2019年4月アーカイブ

ありがとう平成

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 平成最後のブログ更新です。

 さあ、空前絶後の大型連休がスタートしました。年末年始の休暇よりも長いぞ。連休の真ん中の5月1日は今上陛下のご譲位により皇太子殿下が天皇に即位します。史上初の10連休でもって国民こぞってお祝いしようというこの計らいはなかなかいいと思います。

 かといって、いろんなアンケートを見るに、どこかに出かける人は当然増えるものの、大方の人は「家で過ごす」らしいです。かくいう私も何回かお出かけはするものの旅行の予定などはありません。

 昨日はOLYMPUSで写真講座を受講してまいりました。今日はこれから奈良の薬師寺に玉置浩二・西本智実のコラボコンサートに出かけます。明日はクルマの点検、その後買い物に美術館博物館、旧友たちとの宴会にゴルフに甲子園球場にと、これだけイベントを入れてもまだまだ全部埋まりません。大型連休恐るべし。空いた日はゆっくり休養することとしましょう。

 さて、平成の時代が終わりをつげ新しい令和の時代が始まります。振り返ってみると長いようで短い31年間でした。gosokui.jpg

 つらつら思い起こすに昭和64年1月7日の朝、いつものように出勤した私は上司から天皇陛下が亡くなられたと教えられ、その上司も一緒に重役室に集まって例の元号発表を視たわけです。テレビ視るために一か所に集まるなんてまるでジャイアンツの試合をみに星一徹の家に集まる近所のひとたちみたいですが、ネットなど無い時代、素早く情報を得る手段はもっぱらテレビ放送だったのです。

 小渕さんが額を掲げ「新しい元号はヘイセイであります」と言った瞬間、部屋の後ろの方にいた私はよく聞き取れず一瞬「ケイセイ?」と聞き間違えたことを、発表の瞬間、当の重役が「昭和の方がよかったな」と言い放ったことと合わせて覚えています。

 いろんな出来事があった平成の時代を総括すると、不況の時代、災害の時代、平和の時代と言えるのではと思います。

 平成が始まった頃、時はバブルの真っ最中、ライジングサン・ニッポンはこの世の春を謳歌し、景気はとどまることなく拡大するという幻想を誰もが疑いませんでした。しかしその時すでに、失われた20年といわれるどん底の平成不況が静かに忍び寄っていたのです。新興国の追い上げもあり、日本は国際社会での地位を下げ続け、今や一人当たりのGDPは世界20位以下です。少子高齢化が進み、わが国の将来は決して明るいばかりと楽観できなくなったのが平成の時代でした。heisei.jpg

 阪神淡路、東日本と2度の大災害を経て日本人はさらに災害に強くなりました。インフラが整備され防災意識も高まり、次の大地震への備えも着々と進んでいます。令和の幕開けは巨大地震とともになんて縁起でもない話ですが、南海トラフは必ず起こるのです。そのときに果たして日本は平成のときのように再び力強く立ち上がることができるでしょうか。

 そして天皇陛下のお言葉にもあったとおり、平成は近現代において初めて戦争を経験せぬ時代でした。今なお世界中で戦火が絶えず特に近年、中国の海洋強国に向けた野望と犯罪国家北朝鮮の不埒な振る舞いにより東アジアでの紛争の懸念がぬぐえません。長く友好国といわれてた韓国も近年さまざまな問題でその本性を晒すにつれて、根本的に関係を見直す時期にきています。日本と日本国民はこれら近隣特定国の邪悪な野望に屹然と対峙し、築き上げてきた国際社会での地位に見合う責務を果たし、令和の時代にあっても持続的発展を続けていくのです。

 気が付けば自分の人生ではあの長かった昭和よりも平成の方がはるかに長くなりました。昭和に学生時代を過ごし平成は最初から社会人として生きてきました。昭和に育てられ、平成は我武者羅に働いてきたということになります。では令和になってそろそろ落ち着いて人生の収穫期に向かうかというと、どっこいそうはいかない。公私ともまだまだやるべきこともやりたいことも多いし忘れてることもあるし、力を抜いてしまえる状況にはありません。平成の時代と社会に感謝しつつ、ここは改元を節目としてギアを上げて新時代に突入していくことといたしましょう。

安倍総理きたる

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 今日は、衆議院議員大阪12区補欠選挙と統一地方選挙後半、市議会議員選挙の投票日です。実は私は補選の選挙区民なのです。

20190420_025321867_iOS.jpg 昨日、補選の自民党候補者応援のため安倍総理大臣が大阪に来て、12区の3市それぞれの駅前で応援演説を行いました。事前に聞いてたので、ミーハーを自認する私としてはお休みではありますが当然のように駅前まで出かけて一部始終を見てまいりました。自民党の支持者と、ごく一部アンチ安倍のプラカードを掲げる集団と、さらにわたしを含め時の天下人をひと目見ようと集まった、群衆の大部分を占める単なる野次馬とで、駅前は埋め尽くされました。

 いろんな人が演説しましたが「お待たせしました」で登場し最も長く話した安倍首相がやっぱりいちばん上手かった。といっても与党の政策について時間を割いて、候補者の応援は前後に少しだけ。まあ、これでいいんでしょうね。

 一緒に行ったうちの奥さんは例によって「SPにひとり、めちゃカッコいいのんがいる」と安倍さんそっちのけでそっちの写真ばかり撮ってました。そののち二人は初夏を思わせる陽気につられ、その足で投票所に向かい期日前投票を済ませました。

 投票日やったら入場券渡すだけで投票できますが、期日前投票の場合は所定の用紙に住所氏名書く手続きがいります。さらに、なぜ期日前に投票するのかという理由も書かされます。そんなんほっといてほしいといつも思うのです。しかも、本当の理由であるところの「投票日は家でゆっくりしたいから」というのはダメで、仕事か娯楽のために出かけるからという理由がいるのです。

 P4200407.jpgなんだか変な感じですが、かつての不在者投票はもっと厄介でした。なんせ記入した投票用紙を封筒に入れてその封筒に自分の名前書かされるのです。選管の人間が投票日まで預かって開封して投票箱に入れるので、誰が誰に投票したかが分かってしまいます。これはないわ。

 それに比べたらずいぶんとマシになりましたが、やっぱり手間がかかることに変わりはない。ですから、いっそ投票日を1日とせず1週間くらいを「投票期間」としてその間ならいつ投票してもOKとすればいいのにと思います。書類を書かせる手間が無くなるんで、投票所の係員の仕事も今よりずっと楽になるはずです。投票率も少しはアップするんやないでしょか。選挙制度改革の一環として考えてくれる候補者が立候補したら投票してあげますよ。

 さて、今回の補欠選挙、地盤の自民党議員が病気で急逝したことを受けてのもので、自民党は亡くなった議員の甥を公認し、日本維新の会の新人候補と事実上の一騎打ちです。今の野党の惨状からして、大阪以外の選挙区であったなら対抗馬が誰であっても自民党候補の圧勝でしょう。しかし大阪は事情が違います。先の知事・市長のダブル選挙で自民は大阪維新の会に木端微塵に負けてるのです。この夏の参議院議員選挙の前哨戦と位置づける平成最後の戦いに与党自民党は負けるわけにはいかない。安倍さん、麻生大臣、公明党の太田昭宏元代表など大物が続々応援で大阪入りしました。世襲批判とあいまって大阪維新のパワーが国政選挙でどこまで及ぶのか。全国の注目がわがまちに集まることもあり、今回だけは開票が楽しみです。

祇園と宝塚

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P4060345.jpg 平成の世もおしせまり、令和がすぐそこまで迫りきた時代の狭間、今月上旬の週末、恒例の京都花見宴会に行ってまいりました。

「恒例の」なんて言ってますが、芸舞妓さんと楽しく過ごし京都の伝統文化を堪能するこんな機会は、かつて京都で長く仕事をし今でも花柳界に顔が利く京都通の旧友がいるからで、まことにありがたい話です。今年も彼のおかげで高校時代の友人たちと楽しく春爛漫の京都を満喫してまいりました。

 京阪電車祇園四条駅に降り立ち、ひしめく観光客の人混みを掻き分け掻き分け、ときに人の少ない脇道に遠回りして建仁寺近くの料亭に向かう道すがら、京都市内の桜はすでにして満開です。街角や建仁寺境内ではそこここで、結婚式の前撮りの一行をはじめ、桜をバックにして写真に収まりたい人々がインスタ映えする立ち位置の確保に熾烈な争いを展開しています。かく言うわれわれもあちこちで記念撮影しながら、今回のお店「祇園末友」さんにとうちゃく。P4060336.jpg

 乾杯から例によってワイワイするうちに早速芸舞妓さんたち登場、

 祇園甲部 西村から、芸妓・槇子さん、舞妓・槇里子さん、地方(じかた)(三味線・唄)惠美乃さんの面々です。

 いつものように、てっぱんネタの祇園小唄はじめ披露してくれた京舞の数々、舞妓さんは初々しく、芸妓さんは熟練の技量でもって見事に京文化の神髄を楽しませてくれました。やっぱりよろしなあ。

 ところで、この槇子さんのお姉さんは宝塚歌劇団の男役で活躍されてたとか。そういえばかなり前に書いた同じく祇園甲部の舞妓、実佳子さん(今や襟替え済んで芸妓さんですが)のお姉さんもタカラジェンヌでした。(こっちも)京都通の彼いわく、姉妹がジェンヌの舞妓さんがほかにもう一人、なんと計三人いるらしい。祇園と宝塚、活躍する舞台は違えども、姉妹して容姿端麗かつ芸達者ということですね。

 しかも、よくよく聴くとそもそも宝塚歌劇団は、かの小林一三が祇園の舞妓さんに心酔し着想を得て創始したということらしい。それならば互いに通ずるところがあってもむべなるかなと納得です。しかし京都通の彼、そんなことまで知ってるなんていったい祇園にどれだけお金を落としてるんよと心配になりますが、われわれ友人にとってはありがたい話です。もっと頑張ってください。23402463.dcf5c440482826fb68ecb90e7765e286.19040611.jpg

 この日はおりしも、改装なった京都南座で祇園甲部の舞踊公演「都をどり」の真っ最中で、芸舞妓さんとは「今日は誰々が出番で...」なんて話もありました。京都花街は世界に誇るべき日本の文化です。益々の発展を願いたいもんです。

 それにしても休日の京都市内は歩行者が道路に溢れて、その混雑は異常です。インバウンドはありがたいものの、京都の良さを維持するにはもう限界のような気がします。なんとかならんもんでしょうか。

平成から令和へ

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 大阪は麗らかな朝となってます。今日は統一地方選挙投票日、午後から雨模様らしいのでブログ更新が終わったらふらふらと出かけることといたしましょう。

 さて、各地で桜満開、新年度スタートです。
 と同時に、新元号「令和」が発表されました。めでたいお話です。reiwa.jpg

 おっと、パソコンでreiwaと入力してもまだ令和とは変換されないんで単語登録しました。これからの日本語かな漢字変換ソフトではもちろん対応されるでしょう。

 憲政史上初の譲位による改元、列島が久々に沸騰しました。平成改元の際は昭和天皇崩御からの一連の手続きの中にあって、当然のことながら国全体が哀悼の雰囲気につつまれての発表でしたが、今回の改元は国民こぞってお祝いできることがそも嬉しい。

 平成の前が昭和やったんで「和」は無いのではと勝手な予測もあったところ、見事に覆してくるあたりなかなかのもんです。現代の日本人はまだ昭和への愛着も深いんやなと思います。31年前わたしは、小渕さんが「平成」の額を掲げたとき少し違和感があったことを覚えています。菅さんが掲げた「令和」にはそれが無かった。これは多分「和」の効果です。日本の別名は大和の国であり、日本人は聖徳太子の昔から和を以て尊しと為してきた民族です。やっぱり「和」に安心感があるのです。

 駅で号外に殺到する群衆のニュース映像をみるにつれ、歴史の転換点に臨む興奮と、今上陛下のご譲位とご皇室の弥栄を寿ぐ日本人の素直な心情の発露を思います。

 ところが国内が一様に祝賀ムードに包まれる中で、例によって共産党は「国による元号の使用の強制に反対する」と言いながら一方で「国民が元号を慣習的に使用することに反対しない」などと間の抜けたことをぬかしています。また、元号法については「今廃止すべきだという立場ではなく将来、国民の総意によって解決されるべきだ」などと、天皇制に関する主張と同様、自らの思惑をはっきりと主張せず責任を国民の総意に転嫁しています。宿願である「天皇制廃止、元号反対」をストレートに叫ぶと世論の猛反発にあい、社会党のように党消滅のおそれがあるからです。下卑た本心を表に出さず姑息に民意に迎合しながら隠れて暴力革命に向けて牙を研ぐ反日集団の正体は、改元があっても変わることがありません。taishi.jpg

 一方、その社会党の残党である社民党はというと「令和の『令』は『命令』の『令』であり、安倍政権の目指す国民への規律や統制の強化の現れ」「元号とは...本来的に非民主的な制度」なんですと。ここにもバカがいた。

 繰り返し書いてますが、日本国は古来天皇を中心とした神の国であり、日本人のアイデンティティーはご皇室を敬えるかということ、国民の総意として憲法に定められた日本人の象徴たる天皇制に誇りを持てるかということに尽きます。反日集団の構成員たち、日本人であることを拒むのであれば、どうぞこの国から出て行ってください。

 平成があと1カ月弱で幕を閉じ令和の時代が始まります。来月のご即位に際しても、日本中が今回にも増して祝賀と歓喜に包まれることとなるでしょう

WELCOME

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katsuhiko

男 

血はO型

奈良県出身大阪府在住のサラリーマン

生まれてから約半世紀たちました。

お休みの日は、野山を歩くことがあります。

雨の日と夜中はクラシック音楽聴いてます。

カラオケはアニソンから軍歌まで1000曲以上歌えます

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