闘将 星になる

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 明けましておめでとうございます。

 1月も7日になっておめでとうもないもんですが、今年のブログ初めということでご容赦ください。どうか、本年もよろしくお付き合いのほどをお願いいたします。

 さて、お正月早々衝撃の訃報が届きました。元阪神タイガース監督闘将星野仙一氏が亡くなりました。70歳という早すぎる旅立ちでした。

 20180106_135649536_iOS.jpgわれわれ関西人にとって星野さんといえば2003年、低迷する阪神タイガースを率いて18年ぶりのリーグ優勝をやってのけた恩人的存在です。星野さんの監督就任前はかの野村克也監督が3年やって3年連続最下位、87年から2001年の15年間で8回最下位という暗黒時代のあとやったので、いまだに救世主的イメージが強い。その後岡田監督に引き継がれ再びリーグ優勝するわけですが、この年は圧倒的に強かった。ダメトラやった阪神がこのふたりの監督によって強いチームへと変貌を遂げたのです。押し入れから星野阪神優勝の号外を引っ張り出し星野さんを偲びました。当時の感動が甦ります。思えば長らく優勝から遠ざかっており、闘将よ再びの思いが募ります。

 野村さんは例のID野球、チーム作りや練習を理論をきわめて行ってたのに対して星野さんは「巨人の星」のスポコンよろしく根性論でチームを率いていくタイプでした。鉄拳制裁も辞さずの練習方針で、お相撲さんの暴力事件が社会問題になる現在ではおそらく通用しないでしょう。それでも結果的に選手たちは理屈をこねまわして結局勝てない監督よりも、暴力を使いつつも結局選手のことを第一に考えている監督に従い、一丸となって勝ち続けることができたわけです。

 現役時代から打倒巨人を標榜し、闘志をむき出しにした熱血投球は痛快でした。しかしよく打たれた。打たれてもまた向20180107_001435813_iOS.jpgかっていくその勇姿には中日ファンならずとも魅せられたものでした。プロ野球の珍プレー史に残る有名な「宇野ヘディング事件」、私もリアルタイムでTV中継を観てたのですが、グラブをたたきつけてチームメートの宇野に罵声を浴びせる星野投手を敵ながら哀れに思いましたよ。弱いチームで孤軍奮闘する姿は日本人受けするのです。結局、憎っくきジャイアンツの10連覇を阻止したのが、わが阪神ではなくエース星野を擁する中日ドラゴンズでした。

 その昔、プロ野球人は個性的な人が多かった。ちょっと前に書いた福本さんにしてもそうです。かつては、空振り三振しても絶賛を浴びてベンチに引き上げる役者が確かにいたのです。しかし、昨今そんな野武士のような選手が減ってきたように思います。選手として監督として成し遂げてきた実績よりもプレー中のパフォーマンスでもって、生きざまを観客にアッピールできる選手が減ってきたのです。野球は数字のスポーツと言われるように残した数字がすべてです。その数字が実績となりもらえる年俸に直結しているのですから当然ともいえます。その結果小手先でもって数字を稼ぐプレーが幅をきかせ、観ていて大向こうが唸るような「勝負」が減ってきました。プロである以上、観客は試合ではなく勝負を観に来てるということもあるのです。

 選手としても監督としても、役者として観客から金を取れる星野さんのようなキャラクターはもう、望むべくもないのでしょうか。

 謹んでご冥福をお祈りいたします。どうか今後のプロ野球の発展を見守ってください。合掌。

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katsuhiko

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