2018年6月アーカイブ

震度6弱

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 いやー、ビックリしました。FIFAワールドカップ日本の初戦の話ではなく、先週大阪を襲った地震ですよ。

 誰よりも早く出勤するわたしは、あの日も誰もいない広いオフィスの自分のデスクで椅子に座り、反り返って目線をやや斜め上に向けておりました。ぼんやりと部屋の天井の隅を眺めていたわけです。

jishinjouhou.jpg まっったく何の予兆も前触れもなく、突然ドドーンという轟音とともに視界に入ってるパソコンのディスプレイ、天井、掛時計、太い柱のすべてが上下に大きく揺れ始めました。即座に「うーわ、地震や」と気づくと同時にスマホがギャン泣きし出しました。緊急地震速報、遅いわい。例によって瞬時に固まって何もできません。その後横方向の揺れも加わり、激しい揺れは20秒も続いたでしょうか。とりあえず収まるのを待つだけです。「南海トラフ」が脳裏を過ります。だとしたら東日本を上回る日本の危機キタコレさてどうしよう、とか何とか考えてるうちに揺れは収まりました。

 人心地ついてまず自宅に電話し奥様の無事を確認しました。ここで応答がないと彼女は倒れてきた本棚か食器棚かの下敷きになっているわけで、仕事放り出して救出に向かわねばなりません。幸い無事が確認できたものの家の中はかなりの散乱状態らしい。ま、それは仕方なしと。

 さて情報収集。震源地や震度によってはその後の動き方も変わってきます。ネット、ラジオ駆使して分かったことは、どうやら南海トラフではなく活断層地震で、何と大阪の直下型ですと。そんな話これまで無かったやんか。阪神淡路といい東日本といい、攻撃は常に想定の裏を突いてきます。

 職場にはしばらく経つとスタッフの一人が現れて曰く「オシッコしてる最中に揺れ始めたんで途中で止まってしもた。余震が来ないうちに続きを出しに行ってきます」勝手にせいという話です。

 震度6弱といいますから、個人的には生まれて初めて遭遇した最大の震度です。阪神淡路のときでさえ、わりと震源離れていたから震度4でした。歳とってきましたんで地震は何度も経験してますが、こればっかしはとにかく慣れるもんではありません。揺れてる間は、他に類を見ない何とも不安な思いに苛まれます。なんせ突然始まるので心の準備ができない。はじまったら何もできずぢっと身を守るしかない。数ある自然災害の中でもおよそ予想・予防できないという点で、まさに最悪の事態といえます。

 南海トラフ巨大地震は今後30年以内に発生する確率が70%~80%、50年以内に90%といわれています。残念ながら今後必ず起こることが決まってます。それが明日なのか50年後かなのかは誰にも分からないけど、確実なことは、今日より明日、明日より明後日と、地震が起こる可能性はどんどん高くなっていくということです。いつ起こっても慌てないように備えておかなければなりません。死亡者予想30万人、経済損失200兆円といいますから、東日本大震災の10~20倍の規模です。そのとき日本はどうなるのでしょうか。あー、怖いなあ、もう。

恥ずかしながら

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 1972年というと、私が小学校5年生のときです。

 高度成長の真っただ中、戦争は過去のものとなりわが国が急速に豊かになっていった時代、新婚旅行のメッカが熱海からグアム島やハワイへと変わっていった頃です。

 そのグアム島のジャングルで旧日本軍の兵隊さんが見つかったというので、日本中大騒ぎになりました。もちろんわたしもよく覚えています。横井庄一軍曹は島民に発見させるまで終戦に気が付かず、米兵に見つかったら殺されるという上官の言葉をけなげに信じて島の奥地で人知れずサバイバル生活を続けること実に27年。旧日本兵の精神と肉体の強靭さを世界に知らしめ、一大センセーションを起こしました。「恥ずかしながら帰ってまいりました」は当時の流行語にもなりました。onoda.jpg

 なぜにいまさらこんな話をということですが、近年人気を博しているコミック「ONE PIECE」の作者が単行本に書いたコメントが批判されてるからです。日経新聞などによると、作者の尾田栄一郎氏は、コミック単行本のコメント欄で、食事の席で大皿に1つ残った唐揚げを「横井軍曹」と名付けて「誰か戦争終わらせたげて!」などと茶化しています。しかも、その横井さんの肖像を描いたと思しきイラストは明らかに小野田寛郎少尉の写真をうつしたものです。

 小野田さんも、横井さんに遅れること2年、フィリピンのルバング島で捜索隊に発見され、同様に帰国した旧日本兵です。

 二人に対する評価は様々です。しかし、戦後の繁栄と物質主義の中で日本人の多くが喪失した誇りを喚起した、また、忍耐、恭順、犠牲といった戦前の価値を体現し現代日本人が失った精神を知らしめた日本人の鑑である、など概ねヒーローとして扱われました。もう少し時代がずれていたら国民栄誉賞候補となったかもしれません。私としてはヒーローというよりも、なんとも気の毒な目に遭わはったなぁという思いとともに、戦争の悲惨さを違った角度からあらためて知らしめた点でその功績は大きいと思っています。少なくともその存在、意義を「から揚げ」に例えて揶揄していいものでは断じてありません。

 最近コミックをほとんど読まなくなった私にしても、尾田栄一郎という名前は聞いたことがあって、作品がバカ当たりして大金持ちになった漫画家である、ぐらいは知っています。ググってみると1975年生まれやとか。横井さんや小野田さんの帰国はこいつの生まれる前の話で、なるほどなぁという感じです。

 「恥ずかしながら」には、皇国軍人としての務めを全うできず天皇陛下に申し訳ない、また、繁栄する現代日本において国民が忘れたい戦争の残滓を再び晒すようなことをして恥ずかしい、といった横井さんの素直な深い思いが込められており、当時の日本人はその謙虚な姿勢に尊敬と慈しみの念を抱いたものです。だから、そんな事情を知りもしない、横井さんと小野田さんの区別もつかない世代の日本人が、今回のように軽々に「恥ずかしながら」をジョークとしてメディアで流布するがごとき行為には怒りを覚えるのです。

 「ONE PIECE」、あまりに売れてるんで、そんなに評判がいいのなら機会があれば読んでみよかな、とかなんとなく思ってましたが、作者の性根が知れた今となってはおよそ興味がなくなりました。無駄な時間を費やさなくてもよくなったという点で、今回の騒ぎは役に立ったといえます。

蟻の一穴

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 今回の事件の影響で、日大のアメフト部は今後どうなるのか、関係者の処分はどこまで進むのかなど、一連の事態に関連する動きに対する続報はあってもいいかもしれません。

 しかし、ネットや週刊誌に溢れる関連記事やテレビのワイドショーの関心は事件の核心におおよそ関係がないものがあふれています。

ARI.jpg 例えば、競泳の高校生有力選手が日大の特待生を辞退するそうやとか、日大では非常勤講師の不当な雇止めが行われているとか、ゴルフのプロアマ大会でヘタこいた片山晋吾は日大ゴルフ部出身であるとか、財界のフィクサーである許永中氏が建てた神社に当時の日大理事長の名が入った石柱が寄進されているとか、理事長の奥さんが営むちゃんこ屋は「食べログ」のポイントが3.06とかなり低いとか、タックル指示したコーチの実家は老舗洋菓子店であるとか...とかとかとか。

 これらの情報は、あのタックルが無かったら世間は全く関心を示さなかったものばっかしです。弱みを見せたものに群がり徹底的に叩いて溜飲を下げる、マスコミの興味本位の容赦ない追及にはいつもながらゲンナリします。私はミーハーであることを自認してはおりますが、このような薄っぺらいニュースにはおよそ興味が湧きません。

 しかし、見方を変えれば、叩いてホコリが出てきたと言えなくもないことも伝わってます。日大理事長は暴力団との交流がある、また、大学の工事発注に際して工事業者から金の授受があったとか。これらは事実であるとすればおよそ捨て置けないたぐいの話であり、その真偽はしっかりと明らかにすべきです。

 相撲出身の理事長さんつながりで言えば、数年前に角会の八百長が発覚して大問題となり、本場所を中止するまでの大騒ぎに発展したことがありました。あのときも、野球賭博の調査過程で力士間のメールから八百長の証拠が見つかったことが発端となったのです。蟻の一穴から巨悪がほころびを生じ、不適正な事実を追及する端緒となったとすれば、今回のタックルにも意味があったといえます。果たしてどこまで拡がりを見せるのか。なんともえらいことになったもんです。

焼きそばのこと

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 突然ですが、焼きそばが好きです。

 食べ物はあまり好き嫌いなくなんでも美味しくいただく私ですが、それでも好きなジャンルはいろいろあります。なかでも焼きそばにはこだわりがあります。

 いわゆるB級グルメに分類されるメニューですが、本当に美味しい。最初考えた人に国民栄誉賞をあげたいと思います。コナモン王国の大阪では鉄板でじゅうじゅう調理するスタイルが発展を遂げてきました。焼きそばも、厨房で調理してお皿に盛って、さあどうぞと出てくるよりも、やはり眼前の大きな鉄板のステージで調理が展開されるのが良い。巨大なコテを操る調理人の職人芸soba.jpgによりもうもうと湯気を上げ、素材が熱エネルギーを得て様々な化学反応を起こし、最終的に客の前にでぇんっ!と盛り付けられた瞬間、ビッグバンにより創生された大宇宙の悠久の歴史が再現されたかのような神秘的な感動を覚えるのです。焼きそばはこうでないといけない。

 単純な調理のように見えますが、麺の形状、太さ、硬さ、具材のチョイス、質と量により無限のバリエーションとクオリティが実現します。そして極めつけはソースで、これが最終的に出来不出来を決定します。また、上に目玉焼きがのっているかどうかは重要なポイントとなります。

 わが国では高度成長期以降社会が発展するにつれて食生活も豊かになり、美味しいものが手軽にたのしめるようになってきたと思います。しかし一方でかつては普通に食べられたものが今では入手が困難または不可能なんて食べ物もあるのです。クジラなんてその典型でしょう。悲しい話です。それと似た話で「昔はもっと美味しかった」食材、料理もあります。わたしにとって焼きそばがそれにあたります。

 ホテルのレストランなどで提供されるエビやホタテなど高級具材を使ったものは、それはそれで楽しめますが、わたしが求めているところではありません。記憶に残る最高の焼そばは、高校時代、学校最寄り駅前にあったスーパーの5階、いまでいうフードコートのような食堂フロアの鉄板カウンターで食べてたそれです。麺の太さ硬さ、ソースの味付けその他、当時はそれを当たり前の味として食していたのに、爾来、あの味を超える焼きそばには巡り合っていません。脳内で拡大再生産されているという点は否めないにしても、あちこちで焼きそば食べるたびに懐かしく思いだすのです。

WELCOME

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PROFILE

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katsuhiko

男 

血はO型

奈良県出身大阪府在住のサラリーマン

生まれてから約半世紀たちました。

お休みの日は、野山を歩くことがあります。

雨の日と夜中はクラシック音楽聴いてます。

カラオケはアニソンから軍歌まで1000曲以上歌えます

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