2020年8月アーカイブ

紛らわしいって

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 安倍首相、辞めちゃいましたね。体調すぐれない中いろいろとしんどい課題山積でなかなか成果が出せず、コロナで止めさされたって感じですね。お疲れ様でした。ゆっくりと養生してください。安倍退陣だけを党是として政治活動を展開してきた立憲民主党の税金泥棒たちは、最後まで相手にしてもらえないうちに敵がいなくなったことで、その存在意義がますます希薄になります。この際、目的果たしたってことで全員揃って議員辞職すればいかかでしょうか。

 さて、今日の話題。

 戦後の頃、横浜にあったいくつかの旧制専門学校が合わさって新制大学としてスタートした際に、当時の文部省が「他にも公立大学の新設があるんで『横浜大学』って名前は遠慮してほしい」といういきさつがあって「横浜国立大学」という名称になりました。たくさんある国立大学の中で、名前に「国立」なんてついてるのはここだけです。文部省が調整して、後の禍根を除いていたわけです。

 突然何のはなしかとお思いでしょうが、先週出されたある判決についてです。

 学校法人瓜生山学園が設置する京都造形芸術大学が、4月から京都芸術大学に名前を変えました。これに対して京都市立芸術大が、「似てて混乱するからその名前やめて」と訴えてた裁判です。なんと大阪地裁は請求を棄却し、造形大に軍配を上げました。裁判長いわく 京都市立芸術大学の名称やその略称の京都芸大は著名でないから混乱はない、とのこと。

 この判決はおかしいと思いますぜ。

shiritugeidai.jpg 京都芸大は著名ですよ。有名ですよ。京都芸大と聞けば100人中100人が京都市立芸大のことと認識してきましたよ。京都造形芸大のことは「瓜芸」とか「造形大」と言って京都芸大と明確に区分してましたよ。これは学生、大学関係者のみならず社会一般に浸透してます。「著名でない」って、裁判長あんたが知らないだけです。

 世情に疎い裁判官は往々にしてとんでもないお粗末な判決を出すことがあります。このボンクラ裁判官、おそらく「もし訴え認めたら、認可した文科省の責任問題も出てくっし、ややこしいよな。却下しとこ。」ということでしょう。国政選挙のたびに起こる「一票の格差裁判」で、格差は明らかに違憲なのに「違法やけど選挙のやり直しは政府が困るから勘弁してあげる」というのと同じノリです。法と正義に基づくのではなく、判決に対する批判が、原告、被告どちらがよりめんどくさいかを基準として判決を書いてるわけです。その方が自分の保身に有利だからです。

ZOKEIDAI.jpg もっとバカなのは文科省です。ここで冒頭の話につながるのですが、造形大から申請あった際に「京都芸術大学ぅ? 公立の京都市立芸大が京都芸大って略称使ってるし、ややこしいからその名前はダメ」と認めてなければ何の問題も無かったのです。横浜のときの文部省はきちんと仕事できたのに、現代では役人のレベルが下がってるとはいえ、どんなバカでもダメだと分かるこんな申請をなぜ認可しちゃったのか。

 背景にはおそらく京都造形芸大の学長に元の京都大学総長が天下ってるという事情があるのでしょう。高等教育界の大物からの無理強いに官僚もイヤと言えなかったわけです。その結果がこのブサイクな争いを招いたのです。

 横浜国立大と横浜市立大の際には、お互いが相手を尊重し文部省の適切な指導もあって両大学は今日の発展に至っています。それが今回、造形大は競争に仁義もへったくれもあるかとばかりに既存の大学への配慮もなく、自分勝手なゴリ押しをやったのです。これはもうね、許されるものではありません。こんなことを認めてはいけない。上級審の判断が必要です。

 そいや、大学名に関しては、合併する大阪府立大学と大阪市立大学の英語名称が「University of Osaka」というのはけしからんと大阪大学(英語名称 Osaka University)が文句を言ってて、こちらも成り行きが注目されます。文科省、仕事してね。

履歴書の性別欄

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 お暑うございます。天気予報は連日「危険な暑さ」を叫んでいます。38℃、39℃というからコロナ発症した体温の話かと見紛うような、確かにこれは危険な領域です。昭和の頃、最高気温がこんなに上がれば夏の一大事、今年の10大ニュースになっていたのではなかったか。一晩中エアコンつけっぱなしはカラダによくないと言われてたもんです。地球温暖化をいよいよ身近に感じるようになりました。

 さて、先週気になったニュースから。

 コクヨが、性別欄をなくした履歴書を発売することになったそうです。あるNPO法人が署名を集めてコクヨに「作れ」と迫り、これに従ったという経緯のようです。性別欄があることで困る人の声を酌んだということで、朝日新聞その他リベラル系のメディアが一様に伝えてます。

rirekisyo_man.png NPOの人は「そもそも採用時の性差別は違法。性差別につながる性別欄をなくしていければと思う」と言っているとか。

 そのとおり。採用時に性差別することは違法です。昭和の終わりにいわゆる男女雇用機会均等法が施行され、今ではすっかり浸透しました。それまでは新聞の求人欄も男女別に分かれてました。もっと昔の履歴書は本籍地や家族構成とその職業なんかも記入してました。就職志願者のひととなりを徹底的に把握しようとする雇用側の本能的な欲求の現れです。このような、本人の資質や能力、就業意欲、動機には一切関係がない内容を求めることは人権の侵害であり、就職活動でそんな情報を提供する必要はありません。

 性別はどうでしょうか。男であっても女であってもトランスジェンダーであっても、業務遂行能力に問題なければ採用段階で区別する必要はありません。実際に一部企業では性別欄のみならず、顔写真も必要ない、さらに氏名の記入も姓だけ、と徹底している例もあります。名前ぐらいきちんと書かせろよとも思いますが、面接で話聞けば採用に足る人材か否かの判断はできるわけです。

 社会の性差別払拭に向けて、採用に際して性別にこだわらない方向性は正しい。しかし一方で、企業が多様な性の従業員を受け入れるために必要な環境を整えること、例えばトイレや更衣室の問題を解決することは、特に中小企業では簡単でない場合もあります。結局、性別を確認できない場合は採用を見送ることになります。国としてもこれまで「女性活躍社会」を前面に出した政策を展開してきた関係上、政府も企業も「女性の採用」を意識する必要があり、いわば現時点で採用時に性にこだわることは避けられないのです。政策の転換あるいはあらたな政策が必要です。

 性的マイノリティの活躍の場を奪わない社会の実現が求められるのです。これは履歴書の様式を変えて解決する問題ではありません。書類上でセクシュアリティを隠すことで偏見を排除するのではなく、もっと根本的なダイバーシティに根差した政策が必要です。難しいけれど、実現すれば履歴書の性別欄など自然に消えてしまうでしょう。

 お暑うございます。誰の思いも同じらしく、コロナウイルスはこの暑さで死んでくれんのかなとよく聞くようになりました。どっこい、敵はしたたかです。人類が死滅しない限りウイルスがなくなることはありません。

 先ほど、来年お正月に予定してた高校時代の同窓会延期しよっか、という相談がありました。社会の情勢を眺めてきましたが、これはもう延期やむなしというところでしょう。

 さて、今日8月15日は鎮魂の日です。国民みながあの愚かな戦争で亡くなった先人を悼み、非戦の誓いを新たにする日です。戦没者が祀られている靖国神社に参拝するもよし、九段の戦没者墓苑で花を手向けるもよし。かたちにこだわらず国民ひとりひとりそれぞれの方法で犠牲者に思いを馳せることができればいいのです。

 靖国神社に関しては中国や韓国から毎年のように雑音が聞こえてきます。国際社会から何かと批判されることが多い中国はその都度すぐ「内政干渉」と喚きますが、わが国の閣僚の靖国神社参拝に対する批判など内政干渉の極みであって極めて失礼な話です。また韓国に関しては、例によって国家存立の基本理念である「反日」を発露する卑屈な一手段に過ぎません。気にする必要はまったくありません。

 思うに戦後の国際社会は、第二次世界大戦の勝者と敗者という位置づけの上に成り立っています。国際連合は英語でUnited Nations、連合国です。日本語だと区別できますが、欧米ではいまでも国連イコール第二次大戦の連合国なのであって、日本やドイツが入っているのがそもそもおかしいのです。kokurenki.jpg

 残念ながら日本は戦争に負けた。勝者が戦勝国と敗戦国という新たな基準でもって秩序を作り上げ、その延長にあるのがいまの国際社会です。中国や韓国が、日本には何を言ってもいいし、どんな無茶をやっても許されると考える根拠がここにあります。もっとも韓国については戦勝国などではなく、当時日本の一部やったわけですが。

 安倍首相はかつて「戦後レジームからの脱却」を掲げました。これは大戦中から続くこの勝者・敗者の基準を脱して21世紀に相応しい、現代の国際情勢に応じた適正な枠組みを築こやないかというもので、至極もっともな考え方ではあります。しかし、言うは易しで勝者の既得権を無くすことはほぼ不可能です。ただでさえ困難な上に、安倍さん、モリ・カケ・サクラで下手打って、さらにコロナ以降どっか行っちゃって、どうやら賞味期限切れの様相です。

 戦後、日本の莫大な援助によって徐々に国力をつけてきた韓国は、賠償関係の最終決着をみた日韓基本条約を無視して、今になってあらたな補償を請求してきました。「動くゴールポスト」ではなく、どっかから新しいゴールポスト持ってきたようなもんです。ドイツにしてもポーランドやギリシャから新たな賠償を求められ、これを拒否しています。

 日本やドイツは次の世界大戦で勝者にならない限り、真の意味でUnited Nationsの一員として国際社会で名誉ある地位を得ることはできないのです。ところがもし次の大戦が起きればそれは人類を滅亡させる核戦争を意味し、人類はそこまで愚かではなくて、結局のところUnited Nationsの深層的な世界支配は今後も続いていくことになります。

 今なお日本は、国連では米国・中国についで3番目に多い分担金を強いられています。金だけ盗られてそれに見合う恩恵も発言力も享受しているとは、とても思えません。また、大国のエゴによってその理念通りの役割をまったく果たしていない中で、日本はそろそろ連合国との付き合い方を考え直した方がよいのではと思うのです。

長崎原爆の日に

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 お盆休みに突入です。いつもの年なら長い長い夏休み、どこに行こうかと悩むところですが、今年はコロナで旅行も帰省も何の予定もありません。ゆいいつ残ってたクラシックのコンサートの予定も、買った席が再指定で変えられたのを機にキャンセルしました。密にならないようにという苦肉の配慮は分かるものの、あまりに後方の席になってしもたことと、やはり感染の危険も考えた苦渋の選択でした。友人にも会えない、G.W.に続く巣ごもり連休と覚悟を決め、読書三昧でしっかり充電することにします。

 お上は「不要不急の外出は避けましょう」しかし一方で「Go To Travelキャンペーンで経済を回そう」、いったいどうすればいいのでしょうか。混乱の夏が続きます。お盆期間中のJRの予約状況は、新幹線も在来線も去年の約20%というから、まあ確かにこれは凄いことです。吉村知事のひとことで巷のイソジンがあっという間に品切れになったこといい、日本人の行動パターンのなんとも単純であることよ。

 自分を振り返ってみても、プライベートの移動はもちろんのこと、仕事の出張もとにかく減って減って、最後に新幹線乗ったのは1月の下旬。なんと半年以上前で、こんなことはここ40年間で初めてです。会議はTV画面越しになったし、TeamsZoomなど新しいツールにも慣れて、打合せやセミナーの形もずいぶんと変わってきました。とにかく人が動かない。世の中すべからくこれでは、JRたまったもんやない。かといって運行本数を減らすことも、密になるからできない。経営の危機といえます。

 逆に考えれば、新幹線乗らなくてもみなさんちゃんと仕事できてるわけで、ひょっとするとコロナを機に仕事の仕方が根本的に変わってしまうかも知れません。オンラインコミュニケーションが拡大してリアル面会、会合が減っていけば人が移動する必要がなくなります。これはJR、いよいよリニア造ってる場合ではないですよ。

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 さて、今日は「長崎原爆の日」です。上皇様が、沖縄慰霊の日(6月23日)、広島原爆の日(8月6日)、終戦記念日(8月15日)とともに「忘れてはならない4つの日」として挙げられた日です。

 広島に人類史上最初の核兵器を実戦で使用したのは戦争の早期終結のためであったというアメリカの屁理屈を仮に百歩譲って認めたとしても、長崎への投下は絶対に正当化できません。実験的意味合いが強く、米国の戦後の覇権を強固なものにするために世界中に戦力、技術力を見せつけるために長崎の市民7万人が犠牲となったのです。

 原爆投下の候補都市は、横浜、京都、小倉などほかにもたくさんあって当日の気象条件で晴れてた広島、長崎が選ばれたに過ぎません。広島に投下された8月6日、京都上空が晴れてたら原爆は京都に投下され、当時100万人の市民の多くが犠牲になり、世界遺産京都の古の社寺、おびただしい遺物は壊滅し今に伝わってませんでした。「奈良、京都は文化遺産が多いから米軍は空襲をはばかった」とよく聞きましたが、今ではこの言説はウソだとはっきりしてます。白人に牙をむくような愚かな民族の忌まわしき歴史遺産を庇護する感覚が戦時のアメリカにあろうはずがありませんでした。それまで京都に空襲がなかったのは、後に原爆を投下した際の被害状況観察のために建物を残しておく必要があったからです。すでに焼け野原となっていた東京や大阪に原爆が投下されなかったのは、原爆の威力を測定するための実験として意味が無かったからです。そこに戦争の早期終結なんて意図は微塵もありません。ちなみに奈良に空襲が無かったのは、人が少なくて空襲の価値がなく、爆弾がもったいなかったからです。

 先の敗戦は確かに日本の愚かな軍国主義の帰結であったことは間違いありません。しかし、それがゆえにアメリカの戦争犯罪行為を免罪し忘れ去ることもあってはならないと、アメリカンスタンダードにどっぷりつかった日々の生活の中で、毎年8月の第一週にほんの少しだけ思い出すのです。

 今日から8月です。8月の始まりに合わせて関西の梅雨が明けました。夏空が広がりセミたちは「わが世の夏」を謳歌しています。密を避ければ、いつもと変わらずに日本の夏を堪能できます。

 ところで、テレビ買いましたよ。

 リビングのテレビが調子悪くなりはじめたのがもう1年以上前。機能、性能的に問題はないのですが、画面の中央上部にメロンパンを横から見たぐらいの大きさの白いシミが出てきました。

 はじめは部屋のシーリングライトが映ってるんかいなと思ってましたが、よく見ると画面そのものが部分的にシミになってる。「なんだこれ?」と思いながらもあまり気にしないでそのまま視てたところどんどん大きくなって40㎝✕30㎝ぐらいに成長しました。これはちょっとどうよってことになって、この際、一念発起して買い替えることにした次第です。

 このテレビ、日立の"Wooo"というプラズマテレビで、買ったのはもう10年以上前です。初めて買った非ブラウン管のテレビで、もうとっくに生産終了になってます。地上波はデジタルとアナログ両方のチューナーがついてます。買った当初はテレビ放送が横長16:9へと移行していく途中で、番組やCMによっては画面両横部分が自動的にカットされてたのが、いつのまにかすべての放送が横長対応になりました。時の移ろいをしみじみ感じます。長らくお世話になりました。

 買うと決まったらさっそくヨドバシに出かけて、いろいろ悩んで選んだのがジャッジャジャ~ン、写真のPanasonic製4K有機ELテレビです。

 かなり以前にも書きましたが、家電は耐久消費財っていうくらいで一度買うと何年にもわたって使い続けるんで、買い替えの際には新製品の技術の進歩に驚かされます。

 今回のテレビの場合は、まずその薄さに驚き、次に背中の端子類の少なさ。古いのんはアンテナはもちろん、いったいビデオデッキ何台繋げられるのってくらい映像・音声入力出力端子、LAN端子、光デジタル端子などやたらたくさん付いてたけど、新しいのはHDMI中心なんですごくスッキリしてます。あとはやっぱり有機ELの画面のキレイさ、サイズも少し大きくなって迫力満点。映画大好きの奥さんは大喜び、頭から音符が飛んでます。~♪20200731_233544051_iOS.jpg

 さらに思わぬ効能があり、エアコンの効きがよくなりました。プラズマテレビは発熱量が大きくて真夏でもストーブ焚きながら冷房点けてるような状態やったから、これからはきっと月々の電気代も少し減ることでしょう。

 思えばこれまでの人生、何代、何台のテレビを視てきたことよ。高度成長以降、日本人の家族団欒の中心にはいつもテレビがあり、老若男女問わずテレビは最大の娯楽と言って過言ではないでしょう。

 私の場合も、生家でものごころついた頃にはもう白黒テレビがありました。白黒とはいっても今のテレビで観るモノクローム映画のようなキレイな「白黒」ではなく、青みがかった不鮮明な映像でした。「チャンネルを回す」は死語となりましたが、当時選局はスポッと抜けるダイヤル式で、ガチャガチャやっているうちに芯の部分が摩耗してバカになり、ペンチでつまんで選局してたこともありました。小学校高学年でカラーテレビになり、ひとり暮らしの学生時代は14インチ量販格安のブラウン管テレビ、結婚してからは家ん中の人の数よりテレビの数が多くなりました。

 ソフト面の進歩も著しいものがあり、デジタル多チャンネル化が進んで有料国営放送のNHK以外にもCMの無いペイテレビが次々と参入し、視聴できるコンテンツの種類は爆発的に増えました。そのため最近では視聴率20%とれる番組なんてほぼ無いそうですが、娯楽が少なかった昭和の昔はドラマでも60%以上のオバケ番組がゴロゴロあったもんです。人気番組を視てないと翌日学校で友達の話に入っていけない現象が起こり、家庭内でのゴールデンのチャンネル争いはし烈を極めました。これら、テレビに関するあるある、すべてわたし自身にも当てはまります。日本人は、見方によってはテレビとともに進化してきたと言え、わたしもまた例にもれず立派なミーハーへと成長を遂げたのです。

 ところが令和の現代、職場の若手には自宅にテレビが無いというコがいます。Youtubeがあるから大して不便でもないとか。そういや彼女、新聞もとってないらしい。娯楽の多角化というよりネットがテレビに取って代わる時代の転換が静かに進行しているのです。危機感を覚えた悪の権化NHKもネット同時配信を開始し、受信料という名の不当利権を防御しつつあります。

 この先、テレビは生き残れるのか。少なくとも私は死ぬまで手放すことはありません。人生この先再びテレビを買い替えることがあるのか、ないのか、気にせずに新しい大画面を楽しんでいくことといたしましょう。

WELCOME

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PROFILE

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katsuhiko

男 

血はO型

奈良県出身大阪府在住のサラリーマン

生まれてから約半世紀たちました。

お休みの日は、野山を歩くことがあります。

雨の日と夜中はクラシック音楽聴いてます。

カラオケはアニソンから軍歌まで1000曲以上歌えます

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