2016年5月アーカイブ

 伊勢志摩サミット、無事に終わったみたいで何よりです。
 
 伊勢神宮は去年お参りしたばかりです。その時にはサミット決まってたかどうか覚えてませんが、去年行っといてよかった。サミット期間中はとても無理やし、今後サミット効果で海外からもいちだんと観光客が増えて混雑きわまることでしょう。現地にとっては期間中の我慢のおかげでこれから恩恵が享受でき、ホクホクといったところか。
 
 kenmon.jpgグローバリズムの進展によって国際社会と日本および日本人のかかわりは日に日に増大し、それに伴ってスケールの違う悪党どもに対する警戒もその強化が求められます。移民をほとんど受け入れていないわが国ではテロの危険が少ないとはいえ、過去には極左過激派や狂信的カルト教団のテロによる大参事もありました。世界中の先進国の首脳が一堂に会するイベントとなれば、テロリストにとってこれはまさに垂涎の標的であったはずです。
 
 何事もなく終わったと簡単に言いますが、ここに至るまでの警察を中心とする関係者の努力を思うとなんとも頭が下がる思いです。われわれ一般市民に外から見える警備の様子は、ゴミ箱の撤去や自動車検問などごく一部に過ぎません。昨今、いろいろな会合で警察署長さんや警備担当の方々とお話しする機会が増え、もちろんごく一端ではありますがいろんな重要イベントでの警備体制について伺うこともあります。何もなくて当たり前というミッションは、よくよく考えてみると大変な重圧であって、これまで数えきれない特別な警備を達成してきた日本の警察はやはりスゴイと思うとともに、日本人全体の市民意識の高さを改めて感じるのです。
 
 地球上には、武装集団どおしが日常的に殺し合いを続けている国がある一方で、わが国では警察官が何らの事案に際して拳銃を発砲すると必ず新聞に載ります。世界に誇る良好な治安は、歴史上連綿と築かれてきた日本人の民度の高さ、意識の高さの帰結であり、科学テクノロジーにも比類するわが国の誇るべき伝統であって、必ずや将来にも受け継いでいってほしいと思うのです。
 
 そんな中、沖縄で米軍関係者による殺人事件が起こりました。憎むべき犯行は決して許されるものではありません。厳しく処断されるべきであって、さらに犯人の処罰と再発の防止を図ることは当然です。
 
 しかし、日本で米軍関係者が犯罪を起こすと、必ずそれに乗じて「基地を撤去せよ」「米軍出ていけ」「安保反対」を叫ぶ輩がわいて出ます。今回も、ヒステリックなポピュリズムが身上の沖縄県知事を筆頭に、米軍基地があるから事件が起きたという主張が叫ばれていますが、これはおかしい。IMG_6506.jpg
 
 近年、日本に来る外国人が著しく増加しています。それに従って外国人の犯罪も増加していますが、だからといって外国人は日本に来るなということにはなりません。国内の外国人(米軍関係者も含めて)が増えていけば彼らによる犯罪が発生することは当然に予想されます。それを「だから基地は出ていけ」とは、例えば、高校生の犯罪が増えてきたから全国の高校を廃止せよと言っているに等しい、むちゃくちゃな論点のすり替えです。
 
 犯罪の発生に限っていえば、沖縄県での凶悪犯罪の発生は全国的にみてどうなんでしょうか。詳しく調べたわけではないので偉そうに言えませんが、基地があることにより治安維持が機能して犯罪率がおさえられているということもあるんやないでしょうか。基地問題はわが国の安全保障にかかわる極めて重要な国政課題であって、個々の事件とは切り離してことにあたることが必要です。
 
 さて、今日はこれから久しぶりにクラシックのコンサートにでかけます。ずいぶん前にチケット買ったときから楽しみしてました。何かに追い立てられるような日常の中にあって、ほんの一日の憩いのひと時を堪能することといたしましょう。

書の趣き

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 今日もいいお天気です。ていうか天気予報では真夏日になるとか言うてます。さわやかな初夏の陽気の中、昨日は「大阪府地域防災総合演習」というのんに参加して、淀川の河川敷で土嚢積みのお稽古をやってきました。水害対策で、3年に一度やるということで訓練の内容もさることながら、前回の演習からもう3年も経ったのかということに驚いたのです。
 
 そして午後からは、大阪市立美術館で開催中の「王羲之から空海へ」という展覧会観てきました。会期は今日まで。招待券もらったので行こう行こうと思いながらなかなか思い果たせずにいました。やっと昨日の午後時間ができたのでいそいそと出かけたところ、会期末でやはりというか壮絶な混雑でした。IMG_6495.jpg
 
 絵の展覧会はよく行くけど、思い起こすに書道展は記憶にない。だいたい書道はあんまり馴染みがありません。幼少期よりお習字は習っていたものの、高校時代に芸術科目で音楽を選択したことで訣別し、以来筆を持ったことなどほぼ皆無です。したがって、私は字はヘタです。
 
 空海といえば言うまでもなく「三筆」のひとりで日本の歴史上、字がいちばん上手やった3人のうちのひとりです。あと二人誰やったかな。一方、王羲之はウィキペによると「書の芸術性を確固たらしめた普遍的存在として、書聖と称される」とか。西暦303年生まれと言いますから、当時世界の最先進国やった晋の時代、日本ではまだ歴史の記録など無く古墳造ったりしてた頃です。たいそう字がうまかった人ということで、私でも聞いたことはあります。
 
 残念ながらわたくしは絵画同様、書に関してもなんの素養も持ち合わせないのであって、個々の展示品の芸術性などはっきり言ってよく分かりません。今回もお目当ては空海の「風信帖」が展示されると聞きおよんだからという、そう、いつもながらの超絶ミーハー精神の発露にすぎないわけです。
 
 壮絶な人混みをかき分け、間近で見るにこの空海の真筆、みる人がみると素晴らしい筆跡ということになるのでしょうが、わたしには分かりません。自分が書けるとは絶対に言いませんが、もっと字が上手な人はいっぱいいそうな気がします。しかし、これは国宝、日本の至宝とされています。
 
 つまり字そのものよりも、歴史上超有名な弘法大師空海の手になるものという来歴がはっきりしてる、ということが大事なんでしょ、きっと。
 
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 その他の書を鑑賞しようにもとにかく大混雑で、思うように展示品に近づけない。時間を節約するため能書きに「国宝」とか「重要文化財」と書いてあるものを中心に、その他はパスしていきます。どの書も特徴があって、なかなか趣きがあり芸術性が高いようには感じるものの、やっぱりよくわからない。中には書き損じてグチャグチャと消した字があったりで、むしろそんなところに親しみを感じます。こういう部分は教科書には出てこないなあ、とか思いながらひととおりみて回りそれなりに楽しめました。suiteki.jpg
 
 一方、うちの奥さんはかつて書道をたしなんだこともあるとか言ってますが、うち中どこ探しても筆や墨は出てきませんのであやしいもんです。しかし、その片鱗というかなんというか、結婚するずっと前から変わったコレクションしているのです。 
 
 水滴といって、書道で硯に水を注いで墨を擦るときに使う道具なんやとか。かつて私が幼少の頃やってたお習字など、使う墨はもっぱら墨汁で、墨を擦ったことなど記憶にありません。したがって水滴なんて見たこともなくて、初めは「醤油さし?」とか言って怒られたことを覚えてます。
 
 お茶碗や皿と同様に陶器のコレクターズアイテムなんやとか。部屋の壁に専用の棚までつくり付けるほど熱心に集めてて、旅行したときには土地土地の「何とか焼き」の水滴買ってきてたもんです。ところが近頃ではまったく増えていません。飽きたんやと思います。この、棚に並んだ水滴たち、地震には全く無防備です。阪神・淡路のときには住んでた家が狭くて、コレクションは箱に入れて押入れにしまってたので損壊を免れたのです。次の大地震がくるまでには何とかせねばと思ってます。

悲劇の国民

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 北朝鮮労働党が数十年ぶりに党大会を行ったことが話題になってます。この国の在りようについてはいまさらどうこういうのも空しいのですが、今日はちょっと書いてみます。
 
 そもそも、国であるのかということから始めないといけない。わが国とは国交がありません。日本と国交がないという点では台湾も同じですが、日本はいろいろあって台湾を国とは認めていないので当然国交がない。一方北朝鮮についてはいちおう主権国家であることは認めていますが、国交を樹立していない。なぜか。その国を統治している政府がおよそ国際法を守りそうもない、まともに相手にできない極悪集団であるからです。
 
KOREA.jpg そもそも国家とか国交といったものは、他国との人やモノや情報の行き来、経済活動などさまざまな交渉をその国の国民が法令に基づいて行う前提があってこそ成り立つものです。ところがこの国に限っては、国際法どころか基本的な常識がおよそ通用しません。常識が通用しないということでは韓国や中国も人後に落ちませんが、北朝鮮はレベルが違います。あまつさえ拉致やニセ札製造、覚せい剤の輸出など、国自体が犯罪行為を繰り返してきました。こんな国に対して、国と国とのおつきあいを取り結ぶなどおよそ考えられません。従って日本とはいまだ国交がない。当然のことです。今後もいりません。
 
 外交のみならず、国内の統治もひどいありさまです。ひとりの独裁者の専制政治のもとで、国民は洗脳され迫害を受け独裁者への恭順を強いられ、自由、基本的人権、民主主義といった、人類がその歴史において多くの犠牲によって獲得してきた成果を享受することなく、今なおその多くが粛清と強制労働と餓死の恐怖におびえながらなんとか身を存えています。
 
 現代社会においてこのようなことは、およそあってはならないことです。それも、どこか遠い地の果ての未開の国の話ではなく、わが国のすぐとなり、かつてわが国が統治していた領域で起こっているのです。
 
 そんなとんでもない国で、国民向けに「わが党と国家は健在だぞよ」とハリボテの気勢を上げるために今回の党大会は強行されました。何をいまさらという感がしてましたが、案の定その内容たるや、国民向けに核実験とミサイルを成果と触れ込み、虚勢によって体制の維持を図ったに過ぎませんでした。威勢のいいことを言っても独裁者は、本気で戦争を始めるつもりなんかありません。国勢から常識的に考えて勝てるわけがないことがよく分かってることもありますが、それよりもなによりも、戦争となればさすがに今の贅沢極まりない生活ができなくなるからです。Nkorea.jpg
 
 北朝鮮は、複雑に絡み合う国際情勢のニッチに、いつ蒸発してもおかしくない状態でかろうじて存在しているにすぎません。仮に日米と中露の関係が改善したりすればもはやそれまで。国連軍は3日もあれば半島全域を制圧することでしょう。
 
 アメリカや日韓からの経済援助はのどから手が出るほど欲しい。しかし相手にしてもらえずあまつさえ合同軍事演習で挑発される。そこで拗ねた子供のように核実験したり短距離ミサイル撃ったりと、幼稚極まりない行いを繰り返してきたのが、今の北朝鮮です。
 
 しかぁし、中世の暗黒時代かと見まごうこのような絶対王政が、現代にあって永く続くわけがありません。欧州の旧社会主義国が人類の叡智と自然の帰結によって次々と崩壊していったように、北朝鮮という国もごく近い将来、破綻、消滅することは火を見るよりも明らかです。それがイラクのように国外からの軍事侵攻、斬首作戦によるものか、国内不満層の暴動、クーデターから内戦によってもたらされるものなのか、いずれにしても独裁者の心中は穏やかではないはずです。
 
 そうなると怖いのは、独裁者が「死なばもろとも、道づれじゃ」とばかりに核ミサイルのスイッチを押すことです。どこに飛んでいくかわからない中途半端な核技術ほど恐ろしいものはありません。願わくば核弾頭が搭載されないうちに、何らかのかたちで北のお笑い王朝がその終焉を迎えてくれることを願ってやみません。
 
 いつも思うのですが、これだけグローバル化が進み情報に国境がなくなった現代社会にあって、北朝鮮が世界中の多くの国々と比べてどれほど異質でケッタイな国であるか、国際社会においてどのように評価されているかということは、北朝鮮の国民も少なからず分かっているはずです。たとえば日本国内にも多くの在日朝鮮人が住んでいるわけで、少なくとも彼らはなぜ本当のことを故国に伝えようとしないのでしょうか。不思議でなりません。いったいいつまでハリボテの偶像を推戴して、自分たちが当然に享受するべき権利を放棄し、苦しみに耐え続けるのでしょうか。お笑い国家の軍事パレードを眺めるにつれ、あらためて洗脳の恐ろしさを感じ、北の国民を気の毒に思うとともに、金王朝の独裁者とそんな妖怪を生み出した体制に対する憎しみが募っていきます。

夢のこと

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 怖いものみたさという感覚があります。考えてみるとこれ変な話で、人間以外の動物は、怖いもの、すなわち身の危険を感じるものには近寄りません。怖いものを忌避する、生存本能というやつです。
 
 「好奇心」は動物にもあります。イルカなんて実に好奇心旺盛で、ちょっと変わったものがあるとすぐに寄ってくるそうです。しかし対象が危険なものと分かったとたん、一目散に逃げていきます。絶叫マシンなんて人間以外は絶っ対に乗ろうとしない。まあ、乗せようもないですが。
 
 ところが人間だけが怖いものに魅力を感じてそれを楽しむ、じつに不思議な感覚を備えてます。
 
 わたしも怖いもの大好きです。子供のころからテレビ番組で「怖い系」あると必ず観てました。で、そのあとしばらくはトイレに行けなくて後悔するのです。田舎のことでトイレは広い家の端っこにあって、屋外ではないもののたどり着くにはいったん履物履いて暗い中を進まねばなりませんでした。小学生には相当の試練であったのです。怖けりゃやめときゃいいのにまた怖いテレビ観る。で、トイレ行けないを繰り返して、今思えばずいぶんと「怖い」を堪能してた幼少期であったなあと思います。
 
 かつてテレビ番組でよくあった「身も凍る心霊写真・映像」のたぐいがすっかり減ってきたのは何とも淋しい。科学至上主義の社会にあって、いたずらに超自然的な現象をさも事実のように伝えることは果たしていかがなもんか、なんて、よくある放送局の大人の事情によるものとか聞きました。むしろ、PCの普及で幽霊やUFOの映像なんて素人でも簡単に合成、作成できてしまうようになった昨今、「どうみても作ってるやん」という写真や映像を流して「さあ、笑ってつっこんでくれ」という開き直りの怖い系が増えたように思います。実に悲しいことです。ここでも昭和が遠くなりました。
 
 ところで、女性は大体、怪談、怖い系苦手な人が多いと思ってました。結婚するまでは。かつて、バブルの頃、職場の皆で夜中まで残業しているうちになぜか怖い話になって、一緒にいた女性職員が「帰れない」なんて泣き出してしまって困ったことがありました。また、かつてあるTV局の公開録画に参加したとき、ゲストの一人があの稲川淳二さんで、お約束の怪談を語り始めたところ、隣に座ってた女子高生の一団が一斉に耳をふさいで下向いてしまったということもありました。「何しにきたん?」とか笑ったもんです。女性が一緒にいるときにうかつに怪談語り始めると本気で怒りだす人もいたりで、どうやら本当に怖いらしいと思ってました。ところが、うちの奥さん、私同様に怖い系大好きなんです。映画もホラー、スプラッターは必ず観るし、テレビもそれ系の番組は絶対見逃しません。怪談嫌いは女性一般の傾向と思ってましたが、そうでもない。人によるようです。
 
IMG_2322.jpg 怖い夢というのがあります。映画やテレビのバラエティで他人の体験を観るのとは違って、これは本当に怖い。みてるときは当然のこと、覚めてからもなんだか忘れられない、後を引いて怖さが残ります。
 
 数少ないですが、私も忘れられない経験があります。もう何十年も前のことですが、意外にも夏目漱石を読んだあとにとてつもなく怖い夢をみたのです。
 
 「夢十夜」という短編で、10編のアンソロジーです。漱石自身の経験なのか、完全フィクションなのかは知りませんが、「こんな夢をみた」という一文で始まる、シュールな世界を第1夜から第10夜まで描いていきます。その中の第3夜が完全に怪談話で、不条理ではあるが妙に納得してゾッとするものでした。それを読んだ日の夜にみた夢が怖かったのです。第3夜と酷似した展開、もちろん主人公は私に置き換わってて設定も私の日常に変わっており、恐怖で思わず目を覚ましたのです。こんなことはほかにあまり記憶がありません。ホラー作家などではなく歴史上の文豪の作品がきっかけやったというのも面白くて、ずっと記憶に残ってます。
 
 最近は、あまり夢を見なくなりました。睡眠時間が短くなってきたこともありますが、歳をとるにつれて、違う意味での「夢」もしぼんできたからでしょうか。これは淋しい。いつまでも青春の夢に忠実でありたいもんです。
 
 さて、G.W.も今日で終わり。中休みがあったとはいえ十分に休養しました。明日からはまた日常へと戻っていきます。がんばらねば。

火事場泥棒

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 ゴールデンウイークに突入しました。
 
 先週、職場のある部長さんが言ってました。「こないだうちのスタッフが『2日と6日年休ください』って言うから、いいよって言ったあとでよく考えたらあいつ、10連休になるやんか。やられた。」
 
 まあ10日も続けて休んで、その間ちゃんと仕事が回ってくのなら結構な話です。きっと世間一様に動きを止めてしもてるから、なんとかなるんでしょね。
 
 かく言うわたしも連休初日の一昨日は今シーズン初めての甲子園球場に出かけ、やや寒空ではあったもののみごとわがタイガースの勝利をみとどけて心地よく帰ってきた次第です。あとは連休といっても中学校の同窓会に出席するくらいで、旅行の予定とてなくひたすら休養に勤しみます。うれしい。IMG_6361.jpg
 
 私が愛してやまない桂 枝雀さんは生前、人々が休日に好きな趣味に打ち込む様子をマクラに振ってました。「競馬が好きな人、ゴルフが好きな人など、それぞれに出かける日の前の晩などワクワクして眠れないそうです。私はというと趣味が眠ることのなので、明日の朝はゆっくりと好きなだけ寝ていられるという前の晩は、嬉しくて嬉しくて眠れないんです」というやつです。気持はよく分かります。
 
 さて、そんな列島の喧騒をよそに九州熊本・大分の被災地ではG.W.どころではないですよね。官民一体となって復興のために大変な苦労を強いられています。休暇を利用して全国からボランティアが押し寄せているとか。さすが日本。困ったときはお互い様。阪神・淡路のとき、東日本のときにお世話になった、御恩返しはこのときぞとばかりかつての被災者たちも支援金、義援金そしてボランティアと活発に動いています。これぞ日本人の強さ、優しさです。
 
 そんな中、けしからん話が伝わりました。日本共産党といえばウソでも公党です。その公党の名前を堂々とかかげて熊本地震の復興支援のためと見せかけて募金を募り、なんと自分ちの活動資金に充当していたというのですから驚きです。各紙伝えてますが、写真は産経新聞のものです。
 
 募金箱の片すみにおよそ目立たない小さな字で「現地の党組織の裁量で使える募金として日本共産党熊本県委員会に送る予定です」なんて書いてたとか。気が付かないようにこっそりと書いといて「ちゃんと書いてある。読まない方が悪い」というわけで、生命保険や損害保険の読めない保険規約と同じ手口です。さらに「予定です」だと。予定はつまり未定でそのとおりにするとは限らないよって意味で、まるで小学生の言い訳のような詐欺行為です。
 
IMG_6359.jpg 大災害が起こったことを奇貨とし、これ幸いとばかり人の不幸に乗じて私腹を肥やす、なんという悪質な手口であることか。被災地の人々の安否を気遣う一般市民の善意を利用してウソをついて浄財を掠め取る、火事場泥棒と同じ恥知らずな所業です。共産党の資金になるなんて分かってたら誰が募金なんてしますかいな。こんな連中が日本の公党として看板を掲げているなど、およそあってはならないことなのです。ああ、書いててまた腹がたってきた。
 
 このニュースを知ったまさにその日の仕事からの帰り、自宅最寄り駅の改札口で同様に募金箱を抱えて大声出してる連中がいました。東日本のときにも市の議員さんたちが先頭に立って街頭募金をしておられて、私もいくばくかのお金を入れたことがありました。それで、またあの人たちかなと思ったところが、持ってる募金箱をよく見ると「日本共産党」と書いてるやないですか。冗談じゃない。出しかけた財布をソッコーしまい込みました。はばかりながら、泥棒にただくれてやるお金など持ち合わせていません。
 
 ところでこの「街頭募金」、やろうと思えば誰だってできるそうです。募金の目的は何でもいい。もちろん道端でやるときは道路占有許可申請の手続きがいるし、駅や商業施設なんかでやるなら設置者の許可はいりますが、それ以外の手続きは何ら必要ないとか。極端なはなし、警察や駅長さんが許可さえすれば、「今月苦しいんでちょっと助けてください」という募金もありということになります。一方、単純な「こじき」行為は軽犯罪法で禁止されてます。すると街頭募金とこじきはどう違うの、という話になりますが、どうも明確な定義はないみたいです。
 
 善良な市民が今回の共産党のような詐欺集団の被害にあわないためにも、街頭募金を行う際には公的機関の許可を必要とするよう、はっきり規制した方がいいのかも知れません。

WELCOME

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PROFILE

IMG_0227_2.jpgのサムネール画像のサムネール画像

katsuhiko

男 

血はO型

奈良県出身大阪府在住のサラリーマン

生まれてから約半世紀たちました。

お休みの日は、野山を歩くことがあります。

雨の日と夜中はクラシック音楽聴いてます。

カラオケはアニソンから軍歌まで1000曲以上歌えます

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