ふざけるな

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IMG_6791.jpg いつものようにまったりとした日曜日の朝です。暑さが本番を迎えつつありますがまだ7月。本格的な夏はまだまだこれからです。
 
 先週は久しぶりに仕事で上京しました。街角でそこいら中に現れるポケモンはおいとくとして、夏の都内でいつも気が付くことがあります。大阪も東京もセミの声が喧しいのは同じですが、大阪はクマゼミのシャンシャンシャンシャン…一方東京はミンミンゼミのミ~ンミ~ンミ~ン…。かつてクマゼミなんて関西にもいなかったのに、温暖化につれて北上し今や大阪ではこのやかましいクマゼミに席巻され、アブラゼミなどほかのセミをあまりみかけなくなりました。
 
 私が育った山峡の小さい町では、夏の夕暮れにはきまってヒグラシの切ない鳴き声がこだましていました。最近、聞いていませんが果たしてふるさとではいまだにあの夏の夕暮れの雰囲気が残っているのでしょうか。近々訪れてみたいと思います。
 
 さて、つい先日、フランスでのテロのことを書いた矢先、なんと、この日本でとんでもないテロが発生しました。
 
 障碍者施設で19人もの命が奪われるという、前代未聞の大参事です。先日は「手口と標的が多様化してテロの恐怖が徐々にレベルアップしている」と書きました。武器がなくてもトラックさえあれば大量殺戮が可能となった事態を言ったです。しかし今回のテロはさらに想定外の事実を示してみせました。すなわち、被害者が不特定一般市民ではなく、さらに無抵抗の弱者であれば、凶器が貧弱でもトラックすらなくても大量の殺戮が可能であるという点です。
 
 日本は極めて治安がよく、このような凶悪犯罪は起こりにくいといわれていただけに、海外でも驚きとともに伝えられたとか。同感です。日本人は他人に迷惑をかけないことを幼少期より徹底されています。日本でしつけとはこの精神を植え付けることです。歩いていて誰かとぶつかったら、状況の把握より先にまず謝ります。韓国IMG_6798.jpgではぶつかったときに謝るなんてありえないそうです。痛いのはお互いさまなんやからどちらも謝る必要なんかないという論理です。理屈はそうでもなんか違うやろと。双方の国民性が現れています。
 
 障碍者なんか殺してしまった方がいい。犯人が幼少期より長ずるにつれて今日までにそんな思いを抱くに至るには、いったい何があったのか。自分がいま生きていることを自分だけの能力、努力の結果と勘違いするまでにどのようなしつけを受けてきたのか。それでも日本人かと。まったく無抵抗の被害者を次々に、まさに次から次へと、黙々と作業をこなすように傷つけ続けた。それはまともな人間にできることでは断じてない。ふざけるなといいたい。やってもいい犯罪なんてないことはもちろん分かったうえであえて言いたい。どんな悪人でも悪魔でも、どんな悪行があるなかでも絶対に絶対にやってはいけないことがあるだろうと。悲しい。悔しい。ふざけるなと。
 
 蛮行を100%防止することができないことは分かっています。実はやろうと思えば誰だってできるのです。思わないだけです。従ってこのような悲劇を繰り返さないためにできることは「やろうと思う人をださない」ことにつきます。教義に沿って他者を傷つけることを肯定する宗教や暴力革命を肯定する社会的な政治集団などを排除する必要があるのです。日本には合わない。わが国の優れた治安と、伝統的に他者を思いやる精神風土を後世に伝え世界平和に貢献するために、われわれは人間形成、しつけ、教育の重要性をいま以上に認識するべきです。

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katsuhiko

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