これまでにも何回か書いてますが、私の故郷は奈良県中部の下市町という小さな町です。今も親戚や友人など、多くの縁の人々が暮らしています。
その故郷下市。先週の日曜日に久しぶりに行ってきました。
毎年「初市」というお祭りが行われており、今年は祭礼の日が日曜日に当たったということと、少し前に同級生たちと飲んでいた時に話が出たことで「出かけてみよう」ということになったわけです。
正式には「下市蛭子(えびす)神社例祭」といい、近世以降大吉野地域随一の商都として発展してきた下市最大の祭りで、南北に細長い街筋にずらっと屋台の出店が並び大勢の人出で賑わいます。幼い頃から毎年楽しみにしてたイベントでしたが、もう30年以上機会がなかった。近鉄特急に乗って、いそいそと出かけました。
駅に降り立ち友人たちと合流し、ホコ天となった祭礼の区間をそぞろ歩きしながら感じたのは、やはり寂しくなったということ。人出の密度が記憶にあるそれとずいぶん違います。子供達の姿が少ない。さらに、出店の間隔が大きくなってます。昔はそれこそ隙間なくぎっしりと並び、本通りに出店できない屋台が裏通りにまで溢れてたもんですが、今や屋台も数メートル間隔となり、しかも端から端までが随分と短くなってます。昔は街道のもっと奥の方まで屋台が並んで人出も多かったよなぁとか友と話すうちに、過疎化の影響をつらつら思い知ることとなりました。
その後駅前まで戻り、昼間から呑みつ話しつするうちにすっかり出来上がってしまいましたが、まあ今日はお祭りということでご容赦いただきましょう。
高校を出たのち大学の4年間を東京で過ごし、大阪でJターン就職した頃の日本はバブルに向かう元気のいい時代で、社会人デヴューの私は仕事も遊びもイケイケどんどん、日本の好景気も、自分自身のスリリングかつ楽しい毎日も、永遠に続くものと信じて疑ってませんでした。
そんなある日、わたしの職場にある番組の取材ということでやってきたフリーのアナウンサーが下市中学校の同級生でした。偶然ではなく、彼はわざわざ私に会うために来てくれたのです。そこそこの年齢を重ねてちょっとは落ち着いてきたタイミングでそんな再会があったことから「そいや下市、最近どうよ」と思い立ち、徐々に同窓会にも参加するようになり、多くの旧友との再会を果たし、今ではしばしば飲んで語る機会が増えてきたというようなわけです。高校時代の友人からある日突然、同窓会お誘いの電話をいただいたのもちょうどその頃でした。
多分、あれでしょう。人はその生涯において青春時代を再び日常に繰り入れ直すような、そんな年代があるということです。旧友との再会によって絆を再構築し、現在から将来に向けての新たな関係を築いていく、いわば二度目の青春時代が積み上げられていくのであって、私の場合まさにこれです。そこに導いてくれた中学、高校それぞれの二人の同級生には今もひそかに感謝しとります。
若い頃は日々の楽しさ忙しさにかまけて振り返ることのなかった故郷のこと、懐かしい友人のこと、それがいかに貴重で、ありがたい宝物であるかという思いが日々募ってきています。これはやっぱり、歳をとったということなんでしょうな。
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