2015年7月アーカイブ

ラジカセのこと

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 今を去ること40年前!今や厚顔のオヤジと成り果てた私が紅顔の美少年やった頃、確か中学校1年生の砌と記憶しています。お年玉やお小遣いを貯めて初めて買ったラジカセが、稀代の名機の誉れ高いSONYのCF-1900、愛称「pro1900」という機種でした。

pro1900.jpg 今でこそ海外のメーカーの後塵を拝するSONYですが、当時は"RISING SUN 日本"の旗手として世界を席巻していました。エレクトロニクス分野での日本製品の地位は微塵も揺るがず、世界中が競ってMade In Japanを買い求め、その中心にSONYが君臨していました。その後ウォークマンを世に送り音楽の楽しみ方に革命を起こす、いわば革命前夜の時代、ラジカセの全盛期でした。

 当時の中高生は、ひとり1台ラジカセ持ってて、深夜放送を勉強の友とし、ヒット曲はAMよりも高音質なFM放送からカセットテープに録音しライブラリを増やしていくのがその頃のポップカルチャーでした。

 そんな時代にあって私が愛機に選んだpro1900。カタログ価額は4万円弱と、同時期SONYのフラッグシップモデルやった「Studio1980」に次ぐ高価設定。1980と比べるとはるかに小型でスタイリッシュ。後の時代も私はSONY製品のシンパで、カセットデッキやコンポステレオ、テレビにビデオデッキ、それにもちろんウォークマンと実にさまざまなSONYを愛用してきましたが、その最大の理由はデザインの良さです。他のメーカーの同等製品に比べて機能やコスパで劣ってても、デザインの良さはズバ抜けてました。pro1900は40年後の現代でも余裕で通用する、洗練されたフォルムです。

 その愛機、大学入学で上京するまで大事に使ってましたが、なんと実家が何回か引っ越しを繰り返すうちに失われてしまったのです。東京にも一緒に連れて行っときゃよかったと後悔しても後の祭りです。

 爾来40年の歳月を経て、青春時代を共に過ごしたあのラジカセをどうしてももう一度触ってみたくなり、忘れ物を取りに行くような気持ちで入手を試みることとしました。デッドストックなどあるはずもないので、オークション取引に頼ることとなりますが、探してると何とオークション市場でも今もってpro1900の人気は高く、半ばジャンクと化した中古機が高値で取引されていることが分かってきました。IMG_4096.jpg

 こまめにチェックし始めて1年も経ったでしょうか。そこそこの状態のんが出品されたので、買い時と思い落札しました。

 いざ商品が届いて梱包を解きデスクに置いてみると…おお!まるで空白の数十年など一気に消えてしまい、ずっとこの部屋にあったかのように馴染んでいます。不思議なことに懐かしいという気持ちが湧きません。このラジカセと共に過ごした若き日々の記憶が今もってその存在を違和感なく受け入れているのです。なんとも変な気分です。まあ、嬉しい(^^)

 さて、この中古品、もちろん動作は不完全です。スイッチいれるとラジオは鳴りますが、ファンクションスイッチ押しこんでもテープは作動しません。つまりは壊れてます。普通、道具は壊れたら捨てるもんですが、逆にゆえあって壊れたのんを買ったというわけです。ではもう一段階もどして完全に動くように修理したろと思い至るまでに、さほど時間はかかりませんでした。

 かといって私は純粋文系人間で精密電子機器の修理なんて逆立ちしたってできるはずもなく、専門業者に依頼することになります。

 いろいろ調べてみたところ、SONY自体の修理サービスはもちろん、いろんな家電修理サービス業者にしても「もう部品が無くて、サービス対象外」ということで、そらそうでしょうね。40年前の製品と言ったとたん絶句されたところもありました。いかにバカな依頼かということです。

IMG_4091.jpg そんなこんなでたどり着いたのが、栃木県にある「アトリエ4R」という業者さんです。70年代80年代のラジカセを専門に修理しているというニッチなコンセプトのお店で、おそらく日本で唯一ではないでしょうか。事前にメールで状態を伝えたところ見積もりをいただくなど丁寧に相談にのってもらい、お願いすることにしました。たくさん依頼があって修理着手まで3カ月待ちとか。依頼者たち、おそらくは私と同世代でかつて青春時代をともに過ごしてきたラジカセをなんとか蘇生させたいと考えるオヤジたちでしょう。気持ちはよくわかります。

 修理は程度によっていろんなコースが用意されていますが、せっかくなので完全オーバーホールを依頼しました。宅配便でpro1900を送り気長に待ってると、ほぼ3カ月経って「修理完了しました」との嬉しいお知らせが。

 帰ってきたpro1900、さっそく鳴らしてみると、「おお!」ほぼ完璧に動作します。音質そのものは、昨今のデジタル機器とは比べるべくもありませんが、当時聞いてたテープの音、ラジオの音がよみがえってます。嬉しい(^^)

 現代ではデジタルオーディオ機器の進歩でほぼ原音に等しい超絶クリアな音楽がお手軽に楽しめます。ラジオもインタネット放送で、電波状態関係なしに高音質で聴くことができます。実用の点考えると、今や40年前のラジカセの出る幕はまったくありません。はっきり言って貧弱な音ではあります。しかし、今回の修理はもちろんデジタル機器に匹敵する性能を求めたのではなく、それらの役割を担ってた40年前当時の空気と記憶を今によみがえらせるために必要な投資であったわけです。中古品の入手と修理費用合わせて新品定価の2倍近い金額を費やして、他人から見ればいったい何をやってるのかということになるでしょう。しかし今、脇机の上にチンと納まってるpro1900の姿を眺め、ラジオ聴いてるだけで気持ちが実に寛ろいでいきます。

 どうも近年、実用性以外のところに変な価値を見出し始めました。これは、オヤジ度がさらに進んできたということか。う~ん。。。

Suicaと自衛権

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 梅雨も明けていないというのに北上してきた台風が西日本を直撃しました。おとといの金曜日、暴風警報いつ出るかいつ出るかと気にしいしい仕事しているうちに終業時刻となり、結局普段どおりお仕事を全うして帰宅しました。今回の台風の進路やと大阪では南東から風が吹くことになるので、山に遮られて雨雲が入ってきません。さすがに風は強いものの、見上げると青空さえのぞいているようなあんばいで、たいして影響もなくいちにちが過ぎていきました。夕方以降さすがに降り出した雨が強くなり、最接近した夜半以降は風も強くなって暴風警報が出た模様。しかし昨日の朝になるとケロッと上がってました。IMG_4081.jpg

 昨日は仕事休んでもよかったんやけど、職場の様子も気になるし仕事も溜まってるしで土曜出勤しようと、いつもと同じ時刻に駅に向かったところ、なんと電車が動いていない。台風は昨日行ってしもたやんかと思ってたところがどっこい、線路の被害を確認するとかで運行再開の目途はたっていないと容赦ないアナウンスが繰り返し流れています。

 仕方ないので家まで引き返し、クルマで職場に向かいました。近畿一円のJRが止まり行楽客などに影響が出たようです。同僚が職場から撮影した淀川ワンドの写真が届きました。増水してはいますが、河川敷グラウンドの冠水は免れているようです。2年前の秋に台風が大阪を襲い、淀川の水位が上がって大きな被害が出たことを思い出し、今回はやれやれといったところ。

 さて、巷間あいかわらず安全保障関連法案をめぐる話題が喧しいこの頃ですが、これまでにも書いたように昨年集団的自衛権が閣議決定され、その後の総選挙で自民党が圧勝した時点で関連法案の成立は国民の信任を得てたわけですから、今になって反対派がデモしてもマスコミがヒステリックにキャンペーンを展開したところで、何を今更という話です。この法案が憲法違反なのは明らかなんですが、その話は総選挙のマニフェストでもって判断すべきでした。自民党を勝たせたのはほかならぬ国民なんですから、違憲法案のこともっと聞いてたら自民には投票しなかったといってもあとの祭りです。公明党は平和の党の看板を下ろし、今後も自民党の腰巾着として存える道を選びました。それでもこの政党は宗教団体が支持基盤ですから議席を減らすことはありませんが、今後きっと教団内ですったもんだがあるでしょう。

IMG_4082.jpg ところで、昨日「東京駅開業100周年記念Suica」なるものが届きました。最初は何のことか分からなかったんですが、そういえば数カ月前に限定発売のやり方がまずくて混乱を生じたため、JR東日本が「追加で希望者には全員販売します。通販もOKよ」とかいう騒ぎがありました。一気にプレミア感が落ちて発売当初に苦労して入手したテツたちは憤懣やり方ないところ。世の風潮に乗ることが大好き、ミーハーの私はそんな貴重なもんならと当然申し込んでたわけですが、すっかり忘れてた。その時点ではノリノリやったのにひと月もするとそんなことがあったことさえ忘れてしまう。私の場合特にそんな傾向が特に強いでのすが、日本人誰しもあることではないでしょうか。台風来るまで前回の台風被害のこと忘れてるように。

 つまり、安保法案の騒動にしても、この国の戦後の安全保障の考え方を大きく変えた歴史的できごとではあるけれども、大騒ぎしている国民の多くはしばらくすると多分忘れてしまいます。消費税増税が決まったときには騒いだもののいまや8%が当たり前になり、来年秋には10%になることもすんなり受け入れてます。起こったまさにその時点では大騒ぎするけどすぐにケロッと忘れてしまうのです。国会で座り込んでる反対派の市民たちもいずれ仕事に戻っていきます。四六時中自衛権のこと考えてるわけにはいかずそのうち忘れてしまってついにはそれが当たり前として受け入れられ、いずれ「そいやあんときは大騒ぎしたな」なんて思い出すことでしょう。

 人は忘れることで生きていけてるのです。

 暑い日が続いています。確かまだ梅雨は明けていないのに、連日の猛暑は早くも夏本番を感じさせます。いくつもの台風が北上をうかがい梅雨前線を刺激しており実に不安定な天候に加えてこの猛暑の中の昨日、ゴルフに出かけてきました。仕事関係のコンペで、まあ楽しかった。

 スコア云々よりも果たして猛暑の中で18ホール完遂できるかという課題を科して臨みました。心配した雨もgreen.jpgなく、かといってスッキリ晴れるでもなく、終始薄曇りでときおり日が差すという絶妙のコンディションであったことが幸いし、なんとか無事にクラブハウスまで帰ってこれました。やれやれといったところです。

 もうこれ以上気温と湿度が上がるととてもじゃないけどゴルフなんてやってられません。そんな過酷な修行はプロに任せておけばいいのです。もう、秋風が吹いて涼しくなるまでゴルフには行きません。

 さて、ラウンド中、東京オリンピックの話題になりました。開催までにはまだいろんな紆余曲折があるやろうけど、たちまち現時点ではまず新国立競技場にいくらかかるかという話。

 設計コンペで出たプランは極めて斬新でカッコいい。しかも今をときめく世界的女流建築家の作品やということで「これや!」とお気楽に決めたところ、その建築費用がどうやらべらぼうなことになりそうやと分かってきて、ホンマにこれでええのんかと大騒ぎになっています。

 この建築家「アンビルドの女王」の二つ名をもつとかで、とにかく造れるはずもないトッピな設計を次々と世に送り出してきた人らしい。つまりは建造に向けての予算や事後の採算などの現実的な問題はまったく度外視して、自分の作品を発表する場としてコンペに応募していると。それでも最近技術の進歩や経済の好転とかでほんとに造られるケースも出てきてるとか。

 MUDA.jpg 今回の新国立コンペの応募作品も、普通なら「んなアホな」と捨て置かれるところがマヌケな審査員連中が同様に予算の増幅なんかを深く考えずに「あ、これええやん!」と飛びついてしまった。で、結局、当初「総工費1,300億くらいで」と言ってたのに、採用決まってもっかい積算してみたらなんと2,520億円! 2倍やん。

 ここで「あ、じゃダメ。別のんにしょ」というのが普通の感覚なんですが、なんと「もう今からじゃ間に合わない」とかでこのまま進めると。実は、間に合わないんやなくて、ゼネコン関係のいろんな利権がすでに動いてて、多くの偉い人たちの事情でもうあとに引けなくなっているのがホントのところなんでしょうけど。

 しかも財源をまだ確保しておらず「まあ、なんとかなるやろ」という、とんでもない状態やそうです。ほんとに大丈夫なんやろかと、烏合の野党ならずとも気になるのは当然です。

 ところが大丈夫なカラクリがあるのです。

 今回、2,520億円と言ってますが、これには可動式屋根や観覧席の一部の費用は別売りとかで、実際の建築費用は多分3,000億円超えるでしょう。アテネ、北京、ロンドンのメイン会場の10倍近い空前の箱物です。しかし、当初の予定をないがしろにして無茶苦茶な無駄遣いしても責任とる人が誰もいない。ここがカラクリなわけです。

 日本人はお金持ちです。国の借金は1,000兆円もあるけど、これほぼすべてが国民からの借金であって、つぶれかかってるギリシャみたいによその国から借りてるわけじゃありません。いざとなったら世界の国々に直接の迷惑はかけずに借金をゼロにできるんです。だから世界最大の超借金国であっても国際的な信用はまったく揺るがない。だから今回の国家プロジェクトにしても、3千億かかろうが5千億かかろうが、始めちゃうととにかく最後まで造ってしまって、財源的な話は事後にあっちこっちしわ寄せしてるうちになんとか誤魔化してしまえる。一か所にヒットする致命的なダメージではなく、日本全体の財力の中で吸収されちゃうのです。ところが、その結果、気が付いたら消費税が20%になってるかもしれません。税金の操作で1,000兆円の借金のうちの3,000億円分棒引きにするわけですよね。簡単です。0.03%なんてゼロに等しい。実は弱い立場の国民にしわ寄せが生じてるんやけど、時代がそうなんやから仕方ないと忘れ去られることになります。つまり、今回のプロジェクト、結局お金の心配はいらないと。

 責任者が明らかならそいつが必死で阻止するでしょうけど、誰もが自分のせいではないと思ってるから、ブレーキかける人がいない。知らないうちに国民全員の少しずつの痛みに転嫁されて、ことは有耶無耶のうちに終わっていくのです。

 オリンピック開催の中心施設となる一番肝心な競技場にしてこれだけのゴタゴタ。それにしたって、2020年までにやらないといけない準備のほんの一部に過ぎません。のっけからこんなにドタバタしててオリンピック自体ほんとに大丈夫かと思います。韓国の平昌のこと言えた義理じゃないですよね。

オペラでくらくら

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 オペラ鑑賞してきました。

 ハンガリー国立歌劇場の日本公演。この劇場と管弦楽団、ウィーン国立歌劇場と並んでハプスブルグ帝国の2大劇場というよくわからないふれ込みですが、まあ、伝統がある一流どころということは間違いないやろってことで、とっても興味がわいて行ってみた次第です。

 声楽のコンサートで「歌劇○○より、アリアなんとか」なんてのはたまに聴く機会ありましたが、ホンマもんのオペラをフルで聴いたのはたぶんはじめての経験でした。

 結果、実によかった。感動しました。また行きたい。

FIGARO.jpg 会場は最近リピーターみたいになってるおなじみのフェスティバルホールです。バルコニーBOX席というのんがあって、巨大なホール空間の両側の壁にツバメの巣みたいにせり出した座席がいくつか張り付いてます。以前の何かのコンサートのときに珍しさから買ってみたところ、なかなか具合がよろしかったんで今回の観劇もこれにしたという次第です。二人席で小さいながらいわば個室みたいな作りです。両側の人に気を遣う必要がない。座席後ろにスペースがあって荷物が置いとける。演奏中でも行こうと思えばトイレにも立てる。そんなもったいないことしませんけど。

 ところで、この席、何とも高い。お値段のことではなく、位置の高さがとてつもなく高い。見下ろすとクラクラします。高所恐怖症の人は多分ムリでしょう。そいや電話で予約するとき「かなりの高さがありますが大丈夫ですか」という意味のことを聞かれました。しかし、上演中はもちろんステージに注目で下なんか見ないし、慣れるとどおってことなくなりました。

 演目はモーツァルトの「フィガロの結婚」です。数あるオペラの中でも実にメジャーで明快なやつです。しかし、なんせ日本でいえば歌舞伎なみのいわば伝統芸能で、しかも通しで聴くのは初めてです。きちんと理解できるやろかということで、事前にDVD買ってきて勉強してから行きました。

 ストーリーは簡単やしもちろん日本語の字幕も出るのですが、それでも事前にストーリー知っていないと、まず理解できないと思います。簡単と書きましたが、ストーリーだけやと全く値打ちがない。何それ?という感じ。およそありえない展開で、登場人物はみんなアホばっかし。吉本新喜劇でもこんなコテコテの筋はやらんやろと突っ込みたくなります。

 しかし、しかし、単なる演劇やミュージカルとは違ってすべてのセリフが「歌唱」で表現されます。この点は、独特の言い回しで話を進めていく歌舞伎によく似ています。そしてその歌唱力がなんともすさまじい超絶技巧なのです。劇中の場面場面を切り取った単品のナンバーが声楽のコンサートで歌われるなど、ひとつの声楽曲としても完成されています。MOZART.jpg

 開演後開口一番、男性歌手が歌い始めたとき、あれ、ヘッドセットマイクつけてるのかなと思いました。アーティストがダンスとかミュージカルでステージで動きながら歌うときに着けるアレです。しかしオペラグラスで見ても歌手の顔にはそれらしき様子はない。しばらく聞いていくうちに、この歌声は拡声されていないまったくの地声であると分かりました。凄い。声量とホールの音響効果によってマイクなしでもこれだけのパフォーマンスが発揮されるのです。オペラ凄い。
 

 話が進むにつれて主人公フィガロが幼少の頃に分かれた両親と再開する場面があります。あまりにもできすぎててそんなアホなと、違う意味で笑わせるところなんですが、ここでヒロインのアリアの歌詞に日本語の「お母さん」と「お父さん」が出てきたり、訳詞に「援助交際」なんて単語使ってたり、この公演向けの演出サービス凝ってて場内大いにうけてました。

 現代人を熱狂させるアイドルやバンドなんかもそれなりに価値があるからこそ人はお金払ってライブに行くしCDも買ったりするのであって、人々の心を癒しているのですからそれはそれで大いに結構なことです。しかし、今、テレビや街角で流れているナンバーのうち、100年後、200年後にもコンスタントに演奏されるものが果たしてどれだけあるでしょうか。前に歌舞伎行ったときにも書きましたが、本当に価値があるものは誰に保護されるわけでもなく自然に残っていくのです。本当の本物の凄さです。

 ひとつひとつのアリアや重唱、合唱曲がおよそ人間に可能な技量の最高域に達しています。完成された芸術の凄さを堪能しました。モーツアルトは、その他多くのクラシック音楽とともにこの世界がある限り人類の財産として受け継がれていくことでしょう。

WELCOME

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PROFILE

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katsuhiko

男 

血はO型

奈良県出身大阪府在住のサラリーマン

生まれてから約半世紀たちました。

お休みの日は、野山を歩くことがあります。

雨の日と夜中はクラシック音楽聴いてます。

カラオケはアニソンから軍歌まで1000曲以上歌えます

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