2016年1月アーカイブ

現代の悪代官

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 甘利さん、終わりましたね。
 
 アマリにも予想通りの展開で笑ろてしまいます。 現金授受、違法献金に関する疑惑が週刊紙にスクープされて、はじめのうちはゴニョゴニョ言ってたけど結局事実と認めて大臣辞任と。議員辞職はギリギリ踏ん張ったけど、贈賄側の出方によってはもう一波乱ありそな気もします。野党は大喜び。今回の辞任は、責任感じたというより、これ以上の追及をかわすための戦術でしょうね。さてうまく逃げ切れるでしょうか。
 
osatu.jpg だいぶ前にも書きましたが、自民党、ここなんですよ。金に汚い。安倍内閣に限っても選挙民を観劇で接待して大臣やめたり、うちわ配って大臣やめたりとまあとにかくワキが甘い。感覚がずれてるんです。今度の件にしても、氷山の一角やと思ってるのはわたしだけではないでしょう。
 
 法律は議員の口利きそのものを禁止しているわけではありません。お代官様の時代ではなく現代であっても、基本的に民衆は弱く官吏が強いというのが社会のしくみです。そこでお上にいじめられる庶民は、議員様といういわばヒーローにすがって悪徳公務員をやっつけてもらうわけです。官僚や公務員は、なぜか議員のいうことなら無碍には断らず素直にきくことが多い。かくして庶民は希望どおりにお上を動かし、議員たちはその見返りとして助けてやった有権者から次の選挙で票をもらうと。もちつもたれつで互いにハッピーです。
 
 議員のホントの仕事はそんなことではないんやけど、まあここまではいいとしましょう。
 
 問題は、そこに金銭のやりとりがあったとしても、それが法律に定める範囲内であればいいよということなのです。これがおかしい。今回のアマリさんも、もらったお金を秘書に渡そうがポケットに入れようがきちんと報告して処理してさえいればなんの問題もなかったわけです。こんな法律はおかしい。
 
 政治献金なんて言ってますが、ようは賄賂、マイナイ、袖の下というやつです。なんの見返りもないのに縁もゆかりもない政治家にポンとお金をあげるはずがありません。自分が儲けるために都合のいい政治をやってほしい、または特定の案件で便宜を図ってほしい。そのための投資あるいは必要経費として、決定権がある、または決定に影響力がある政治家に「なんとかよろしく」とお金を渡す。これはすなわちワイロ以外のなにものでもありません。
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 報告書に記載があるとかないとか、あるいは政治家個人やなくて資金管理団体に対する献金やからいいとか、上限150万円以内はよくてそれを超えるとダメやとか、法律はグダグダと理屈を並べてワイロを合法化しているに過ぎません。隠れてやりとりするワイロは許さんけど、それなりに手続きしたらOKというわけで、これはギャンブルと同じ理屈です。公営ギャンブルには娯楽の提供とか税収の増加とか、ある意味メリットもあるけど、ワイロについては何の言い訳もできません。かの江戸時代の田沼意次の賄賂奨励政治を彷彿させます。政治資金規正法なんてカッコいい名前やめて「賄賂管理法」と改定すればいい。
 
 それよりも何よりも、企業・団体の献金は、政党に対してであろうと政治団体に対してであろうと、政治家個人に対してであろうと、一切禁止するべきです。法律の範囲内なんて必要ありません。人として条理的にダメなことはダメなんです。
 
 こんなに簡単なことが、民主国家、法治国家である現代日本においていまだ実現していません。かつて民主党は企業・団体献金の禁止を政策に掲げていたように思いますが、いったいどうなったんでしょ。やっぱりワイロ収入に未練がある所属議員が反対して尻すぼみといったところでしょうか。
 
 20年ほど前、献金を急に禁止すると現実問題として議員が困るからってんで、その代りに政党交付金という制度が導入されました。国民1人当たり年間250円、総額約320億円の税金が、国会議員数の割合や選挙での得票率に応じて政党に配分されるという仕組みです。ところが、それで企業・団体献金がめでたく禁止されたかというと、なんと、何も変わらず旧態のまま今でもワイロが公然とまかり通っているのです。なんのことはない、政党助成の名目で新たな税金の無駄遣いをはじめたに過ぎません。こんなしくみが、その後なんの反省もなく今でも続いているのです。
 
 アマリにもひどい、前近代的なこれらの仕組み。そろそろ見直してほしいもんです。

アイドル考

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 さあ、寒波襲来です。
 朝まだきの城北公園、ハトの群れもこの寒空には活動の気力がすっかり萎えてしまい、売店の屋根にキレイに整列して寒風が去るのを待つといったところ。
 

 

  きりきりともみ込むような冬が来た 

 

 
 好きな詩、高村光太郎の「冬が来た」です。
 
 西日本の平地でも雪が降るぞ~とテレビの気象予報士たちの鼻息が荒くなってきました。かつて書いたように雪大好き人間の私ですが、日本中から日々大雪の様子が伝わるというのに、なんと今年はまだ雪を見ていません。まったく見てない。大阪というところはそれほど雪が少ないのです。そこにきてこの寒波、40年ぶりに沖縄でも雪降るかもわからんそうです。いやまして期待が膨らんでいきます。
 
 毎度、雪国の人には申し訳ないけど、冬は冬らしいのがよろしい。四季の情緒あってこそのニッポンです。
 
 冬よ
 僕に来い、僕に来い
 僕は冬の力、冬は僕の餌食だ
 
 さて、先週はSMAPで始まってアマリで終わったという感がありましたね。大臣の方はまだしばらく騒動が続きそうな、またぞろ金にだらしない政治家の話です。こんなのが重要閣僚である経済再生担当大臣というんやから笑ってしまいます。ここしばらくまるでいいところがなかった野党に燃料投入する事態になったわけやけど、どうせ辞任するんやから時間の節約のためにさっさと片づけて、国会の会期はもっと大事な審議に情熱を注いでほしいもんです。
 
 それよか、今日はSMAP騒動です。ひとたび話題になるとテレビ、雑誌など沸騰してどんどん拡散されるうちに枝葉の話も出てきたりでパンデミックのごとく大きな情報の渦が広がっていきます。
 
 SMAPが解散するらしいという話が伝わって「ふ~ん」と思っていたら、いや実は事務所と揉めててやっぱり解散しないらしい。「ふ~ん。どうでもええけど」と思っていたら、謝罪だの会見だの生出演だのとなにやら世間が大騒ぎになってきました。結局、解散するともしないともはっきり言わないうちに、メンバーのうちの4人が事務所に迷惑かけてごめんなさいってことで生出演は終わってしもて、それでも巷には「解散しない。よかった~!」という雰囲気が拡がって、その経緯が憶測を呼んで、あげくになんとその騒ぎが全国紙の一面で記事になってるやないですか。
 
 どうやらこのいちアイドルグループの去就は、わたしの認識のはるか上空を飛んでいく大事件として、わが日本国民に受け止められたのみならず、世界中にも拡散されたようです。
 
 地球温暖化の進行は、待ったなしの状況の中で人類の叡智が試されています。中東では様々な勢力が入り乱れて戦禍が収束する気配すらなく、欧州でも難民が溢れ日々生死の狭間でなんとか暮らしている人々がいます。人類の宿痾ともいうべき貧困と極端な富の偏在の解消は、21世紀の現代にあっても一向に改善の気配がないのみならず、さらに進みつつあります。そんな中にあって今回のこの大騒ぎ。つくづく日本は平和なのです。candies.jpg
 
 それとともに思ったのは、人はやっぱりHEROを求めるんやなぁということです。キムタク主演のドラマの話ではなく、アイドルであってもスポーツ選手であっても、大衆はとにかく憧れの存在を求めるのです。
 
 あらためて考えてみるとこれは何とも不思議な感情です。身近に愛する人がいる場合、仲良くなりたい、独占したい、相手からも同様の思いを寄せてもらいたい、つまりは愛する人に自分を認めてもらい、さらにはその全てを手に入れたいと思う。これは人間というより生物としての本能に根差した自然な感情です。ところがアイドルを慕う気持ちはあまり見返りを求めません。たまに熱情が倒錯してストーカーと化し事件になってしまうこともありますが、そんなのは稀有な例であって、たいがいは一方通行の感情で充分に満足しています。不思議な話です。
 
 親子の情なんかもそれこそ見返りを一切求めないいわば無償の愛ですが、アイドルに対する感情はどうもそれとも違う。いっとき熱を上げてファンクラブに入りグッズを買い集め日本中追っかけを続けていたのに、別のアイドルが気になりだすとコロッと宗旨替えして、それまでの熱狂対象のことはすっかり忘れたかのように見向きもしなくなる。肉親の情とはまったく違う種類の感情です。
 
 かくいう私も青春時代にはキャンディーズの大ファンであったわけで、解散のときには嘆き悲しんだことを思い出します。つまりこんな野暮な分析などせず、理屈抜きで好きなものは好きと素直に感情に身を任せるのが正しい在りようということなんでしょう。きっと。

みっともないぞ

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 ここ数日寒さが強まり、本格的な冬の趣きが増してきました。暖冬がいわれてましたがやはり帳尻はあってくるもんです。昨夜の帰宅は日付が替わってからでしたので、底冷えが一段と身に沁みました。
 
 さて、北朝鮮による国家テロ、日本人拉致問題の解決はわが国にとって非常に大きな外交課題であって、国民の一人としてその進展を切実に望むものであります。この憎むべき国家犯罪が明らかになってからもう何十年も経ちますが、一向に解決の気配がなく、被害者およびそのご家族の心情を拝察するに暗澹たる思いを抱くとともに、かの国の金王朝に対する怒りが沸々とこみ上げるのを禁じえません。
 
 唐突に、いまさらのようにこんなことを書き始めたのは、先週の衆院予算委員会において、じゃっかん捨て置けないやりとりがあったからです。
 
abe2.jpg 民主党の緒方林太郎という衆議院議員が安倍総理に対する質問の中で「首相は拉致問題を使ってのしあがったのではないか」と言い放ちました。これに対して安倍首相は激怒し「議論する気すら起きない。」と真っ向から否定しました。当然の対応です。
 
 国会では本会議でも委員会でも、質問とは自身の主張を国民に示す最大のチャンスであるわけです。この議員も疑問点の答えを知りたくて首相に質したのではなく、本人を前にし、国民に対して「この人物はそういう人なのです」ということを喧伝するがために行った行為です。下品ないいいがかりであって、名誉棄損に相当する言辞です。
 
 緒方議員は、拉致被害者家族の蓮池透氏が書いた、拉致問題が政治利用されているという主旨の本を取り上げて首相に迫ったわけです。しかし蓮池氏のこの考え方は被害者家族の会の中でも批判されてて、被害者の一致した思いではありません。問題解決のための方策はたくさんあるやろし、どうするのが一番よいのかという意見も人によってさまざまです。蓮池氏は、北朝鮮に対して制裁を強化したりせずに戦後補償・賠償もからめてバーターで進めればよいという立場であって、どうも安倍さんの今の方針が気に入らないらしい。従ってあんな刺激的な本を書いて政府を批判したのです。当事者の発信ということでそれなりにインパクトがあります。
 
 かつて、5人の拉致被害者が先行して帰国したとき、政府の思惑は平壌宣言に従っていったん彼らを北朝鮮に戻すという流れでした。これに断固として反対したのは当時官房副長官で拉致問題交渉の先頭に立っていた安倍首相だとされてます。蓮池氏はここに噛みつき「返すなといったのは安倍さんではなく私だ」と書いてます。そして「したがって安倍さんは問題を政治利用している」という論理なわけですが、これはちょっとどうかと思います。あの当時「返すな」という主張は、誰が言いだしたとかいう話ではなく、怒りに燃えた日本国民ほぼ全員の素直な気持ちではなかったでしょうか。
 
 結果的に何十年も経っていまだ解決に至っていないことは事実であり、被害者救出のためにひょっとしたらもっといい方法があったのではないか、と言われればそのとおりやと思います。しかもそれは被害者のご家族の一人としての率直な気持ちであって、そのことを「違う」というつもりはありません。いろんな考え方があっていいのです。誰もが被害者全員の無事と一刻も早い帰国を願っていることに違いはありません。
 
 が、しかし、今回の緒方議員の質問は、そんな被害者の率直な気持ちを利用して「被害者がこんなこと言ってるぞ」と追及したわけです。安倍さんが言ったとおり、そんな質問をすること自体がこの問題を政治利用している、政争の道具にしているわけで、これでは対北朝鮮で一致結束していこうとするわが国の対応をカクランしようとする北朝鮮の思うツボです。金正恩がこの質疑のことを知ったら笑いがとまらないことでしょう。
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 翌日、産経新聞は「民主党にはこんなバカがいる」と一面トップで詳しく伝えました。一方朝日新聞はさすがにまずいなぁと思ったのでしょう、このやりとり見て見ぬふりして、単に拉致問題について緒方議員が質問し首相が「解決に全力を尽くしたい」と答えた、とのみ書いています。いろんなことがわかり易くて困ります。
 
 国会の論戦というのは、国民にとって何が一番よいのかということを話し合う場です。時の政権に対する批判はよいとしても、代案も示さず、ただ嫌がらせのための質問に時間を費やし、そしてその卑しい心根を国民に見透かされては大恥をかく。何とも情けない。その昔、自民党が金権金満体質と批判されましたが、スカタンばっかりやって醜態を晒すのがどうも民主党の体質のようです。過去、小泉政権時代に時の自民党幹事長に関する根も葉もない不正事実を予算委員会で朗々と指摘したバカ代議士が、あとでウソと分かって結局議員辞職したいわゆる「堀江メール事件」や、最近ではTPP交渉にからんで、同じく衆院予算委員会で担当大臣に対する勘違い質疑で勉強不足を露呈して大恥かいた議員など、とにかく何というか、不細工なんです。
 
 思うにこれは、国会議員として本当に国民のためにどういう政策がいいのかという素直な思い、いわば選良の使命感から出た行動ではなく、とにかく目の前の相手をやっつける、なんとか揚げ足をとってギャフンといわせることのみを企んでいるからこんなことになるんです。
 
 あなたたちの仕事はそんなことではないはずです。ウソでもいっときは政権を担った政党の、これがあるべき姿でしょうか。こんなことを繰り返してるようでは、自民党の長期政権はいよいよ盤石なものとなってしまいますよっと。

同級生の絆

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 高校の同窓会が昨日ありました。
 
 5年ごとにやってもらってて確か4回目やったと思います。毎回、参加するたびに、同級生がそれぞれいい歳をとっていってる様子が分かります。やっぱりいいもんですね。
 
 大阪から出かけて行って、開宴時間までにやや余裕があるし、お天気もいい。せっかくやからと同行した同級生と一緒に、母校に行ってみました。ひとりだけやと怪しい人と思われるかもしれんけど、二人連れでいけばそうでもないかなというわけです。最寄りの駅からの通学路を辿っていくと、街の景観はだいぶ変わってはいたものの、無事に辿りつけました。をを、懐かしの母校よ!
 
 土曜日にもかかわらず正門開いてます。多分、大学入試センター試験を1週間後に控えて補習かなんかやってるのでしょう。おかげで勝手に校内に入り込み、校庭をぶらつくこともできました。先生と思しき人が出てきて
「どなたかをお待ちですか?」
「いえ、卒業生です」
「分かりました」
 行ってしまいました。
 
 ちょっと、セキュリティー甘い。
 
 30年以上ぶりに訪れた母校はほとんど変わっていません。なんと、伝統あるわが母校の本館校舎は、貴重な建築物として数年前に国の登録有形文化財に指定されているのです。歴史を感じるその独特の景観から、映画のロケ地に使われたこともあります。昭和8年竣工のこの校舎は、わたしが卒業してからのわずか30年ちょっとでは変わりようがない。しかし、その周辺、校地内には当時なかった講堂と思しき近代的な建物も増築されてて、やはり時間の経過を感じた次第です。IMG_6012.jpg
 
 で、再度電車に乗って会場のホテルへと移動すると、駅からホテルまで歩くあいだにも懐かしい顔がワラワラと集まってきます。われわれの年代になると、皆、子育ての責任を終えそろそろ孫ができる人もいたりして、少しは気持ちに余裕が生まれてくる頃です。同窓会実施となると、やっぱり参加してみようかとなるもんです。
 
 旧友との歓談にいっとき日常を逃避し、旧交を温め絆を強めるとともに、恩師への感謝を今一度認識するというわけです。それはそれで同窓会の大きな意義であるわけなのですが、同窓会を行い、またそれに参加することの大きな意義は、再会を機にまた新たなつながりを築くきっかけとなるところです。
 
 まったく縁もゆかりもない他人であれば、仕事上であってもプライベートであっても相手の信頼を得ていくことはなかなかに難しい。しかし、その昔学生時代を共有しているというルーツがあると、相手のひととなりのたとえ一部分であっても理解しあえるわけで、さらに同窓会に参加するということはその人も学生時代を自分の歴史として認識し大切にしていることの現れであって、つまりはこれが「絆」です。従って、たとえ現役当時には全く知らない仲であったとしても、絆共有の確認ののちには一気に交流が始まって、その信頼はターボ状態で加速されていくのです。すなわちこれが同窓会最大の効能です。
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 少し前朝日新聞に、今や気鋭の進歩的文化人と称されている某評論家のインタビュー記事があり、同窓会に参加しないのかと聞かれて「一切行かない。興味もない。だって何十年も会わなかった人といまさら何をしゃべるの?」というやりとりが記されてました。
 
 アホかと言いたい。
 
 有名人やから、会合に出席してチヤホヤされるのがいやということなのか、有名人やからただの一般ピーポーとなんか話したくもないということなのか、いずれにしても傲慢この上ないただの上から目線に過ぎません。この人物は自分が今あることをすべて自分だけの功績と信じているわけであって、それはそれでまあ大したもんやとは思うけど、自己形成に大いなる影響を与えた学業の場を愚弄するかのごとき言辞には何とも残念に思うとともに、可哀そうな人やなあとも感じます。
 
 さて、2次会、3次会と進むにつれて酩酊の度合も増していき、何とか日付が変わる前には帰宅できましたが、今朝は久しぶりに二日酔いの苦しみを味わいましたよ。
 
 忙しい中準備を進めていただいた幹事の皆さんには感謝に堪えません。そういえば今年はわが田舎の中学校の同窓会イヤーでもあり、幹事職を仰せつかっています。負けないように頑張らねば。

やっぱりなあ

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 おだやかな新年の訪れとなりました。
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 ことしはゆえあって新年の祝詞を控えさせていただきますが、ごらんいただいてます皆さまにとって、よい年となりますようお祈りいたします。
 
 また、私の仕事人生も勤続30年の節目を超え、来るべき難局に向けて気力を充填し、公私とも粉骨砕身の覚悟でもってことにあたってまいりたいと気持ちを新たにしております。どうか今年もよろしくお付き合いください。
 
 さて、もう言うまいと思ってましたが、年末にかのやっかいな隣国との関係で動きがありましたので、そのことについて記すことで今年のブログを初めてまいります。
 
 「慰安婦問題日韓合意」各紙一面で大きく伝えています。今回の合意で日本は、最終かつ不可逆的解決であり、今後慰安婦問題を蒸し返さないという約束を韓国政府から獲得しました。もし韓国側が合意内容に従わずこれまで同様に日本を非難するようなことがあったら、日本政府は合意違反として国際社会で韓国を糾弾できることになります。民間団体も同様です。慰安婦像を作ったりしてる反日団体の蛮行を止めさせる責任を、韓国政府は負ったということです。
 
 IMG_5988.jpgわが国民の受け取り方は「ほんまかいな?」「あの国がそんな簡単に納得するはずないやん」でした。
 
 で、案の定韓国政府は合意の舌の根も乾かぬうちに「慰安婦の世界遺産登録申請抜けるなんて言った覚えないもんね」とか言い出しました。やっぱりなあ、という感じです。
 
 政府はさておき、反日メディアが先頭に立って合意反対を扇動することで韓国国民が大騒ぎをはじめてます。やっぱりなあ、という感じです。最終的に解決と認識したのは日本だけで、隣国はいずれ「そんな合意なんてしてない。事実ムコン」とか言い出すことでしょう。そしてまたわが国は、再びみたび遠ざけられたゴールポストに向かっての「大人の対応」を迫られることになります。これまで、朝日新聞のねつ造記事に端を発した両国関係の悪化に対して、わが国の政府は比較的しっかりと対応してきたと思います。近い将来、さらなる紆余曲折があることは明白ですので、これまでどおり是々非々でことにあたっていただきたいところです。
 
 ところで、他紙はともかくこの日の朝日新聞を、社説はもとより紙面のすみずみまで読みましたが、くだんの慰安婦証言にかかる「吉田ねつ造記事」については全く触れられていません。今回の大きな動きは、朝日新聞にとってことの発端となった自らの大失態を真摯に反省するよい機会となったはずです。それを、まったくの他人事でもあるかのように歯牙にもかけず、吉田の「よ」の字も書いていない。何という無責任かつ厚顔であることか。
 
 まるで、ねつ造記事をことさら無視するというボケに対して各方面からのツッコミを期待しているかのようにも受け取れます。これでは、まったく反省していないとさらに叩かれることになるでしょう。朝日は「ドM」か!?
 
 何回目かの繰り返しになりますが、朝日新聞、やっちゃったことは取り返しがつかないのやから、しっかりと謝って、将来に向けて信頼を取り戻す行動を示すべきです。今回われわれの血税から慰安婦に支払われる、いわれなき10億円、この際朝日新聞社が進んで拠出してはいかがですか。

WELCOME

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PROFILE

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katsuhiko

男 

血はO型

奈良県出身大阪府在住のサラリーマン

生まれてから約半世紀たちました。

お休みの日は、野山を歩くことがあります。

雨の日と夜中はクラシック音楽聴いてます。

カラオケはアニソンから軍歌まで1000曲以上歌えます

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