2016年10月アーカイブ

死刑存廃〔承前〕

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 いよいよ秋めいてきて、スポーツ、行楽にぴったんこのよい気候となりました。というわけで、明日早朝よりゴルフコンペに出かけるので、土曜日の夜一杯やったあとにブログを更新しております。どうも、酔った頭で文章書いたときは、あとで読み返して情けないことがしばしばあるわけですが、ご容赦いただきお付き合い願います。
 
IMG_3489.jpg さて、先週のエントリーで死刑の存廃論争に関して、わが国では圧倒的な世論の支持によって維持されている、また、近代国家の先進国で死刑を存置しているのは日本と米国の一部の州だけ、と書きましたが、これは非常に興味深いのです。
 
 戦後のわが国においては、GHQの薫陶よろしきを得て人権思想が飛躍的に進歩しました。しかし残虐な刑罰として憲法違反の誹りを受けている死刑という制度に関しては、いまだに多くの国民が廃止に消極的です。というかはっきりと反対しているのです。
 
 いわゆる死刑存廃論争において、廃止派の主張根拠は多岐にわたります。残虐な刑罰を禁止する憲法に違反する。冤罪やとあとで判明した場合取り返しがつかない。先進国の多くが廃止してるし国連も「やめなさい」と言ってる。執行する人がかわいそやんか。などなど、様々な理由によって廃止を訴えます。
 
 これに対して、存置派も負けていない。
 
 死刑があるから凶悪犯罪が抑止されてる。被害者遺族の気持ちを考えてみろ。私的制裁(仇討)が復活して復讐の連鎖が生じてもいいのか。死刑以外にどんな刑罰があるねん。終身刑なんて作ったら極悪人を一生税金で食わせていくことになる。などなど。
 
 これまで存置派、廃止派さまざまな主張が繰り返されてきましたが、はっきりした決着を得るには至っていません。そして結局廃止されてないということは、わが国では、現時点では存置派が暫定勝利を収めているとみるべきでしょう。PA255202.jpg
 
 思うに、憲法が残虐な刑罰を禁止している以上、死刑は憲法に違反しており、刑法の条文のうち死刑を定めた条項については無効であると考えるべきです。刑罰である以上なんらかの苦痛を伴うペナルティーを課すべきですが、近代社会は、禁固刑や懲役刑(強制就労)のように「自由を奪う」というかたちでその要件を実現してきました。つまり、苦痛を与える方法として、罪人の身体に直接的なダメージを加えることは「残虐な刑罰」として排除したのです。これは人類普遍の真理として、争いはないはずです。
 
 にもかかわらずわが国では、過去に「死刑制度合憲判決事件」に際しての最高裁の合憲判断があり、現在も死刑制度存置の根拠とされているのです。これがおかしい。
 
 死刑は、身体に究極のダメージを与える刑罰であり、明らかに憲法違反です。しかし無理に「合憲」の解釈をこじつけて憲法違反の法律を粛々と運用している。最近似たような話を聞きました。集団的自衛権関連法案の成立と同じ構図です。
 
 死刑を廃止すべきか否かに関しては、私は明確な解をもってはいません。もしアンケートで聞かれれば「どちらともいえない」にマルをつけるでしょう。しかし、憲法違反ではあることは明らかなので、存廃について議論するそもそもの前提として、憲法の改正が必要でしょう。死刑を適正な法律上の制度として運用できる状態とし、その上で存廃それぞれの立場から議論すべしということです。護憲の立場から改正はできない、とするならば、死刑は即刻廃止すべきです。それが法治国家のあるべき姿です。

死刑存廃

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 秋の深まりをしみじみ思い知らせるキンモクセイの香りもそろそろ終わりでしょうか。河島英五が生前「この国が一番美しい燃える秋が訪れる」と詠った晩秋へと、季節は進んでいくのです。今日はやや雲りがちですが晴れ間も見えてる。新しいトレッキングシューズを買ったんで、試しにどこかに出かけようと思ってます。
 
 さて、先週の出来事からちょっと重たい話題を。
 
IMG_7322.jpg 日弁連(日本弁護士連合会)というと、弁護士さんは法律で加入することが強制されてる特殊な団体で、活動方針としてわが国での死刑廃止を標ぼうしています。強制加入の団体なのに極めて政治的な活動しているわけで「おかしい」と感じた会員から批判されて裁判起こされたりしてます。「政治団体として特定の意見を主張したいならば強制加入の団体ではなく、賛同者を集めて任意団体を作ってやるべきだ」というわけです。これは一理あるのであって、判決に注目したいと思います。しかし、その話はちょっと置いといて、今日はその死刑制度のことです。
 
 騒ぎの発端はその日弁連が今月行った人権擁護大会で採択した「2020年までの死刑廃止めざすどー!」という宣言でした。なるほど弁護士さんたちとしては人権擁護の立場から死刑は廃止すべしという主張はまあ当然でしょうね。
 
 ところが有志の弁護士さんたちでつくる「犯罪被害者支援弁護士フォーラム」という団体がこれに対して、「犯罪被害者の人権や尊厳に配慮がない」などとして死刑廃止ありきの宣言採択に反対する声明を発表しました。おっと、弁護士さんたんちの中でも、犯罪者の人権を守ろうという主張と、被害者の思いはどうなるのよという主張が交錯し、必ずしも一枚岩ではないのね、と思ったわけです。
 
 この対立にまたぞろ朝日新聞がちゃちゃを入れます。社説でもってフォーラムに対して「宣言をただ批判するのではなく、いまの支援策に何が欠けているのか、死刑廃止をめざすのであれば、どんな手当が必要なのかを提起し、議論を深める力になることだ」とした。つまり宣言を批判した「犯罪…フォーラム」を批判したわけですな。
 
 これに対してフィーラムが怒った。「私たちは支援のあり方を散々提言して、被害者参加や損害賠償命令制度などを実現させてきた。朝日新聞はちゃんと取材したのか。『ただ批判するだけ』なのは、朝日新聞の方ではないか」と公開質問状を出して痛烈に批判し、ケンカが始まってます。
 
 面白くなりそうですが、公開質問状の件については産経新聞のみが伝え、当の朝日はまったく書かず知らん顔してます。いつものごとく何もなかったことにしちゃうんでしょうか。
 
 一方、その人権大会の前日に同じく日弁連が開いた死刑制度に関するシンポジウムで瀬戸内寂聴さんのビデオメッセージを流したところ、これが物議をかもしてます。寂聴さん、死刑制度を批判したうえで「殺したがるばかどもと戦ってください」と発言したのです。IMG_7329.jpg
 
 これに対してもフォーラムは「被害者の気持ちを踏みにじる言葉だ」と烈火のごとく怒ります。まあ、立場から考えて当然でしょう。時をほぼ同じくして二つの死刑関連のイベントで騒動が起こり、制度の議論がクローズアップされたわけです。
 
 さて、寂聴さんが「バカ」と言った相手は、のちに朝日紙面でも釈明しているとおり、犯罪被害者のことではなくて、死刑制度を維持しようとしている勢力を指していることは明らかで、そんなに目くじら立てて論うことではありません。
 
 よく言われるように、死刑廃止は世界の趨勢です。いわゆる先進国とされてるOECD加盟国の中で実際に死刑続けているのは日本とアメリカだけで、アメリカでも廃止した州が多い。しかし、日本の場合、内閣府がおととしにやった調査では「死刑もやむなし」と考える人がなんと80%を超えてます。圧倒的な世論の支持によってわが国の死刑制度は存続している現状があります。こんな状況では廃止論者たちがいかに声高に叫ぼうが、わが国の死刑制度がなくなることはおそらくないでしょう。
 
 おでかけの時間が迫ってます。ちょと長くなりそうなんで、次回続けます。

旧姓使用

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 秋晴れの清々しい日が続きます。先週、今年の秋はどうもすっきりした晴天が続かないと書いたもんやから秋がいよいよ本気出してきたと思われます。この調子でいきましょう。
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 昨日、恒例の淀川クリーンキャンペーンに参加してきました。流域近くの地域住民、会社、学校などが参加するゴミ拾い大会で毎年運動不足解消もかねて参加してます。
 
 しかし、いつもながら大人数に比べてゴミが少ない。だいたい淀川の河川敷なんて、ふだんから清掃活動が行き届いてて目立つゴミなんてほとんどないんです。昨日も、さながら早い者勝ちのゴミ探し競技のようになってて、ちょっとしたゴミを見つけるとわれ先に奪い合う光景がそこここで見られました。
 
 学生諸君なんて、早々にあきらめて草むらのバッタを追いかけてる。グループで「おい、そっち行ったぞ!」なんて、いったい何のキャンペーンやってんだか。しかし、この種のイベントはゴミ拾い自体が目的ではなくあくまで啓発活動なんで、これでいいのです。おかげで秋晴れの下、気持ちのいい時間を過ごせました。
 
 さて、先週おもしろい判決が出ました。学校の先生が結婚して姓が変わったけど旧姓そのまま使わせてもらえないのはおかしいと訴えてた裁判で、東京地裁は原告敗訴の判決を出しました。asahi.jpg
 
 曰く「職場で戸籍上の氏名の使用を求めることには合理性、必要性がある」ということです。「旧姓は人が結婚前に築いた信用や評価の基礎であり、旧姓を使用して信用や評価を維持する利益は法律上保護される」としながら、その一方で、「職場という多数の人が関わる場所では、個人を識別・特定するために戸籍上の姓の使用を職員に求めることは合理的であって、この合理性は、旧姓が使用できなくなる不利益を上回る」らしい。
 
 つまり、旧姓使用はできるだけ認めるべきやけど、戸籍姓の使用を求める必要性もわかる。比べたら後者のほうが大事、というわけです。
 
 各紙ここぞとばかりに疑問を呈してます。あまりに時代錯誤の判決(朝日)だの、実情への理解が欠けた判決(毎日)だの、社会の流れを理解していないとらえ方(日経)などと一斉に反発。一方で保守系の産経、読売は判決の事実のみを伝え、今日まで社説等でコメントしておらずどうやら完全スルーのようです。ということはつまり、今回は「判決ちょっとおかしい」派に分がある様子です。私もこの判決はちょっとどうかと思いました。
 
 確かに旧姓使用を積極的に認める法律はないし、戸籍姓でないと申請できない国家資格があったりで旧姓使用が完全に社会に浸透したとはいえない状況であることはそのとおりです。夫婦別姓についても最高裁は先日「認めない」と判断しました。しかし、その際の根拠のひとつとして「旧姓使用も徐々に認められている」からとしたわけで、これでは司法がちぐはぐな判断をしたとの誹りを免れません。
 
 判決では学校内で「職員を識別し特定する合理性必要性のため」旧姓使用は認めなくてもいいと言ってますけど、学校の先生が突然苗字変わってしもたらその方が「識別・特定」できんくなりますやん。しかも戸籍姓が変わるのは主に結婚か離婚に際してであって、プライベートの公表を強制することにもなります。これはやっぱり、希望によっては旧姓使用認めていくべきですよ。
 
 ただ、判決というものはあくまで個別の事案に関して事情を斟酌して判断した結果であって、今回の裁判結果だけで「わが国の裁判所は旧姓使用禁止の立場」と一般的に拡大して評価することは危険です。たとえば今回の事件でも仮に「うちは結婚しても旧姓使用できないよ」と就業規則その他の学内規定に明記があったとすれば事情は大きく異なります。それを納得ずくで採用された以上「いやならどうぞ辞めて他所行ってちょうだい」という学園側の主張に分が出てきます。判決文をつぶさに読んでないんで、この辺は何ともいえません。
 
 うちの職場でも旧姓使用はもちろん認められてます。だいたい大学の教員は学会など学外での研究活動でその方が都合いい場合が多いという事情があるのです。そうとう昔から制度として確立してます。
 
 原告の先生は控訴するみたいですが、さて巷間いわれているように、果たして高裁では判断がくつがえるんでしょうか。

海道東征

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 今年の秋はどうもすっきりした晴天が続きません。3連休ということもあり、本当ならばどこかに出かけてしっかりお金を落としたほうがわが国の景気浮揚に貢献できるのでしょうけど、曇天に出端をくじかれ意欲を殺がれ、一方うちの奥さんはテニスの試合に出かけていったりということで、私の今日三連休中日はいちにち自宅警備と決めました。
 
 先週、不思議なコンサートに行ってきました。IMG_7298.jpg
 
 北原白秋作詞、信時潔作曲による交声曲(カンタータ)「海道東征」全編の演奏会です。
 
 皇紀2600年(西暦1940年)を祝賀する奉祝曲として作られた、白秋晩年の大作にして信時の代表作です。日本国の創生、いわゆる神武東征に題材をとり天地開闢から大和政権の樹立までの物語を歌にしたものです。
 
 1940年作曲といいますから戦時色が濃くなっていく時代です。そんな時代に出来たものならいわば軍歌のクラシック版みたいなもんかと思ってましたがさにあらず。日本神話をもとにして神武天皇はじめ神話や古事記に登場する神々や人々の活躍をロマンチックに歌い上げた見事な作品です。
 
 カンタータという、国産では珍しいジャンルの作品、しかも滅多に聞けませんぞよという宣伝にも惹かれて今回聞きに行ったわけですが、まあ、よかった。神話で伝わるところのわが国の草創期が、オーケストラと強靭なソリストたち、それに大合唱団によって終始壮大な雰囲気で表現されていました。
 
 会場見渡すと年配の人たちが目立ちますが、若い世代も大勢いてほぼ満席の状態です。この公演への関心の高さがうかがえます。今回の私たちの席はなんと最前列、ステージきわきわのところで、手を伸ばすとビオラの演奏者の足をつかめてしまいます。そんなことしませんけど。ステージの全容は皆目わからず、ソリストなど一人も見えない。しかし聴いている分には支障がなく、ザ・シンフォニーホールの音響効果に感心しました。
 
 カンタータは歌が主役です。歌詞があるから演奏の主題、作者の意図が直接聴衆に伝わって間違いなく理解されます。とっても分かりやすい。合唱団の皆さん、児童合唱の子供たちも含めてよく練習していると感じました。また、子供たちの出番は2時間近い演奏時間のうち後半のほんの少しです。ずっと待ってないといけないのが可哀想やなと、変な心配してしまいました。
 
 戦後は日本神話などナショナリズムの香り漂うものが極端に白眼視されてきた傾向があります。この名作も、そんなとばっちりによってこれまでまったく演奏されなかったとか。近年見直されて演奏される機会も増え、CDもたくさん出てきました。いいことです。
 
 日本が先の大戦でわが国と周辺諸国に重大なる惨禍を招いたことは厳然とした史実であり、そのことを真摯に反省し将来に向かって絶対に繰り返してはならないと肝に命じることは当然であります。これまで必要な謝罪と賠償を尽くしてきたことも深い反省と自戒の現れといえるでしょう。しかし同時に、わが国の偉大な歴史と世界に誇るべき素晴らしい文化を後世に伝えていくこともまた、国民の重大な責務であって、それは平和を希求し戦争を起こさないこととはまったく別次元のお話なのです。
 
 もし、同様にあまり演奏されることがない埋もれた傑作があるとするならば、もっと世に出てきてほしいもんです。

温泉で昭和発見

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 久しぶりに連休となったこの週末、昨日は職場関連のゴルフコンペがありました。運動不足の解消に、また気分転換に、実に楽しい一日でした。スコアはいつもどおりですが、飛び賞とドラコン賞ひとつをゲットし、うちの奥さんに対しても一日遊んできた言い訳にも少し役に立ちました。私みたいにへたくそでも、ハンディキャップによって上級者と対等に同じゲームに参加できます。ゴルフはこれがいい。しかし、日々お稽古をしようとは決して思わない、向上心の希薄さが情けないところではあります。
 
 さて、九州温泉旅行の続きです。P9216570.jpg
 
 思い出多き黒川温泉郷を後にし、湯布院に向かいます。前回は湯布院に泊まってから黒川に向かったわけですが、お宿の手配がかなわず別府に泊まることになってるので、今回湯布院は立ち寄るだけです。
 
 温泉街というよりもなんだか軽井沢や清里といった高原のリゾートを彷彿させる明るい街並みは前にきたときと変わりませんが、やはりここも外国人の姿がやたら増えてる。聞こえてくる話し声は中国語か韓国語が多い。彼らはやたらと声が大きいのですぐそれとわかるのです。
 
 旅行先であっても仲間内での会話は仲間にだけ伝わればいい。むしろ自分たちの話の内容を他人に聞かれることを嫌がるのが日本人の感性です。しかし中国人、韓国人は他人にどう思われようが構わないのか、周りは外国語が理解できんやろと割り切っているのか、半径10数メートル以上に響き渡る大声をあげながら進んでいきます。周りの迷惑関係なし。はなはだしきは列車の中です。閉鎖された空間でこんな状態に遭遇するとしばらくは苦行の時間となります。多分かれらは他者を思いやる心の構造が日本人とはおよそ違っているのでしょう。国力が増してきた国からのインバウンドが進むことはわが国にとってプラスではあるのでしょうが、個人レベルでは「郷に入っては…」という言葉を入国の条件として突き付けてほしいと思います。
 
 話がそれました。湯布院です。
 
 P9216560.jpgクルマを停めてモダンなデザインの駅舎から名物の観光辻馬車が行くのを横目に、街並みを時間をかけてブラブラしました。「せっかくやし馬車乗ろか」しかし、この日の運行はすでに予約一杯でムリ。
 
 温泉には浸からないとなると、街中にこれといって目新しいものはあまりありません。奥さんは歩きスマホでポケモンgoに夢中です。ゆいいつ面白かったのが、写真の「湯布院昭和館」でした。
 
 昭和の街並みやいろんな商店、学校の教室内、茶の間などなど忠実に再現し、多くの懐かしグッズを集めた空間です。その圧倒的なこだわりでもって昭和が実によく再現されています。よくこれだけ集めたもんやというのが素直な感想です。
 
 「そやそや。こんなんやったなあ」と子供の頃の雰囲気と記憶がよみがえって懐かしさがこみあげてきます。今バリバリ働いて社会を支えている日本人みなに共通する、いわば日本の原風景がここにありました。遠く九州の地であっても変わらないのです。おそらく日本中どこでもこうやった。戦後の高度成長から一億総中流化の波の中で、大阪や東京の真ん中でも地方の山奥でもおなじ商品と情報が手に入るようになるにつれ、すくなくとも日常生活面での地域格差は解消されていきます。その結果、数十年の時を経てこの昭和館で、誰もが共通して懐かしさを感じることができるのやろと思います。昭和はそんな時代やったのです。P9216568.jpg
 
 このスポットが温泉街にある必然性はまったくないのであって、都会の真ん中に造ったらお客さんもっと大勢来るのに、といっしゅん思うのですがさにあらず。ここに限らず、この類の「ナントカ館」は観光地に多いですよね。なぜかということです。普通の商店にしても、都会にあったら目立たなくて繁盛しなくても、観光地や温泉では、お土産とは関係ないお店出してもやっていけます。つまり、行楽客の財布のヒモはゆるくなりがちで、普通なら買わないものでも買っていく人が多いわけです。「ナントカ館」も同じ理屈で 都会にあったら誰も気にもとめないけど、なんらかの非日常体験を求めている行楽中の人であれば、多少興味は薄くても入ってしまうと。
 
 ともあれ、湯布院昭和館は最高水準の博物館です。温泉以外では湯布院に関して私のいち押し。

WELCOME

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PROFILE

IMG_0227_2.jpgのサムネール画像のサムネール画像

katsuhiko

男 

血はO型

奈良県出身大阪府在住のサラリーマン

生まれてから約半世紀たちました。

お休みの日は、野山を歩くことがあります。

雨の日と夜中はクラシック音楽聴いてます。

カラオケはアニソンから軍歌まで1000曲以上歌えます

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