桜、都から山峡へ

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 今年も桜はすっかり散りゆき若葉萌えいずる季節となりました。日本はその情緒豊かな四季の中でももっとも爽やかな時節へと突入していきます。
 
P4035970.jpg そんな能天気な感傷を突き崩すように、九州で大地震が発生しました。阪神淡路のときも東日本のときもそうでしたが、いつも想定外のところで起こります。災害大国ニッポンにまた試練です。またもや日本人の叡智が試され、強さと優しさが求められる状況となりました。今はただ人的被害が少ないことを祈りつつ、そんな非常事態を横目にブログでは先日来のお出かけのことを書いていきます。
 
 年度かわって最初の休日は、恒例の京都での同窓会花見でした。いつものメンバーで疎水べりの満開の桜を愛でつつ散歩したのち、粟田口の料亭竹茂楼さんで、祇園甲部の舞妓さんの京舞接待つきで京料理を楽しみました。
 
 お天気もよく実に爽やかな楽しい一日となりました。ひとえに祇園通の仲間のおかげであって、いつもながらの差配には感謝に堪えません。聞けばこの幹事氏、この春職場を替えて新たなスタートを切ったとか。他のメンバーもそれぞれにいろんな人生経験を重ねていく様子が語られ、自分もさらに頑張らねばという思いが募っていきます。同級生の絆の賜物であり、幸せを感じる瞬間でもあります。
 
P4096097.jpg そしてさらに先週は、縁あって奈良県吉野郡川上村での観桜会に参加する機会を得ました。大阪工業大学と川上村とは連携協力協定を締結しているのです。
 
 自然豊かな同村を舞台に、木造小学校の校舎をリノベーションしたり、間伐材から作った割り箸を炭化し養生に再利用し環境循環型社会について学んだりと、そのほかにもさまざまな活動を展開しています。その関係で今回お招きいただいたという次第です。
 
 川上村といえば、わがふるさと下市町も同じ吉野郡にあり馴染みがあります。さらに、かつて例の奈良検定を受検していたころ、関連して吉野川の源流までを辿るハイキングに参加したことは以前にも書きました。あの川上村です。
 
 この日も京都のとき同様に快晴で、吉野山に向かう花見客の渋滞を見越して早めにマイクロバスで大阪を出発した一行は、途中道の駅に立ち寄るなどしてがやがやと吉野に向かい、予定よりやや早く会場の旧小学校に到着しました。校庭の脇には見事な桜の大木が屹立しています。まさに観桜交流会にふさわしいおだやかな春の雰囲気の中、村長さんはじめ、村の方々との楽しい交流、花見宴会はあっという間に過ぎ去りました。引き続き大学と村との連携、絆の強化を確かめあい、別れを惜しみつつ村をあとにしました。
 
P4096106.jpg 川上村の面積は大阪市より大きい。しかし人口は1,600人と大阪市の実に1/1,600以下です。都会の大学と、田舎、それも大山奥の大きくて小さな村との連携は何とも不思議な気がします。しかし、都会の学生が大自然の中で学ぶことは大きな意義があり、また村としても学生の活動拠点として活性化を図るという、双方大きなメリットがあります。
 
 人はふるさとをあとにし都会に出てその後の人生をかたち作っていくケースが多いわけで、故郷はまさに遠くにありて思うものというのが通り相場です。わたしの場合でも、大阪と吉野という距離的にはそんなに遠くはないけども、いわば仕事と故郷は隔絶している中で今日まできたところが、偶然、その故郷が自分の仕事の中に突如登場してきたことに、なんとも不思議なエニシを感じます。
 
 人と人の絆の力を感じます。村は多聞に漏れず過疎が進み、将来的な発展は必ずしも楽観できる状況ではないはずです。しかし、この日、満開の桜のもと美酒を酌み交わした村の方々は、村長さんはじめ皆さん一様に明るく元気かつ大らかで、それは村の明るい将来を暗示しているようでもありました。

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katsuhiko

男 

血はO型

奈良県出身大阪府在住のサラリーマン

生まれてから約半世紀たちました。

お休みの日は、野山を歩くことがあります。

雨の日と夜中はクラシック音楽聴いてます。

カラオケはアニソンから軍歌まで1000曲以上歌えます

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