が「犯人は行きずりの強盗だった」とか「犯人は魔法使いで、密室の被害者を魔術で呪い殺した」では推理小説が成り立ちません。古今東西の推理小説は基本的にこれらのルールを遵守して読者に知恵比べを挑む、とされてきました。

 ところが、作者の中井英夫さんはこんなルールが気に入らなかったらしい。「虚無への供物」では沢山の殺人(?)が起こりますが、探偵役の複数の登場人物がストーリーの途中で推理をひけらかして延々と議論を続けます。その中では「その説ではノックスの十戒にそぐわない」とか、「次の殺人はどこで誰が殺されるか当ててみせよう」なんて、作中人物が作品の構成を語るがごときシュールな展開もでてきます。

 探偵たちが、犯行の様子について得意げに披露する推理は結局全部ハズレで、事実は小説のような奇想天外なものではなく、肩透かしを食ったようなありきたりのものでした。

 そして、それぞれの殺人事件が、謎解きと言えるかどうかも覚束ない、なんだかもやもやした雰囲気の中なんとなく物語は終わっていきます。トリックやどんでん返しが推理小説の真骨頂という常識の中で、ミステリーそのものを否定するかのような実験的な小説、それが「虚無への供物」でした。この作品がアンチミステリーと言われる所以です。

 だいたいミステリーなんて実際にはおよそ起こり得ないフィクションであり読者はそれを承知で楽しむわけで、それをことさらに「ミステリーなんてフィクションで実際には起こり得ないんやで」ということを主題に据えて書く必要があるんかと思うわけですよ。いい湯加減のお風呂に浸かってるときに、いきなりバケツで冷水を放り込まれるようなもんです。

 さて、三大奇書の感想を順次書いてきましたが、共通して言えるのは「読み進めるのがしんどくて、読後モヤモヤが残る」ということでした。ミステリーに限らず小説なんてのもやっぱり映画と同じで、頭ン中空っぽにして耽溺できるのんがよろしい。奇書3つを読破したおかげで、今後はたくさんのミステリーのありがたさ面白さをより実感できるようになったかなと、ポジティブに捉えることとしましょう。

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katsuhiko

男 

血はO型

奈良県出身大阪府在住のサラリーマン

生まれてから約半世紀たちました。

お休みの日は、野山を歩くことがあります。

雨の日と夜中はクラシック音楽聴いてます。

カラオケはアニソンから軍歌まで1000曲以上歌えます

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