終戦記念日に思うこと

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 お暑うございます。誰の思いも同じらしく、コロナウイルスはこの暑さで死んでくれんのかなとよく聞くようになりました。どっこい、敵はしたたかです。人類が死滅しない限りウイルスがなくなることはありません。

 先ほど、来年お正月に予定してた高校時代の同窓会延期しよっか、という相談がありました。社会の情勢を眺めてきましたが、これはもう延期やむなしというところでしょう。

 さて、今日8月15日は鎮魂の日です。国民みながあの愚かな戦争で亡くなった先人を悼み、非戦の誓いを新たにする日です。戦没者が祀られている靖国神社に参拝するもよし、九段の戦没者墓苑で花を手向けるもよし。かたちにこだわらず国民ひとりひとりそれぞれの方法で犠牲者に思いを馳せることができればいいのです。

 靖国神社に関しては中国や韓国から毎年のように雑音が聞こえてきます。国際社会から何かと批判されることが多い中国はその都度すぐ「内政干渉」と喚きますが、わが国の閣僚の靖国神社参拝に対する批判など内政干渉の極みであって極めて失礼な話です。また韓国に関しては、例によって国家存立の基本理念である「反日」を発露する卑屈な一手段に過ぎません。気にする必要はまったくありません。

 思うに戦後の国際社会は、第二次世界大戦の勝者と敗者という位置づけの上に成り立っています。国際連合は英語でUnited Nations、連合国です。日本語だと区別できますが、欧米ではいまでも国連イコール第二次大戦の連合国なのであって、日本やドイツが入っているのがそもそもおかしいのです。kokurenki.jpg

 残念ながら日本は戦争に負けた。勝者が戦勝国と敗戦国という新たな基準でもって秩序を作り上げ、その延長にあるのがいまの国際社会です。中国や韓国が、日本には何を言ってもいいし、どんな無茶をやっても許されると考える根拠がここにあります。もっとも韓国については戦勝国などではなく、当時日本の一部やったわけですが。

 安倍首相はかつて「戦後レジームからの脱却」を掲げました。これは大戦中から続くこの勝者・敗者の基準を脱して21世紀に相応しい、現代の国際情勢に応じた適正な枠組みを築こやないかというもので、至極もっともな考え方ではあります。しかし、言うは易しで勝者の既得権を無くすことはほぼ不可能です。ただでさえ困難な上に、安倍さん、モリ・カケ・サクラで下手打って、さらにコロナ以降どっか行っちゃって、どうやら賞味期限切れの様相です。

 戦後、日本の莫大な援助によって徐々に国力をつけてきた韓国は、賠償関係の最終決着をみた日韓基本条約を無視して、今になってあらたな補償を請求してきました。「動くゴールポスト」ではなく、どっかから新しいゴールポスト持ってきたようなもんです。ドイツにしてもポーランドやギリシャから新たな賠償を求められ、これを拒否しています。

 日本やドイツは次の世界大戦で勝者にならない限り、真の意味でUnited Nationsの一員として国際社会で名誉ある地位を得ることはできないのです。ところがもし次の大戦が起きればそれは人類を滅亡させる核戦争を意味し、人類はそこまで愚かではなくて、結局のところUnited Nationsの深層的な世界支配は今後も続いていくことになります。

 今なお日本は、国連では米国・中国についで3番目に多い分担金を強いられています。金だけ盗られてそれに見合う恩恵も発言力も享受しているとは、とても思えません。また、大国のエゴによってその理念通りの役割をまったく果たしていない中で、日本はそろそろ連合国との付き合い方を考え直した方がよいのではと思うのです。

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