2015年4月アーカイブ

芸術の春

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 春の長雨から一転していいお天気が続きました。今朝も清々しい快晴です。桜が終わった若葉の頃は年間で最も良い気候やと思います。このまますぐに夏になればよいものを、わが国では梅雨を乗り越えねば夏はやってきません。結婚式はジューンブライドがもてはやされてきましたが、あれは梅雨のない欧米で最も快適な季節が6月やからウェディングには最適という習慣を、あとさき考えず日本に輸入したもんで、結果、なんでこんなジメジメしたときに式あげるんや、ということになってしもてるとか。おそらくホテルや式場の営業戦略もあったんでしょうね。日本らしいっちゃらしい。

IMG_3712.jpg さて、先週は週半ばにクラシックのコンサートに、昨日は美術展に出かけるというなんとも芸術的フレーバー漂う一週間でした。

 演奏会は井上道義ほか指揮の在阪4オーケストラの饗宴で、4指揮者、4オケが交代で1曲ずつ演奏するというお得感満載のイベントです。演目に以前にも書いた好きなナンバー、サン=サーンスの交響曲第3番『オルガン付』があり期待して出かけました。会場のフェスティバルホールにはザ・シンフォニーホールみたいな本格的なパイプオルガンはなくて、使ったのは電子オルガンの大っきいやつやったと思いますが、音量はシンフォニーホールのんよりよくて迫力ある演奏でした。

 この日に限らず、また、クラシックに限らずロックでも演歌でも落語でも、曲のできはCDのほうがはるかに完成されてます。失敗気にせず何回もやり直しできて納得のいく最高のんを採用すればいいんやから当然です。演奏会はそうはいきません。失敗しても「もいっかい」はない。しかし「ライブ」の魅力は何ものにも代えがたい。聴衆は生の迫力、会場の雰囲気に価値を感じて足を運ぶのであって、曲の出来不出来は気にしないというと語弊がありますが、少なくも絶対の最優先ではありません。一期一会こそが演奏会の魅力です。しかもその時の演奏がCDを凌駕する素晴らしい名演であればなおさら価値があるというもんです。

 観客席でふと振り返るとすぐ後ろの座席に、あとで指揮する井上道義さんが座って聴いてる。井上さんが最後の曲、ベートーベンの交響曲7番を指揮してるときには、先に終わったうちの二人の指揮者が代わって座ってる。汗だくでした。なるほど指揮者は重労働なんやなあとか思ったわけで、こんなのもライブならではの嬉しいハプニングでした。img037.jpg

 そして昨日、神戸市立博物館で開催中の「チューリヒ美術館展」に出かけました。なんだか美術展は神戸が多くて前回の「プーシキン美術館展」もその前の「マウリッツハイス美術館展」も同じ会場でした。今回は前2回のようにこれといった目玉商品はなく、HPによると「モネ、セザンヌ、ピカソ、ダリ、ジャコメッティ…近代美術史を彩る巨匠たちの傑作や、画業を代表する名品ばかり74点が集結。習作やスケッチは全くない、圧巻のラインアップです。」ということです。確かにそれぞれ力のこもった大作がこれでもかと並んでます。好きなシャガールも何点かあってかなりの長時間見入ってしまい、大満足の静かな時間を堪能しました。

 今日は統一地方選後半戦、市議会議員選挙の投票日です。こちらは芸術とはおよそ無縁な世界です。市議会の選挙ともなると、候補者たちにとっては4年に一度の就職活動といった様相ですね。お天気もいいし、散歩がてら清き一票を投じてまいります。

 朝からどんよりとした曇り空で雨の予報が出ています。今日は午後から今シーズン初めて聖地甲子園に出かけるので、なんとかもってほしいのです。いまいち調子が上がらないわがタイガース、対巨人の連勝ではずみをつけてほしいところです。

plt1504030032-p8.jpg さて、バカな議員は関西発と決まってるわけでもないのでしょうに、西宮の号泣市議の記憶も薄れたころに今度はなんと代議士さんの登場です。比例区で滑り止め当選した女性議員ですが、国会会期中に飲み屋をハシゴしたあげく翌日の本会議をズル休みし、すぐにその翌日から恋人の男性秘書と旅行に出かけてたとか。それがバレたあと、当の秘書ともどもマスコミ対応にしくじって各方面から大バッシング。とうとう親分である維新の党、橋下徹共同代表の逆鱗に触れて党除名と。絵にかいたようなマヌケぶりです。いったん辞職して次また出直したら、と代表に諭されたそうですが、誰が考えてもこいつに次なんてない。あるはずがない。そんならせめて資格があるうちはまわりから何と罵倒されようが生き恥を晒していこうが、議員の厚遇は享受したいということで辞職はゼッタイしません、と。

 ちょっとまってよって話ですよね。この女性議員は比例区で当選したんやから、その党を除名になったら当然失職すべきでしょうよ。この議員ではなくて党を支持して投票したのやから。

 確かに不可解な制度に守られて、法令上は議員の職を奪われることはありません。しかし、自分が代議士でいられることに条理的な根拠がまったくないことを考えるべきです。数千万円の歳費、経費と引き換えに人として最低限の羞恥心を捨てるべきではないでしょ。そこは利害や打算を捨ててエモーショナル(感情に忠実に)であるべきですよ。

 ところで、今日はこんなバカの行状をいまさらあげつらって追及しようというのではなく、注目すべきはこんなトウヘンボクでもいったん選挙に受かって議員になると任期中はそう簡単にはクビにはできないという、わが国の制度のことなんです。

 同じような例で思い出すのは十数年前、社会民主党から比例区で立候補当選したタレントの田嶋陽子という女性問題活動家が、当選後に社民党離党しながら議員は辞めず、任期いっぱい歳費を持って行った、というのんがありました。わたしはその選挙で社民党に投票したので、よく覚えてます。大変に裏切られた思いがしたもんやから事務所に抗議を送信しましたが、案の定返事はありませんでした。議員というものは、当初は政治理念に燃えたとしても、いったんセンセイ職の美味しさに浸るととたんに本能に従順になってしまうのです。つまり、本人の良識に期待するのはムリなんです。では、強制的に辞めさせることができないのか。vote1.jpg

 たとえば知事や市区町村長はその地方の有権者の、原則として三分の一以上の署名があればリコール投票ができてそこで過半数が賛成すれば辞めさせることができます。首長がときどきクビ長と呼ばれるのは「市長」と紛らわしいからですが、有権者がクビにできるルールがあるからとも言えます。地方議会議員も同様です。三分の一以上の署名と過半数の賛成で解散できます。

 ところがところが、なんと国会議員にはリコール制度がありません。地方議員やなんかと同じ理屈でやるとしたら、たとえば全国区の議員なら日本中の有権者の三分の一の署名がいると。こんなん到底無理やからということでそもそも制度がないということです。

 いったん議員に受かったら、犯罪で捕まっても実刑判決でなければ議員を続けられます。会期中は逮捕すらされないという特権もあります。なぜか。どんな悪人でも多くの有権者に選ばれたという事実は重みがあり、選んだ人の国政に対する思いは尊重する必要がある、これぞ民主主義のあるべき姿である!ということらしい。逆に言えば、選んだ側は選んでおいてから「やっぱりこいつダメ」というのは許されない。選んだ以上は責任もって支持しなさいということのようです。しかしこれは前述のように現在の比例代表制という選挙制度では通用しません。そんなことみんな分かってるのに、センセイたちは自分のクビが怖いもんやから直そうとしない。

gijidou002.jpg ゆいいつ「除名」という制度があります。議院の秩序を乱したりした不届きものは、本会議で出席議員の三分の二以上が賛成すれば除名処分となり議員の身分を失います(憲法第58条)。有権者ではなくて議員どおしで決めることになります。だから他のセンセイたちが「よおし、こいつ辞めさせたろ!」と一致団結すればやれないことはない。しかし、この制度で国会議員クビになったのは戦後わずか2人しかいないそうです。きっとお互いに自分のクビのことを考えると、そう軽軽に言い出せないということなんでしょね。やっぱり、ハードルは高い。

 確かに選良の身分を強固に守ることは民主主義の基本です。しかし、今回の件のように、およそ国会に居るべきでない人物が間違って議員になっちゃうこともあるのです。いわば何等かの手違いによって生じた事故なんですから、それを是正する仕組みは必要やと思います。

南北朝の桜

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P4045385.jpg 先日、恒例となった旧友たちとの京都花見行に参加しました。この集い、花見といいながら最近は料亭での宴席が主体で、桜があってもなくてもさほど影響がなくなっとります。しかし、やはり日本人としては単なる宴会よりも「花見」と銘打ったほうが春爛漫の雰囲気が充満し、盛り上がるというものです。

 京都で長く仕事してた友人が毎度毎度設定してくれるのです。これはまったく感謝に堪えません。彼が京都の職場に勤務することがなかったら、さらに置屋さんとの馴染みがなかったら、われわれがこのように気軽に京文化を満喫することはおそらくなかったでしょう。持つべきものは京都の友人であります。今回は河原町の「本家たん熊本店」で京料理をいただきました。ミシュラン☆☆、京都のビッグネームです。IMG_3557.jpg

 たださえ都情緒たっぷりの木屋町通りと高瀬川はおりしも桜満開、うれしくも雨の予想がはずれ、青空をバックに清楚な花弁が映え、これぞ日本、これぞ京都という絵画のごとき空間が広がっていきます。座敷からは反対側、鴨川と川沿いの桜並木が望め、遠くに眺める東山、清水寺の杜を覆うのは春霞かそれとも桜の花房か。川沿いは多くの人が行き交い、それぞれに春を楽しんでます。晴れてよかった。

 高瀬川といえば森鴎外の小説「高瀬舟」。小学生の時分に読みました。今ならもうどおってことないけど、安楽死という言葉を初めて知り、純真なこどもやった私の中で法律論、社会・哲学論に一石を投じその後の思想醸成に多大なる影響をもたらした衝撃の問題作でした。IMG_3558.jpg

 ところで、高瀬舟って高瀬川の水運に使われてるからそういうんやと思ってましたが、調べてみると実はこれ逆で、高瀬舟という舟を使う運河やから高瀬川という名前がついたんやとか。知らんかったわ。

 さて、午前中に所用あり少し遅れて参戦したのですが、いつもの馴染みの面子がそろう中、初めての参加でほぼ卒業以来の再開となった友人あり、いつもながらの実に楽しいひとときでありました。はじめて会った舞妓さんの鉄板ネタ「祇園小唄」の京舞を堪能するうちに予定の刻限となり、すっかりハイテンションに至った一行は欣喜雀躍して河原町での二次会へと参じていくのでありました。

P4115439.jpg そして昨日、今度は中学校時代の旧友に会うべく帰省し、吉野山で花見してきました。なんだか最近春になると毎年吉野山に登ってます。去年も一昨年も。京都よりも南都奈良リスペクトの私には「京都やとぉ~??南朝はどした南朝は。」という後醍醐天皇の声が心に響き渡るのです。

 いつもは近鉄吉野駅から心臓破りの七曲りをえっちらおっちらと登っていくのですが、今回駅前のバス停に並ぶ列が思いのほか短かかったので中千本まではバスに乗り、温存した分の体力を使って上千本吉野水分神社まで一気に登っていきました。今年は花が早く、ここ上千本一帯でもすでにして葉が出始めています。

 この前水分神社に参ったのは2年前の夏、暑い盛りでした。やはり吉野の寺社は花の時期にその本領を発揮します。大和国四所水分に数えられる由緒あるこの神社、地元では「コウモリさん」と呼ばれてます。上千本のこのあたりの地名が「子守」というのです。コウモリさんがあるから地名についたのか、子守地区にあるからコウモリさんなのか、こちらはいまだ不明です。P4115423.jpg

 歩いていると東京弁や外国語がひんぱんに聞こえてきます。それにしても人の多さよ。この世界遺産は、1年間の稼ぎの大部分を4月ひと月でたたき出すのですから無理もありません。

 日本人が大好きな桜。日本中に桜の名所は数あれど、吉野山はトドメをさします。そのスケールは桁外れで、一度や二度訪れただけではとても堪能しきれない。行くたびに新しい発見があるのです。久々のハイキングでへろへろになった足の疲れも、気の置けない旧友との語らいのうちに癒されていき、年度初めの喧騒を乗り切る鋭気を充電できました。

 桜は良い。日本人でよかった。

Fail Safe

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 昨日、今や毎年恒例となった京都での花見に出かけ、久しぶりに旧友たちとの交歓が盛り上がりました。雨の予報に反して薄日がさす春爛漫の京都の様子は追って書いていくこととして、今日はその京都で親しい友人と話すうちに妙に印象に残ったことです。

BAKUHA.jpg ものつくりの基本的な哲学のひとつに、武器などは除いて人間が造りだしたものは原則的に人間に危害を加えることがあってはならないとされています。アイザック・アシモフがロボットの3原則として似たようなことを提唱しましたが、何もロボットに限らず人が作り出したすべての造型についていえることです。

 しかし、たとえば金づちは釘を打つのにはたいへん便利ですが、使い方を間違うと指に怪我するし、電車はたくさんの人を運べる便利な道具ですが、踏切に人が入るととんでもないことになります。また、自動車のブレーキがいきなり故障すると大変な事態が生じます。

 つまり、道具が人間に危害を加えないという命題には、その道具の正しい使い方が遵守されていることと、道具が道具本来の機能、性能を正しく発揮している範囲でというファクターがかかるのです。

 クルマは動かさないと役に立たない。しかし、まんいち壊れて制御きかなくなると大変困る。どうするか。壊れたときには必ず安全な状態に収束すること、つまりは確実に止まること、というのがモノづくりにおける「Fail Safe」の考え方です。だから基本的に現代の道具は「壊れたら止まらない」ではなく「壊れたら動かない」ように作られてます。止まれば安全なんです。

 これを逆手にとって犯罪に利用したものとして有名なのが、往年の日本映画の傑作「新幹線大爆破」でした。

 今は亡き高倉健さん演ずる犯人が新幹線に爆弾を仕掛けたのですが、なんとこの爆弾、列車が一定速度以下にスピードを落とすと爆発する仕掛けになってたのです。走り続けるしかない。何とも見事な発想です。

 こんなことを思い出したのは、先月起こったドイツのLLCの定期便がフランスで墜落した事故を聞いたからです。現在社会においておそらくは最高に便利な道具のひとつである旅客機は、壊れたときに「Fail Safe! とにかく止まろう」ではどうしようもない。落ちてしまう。だから万一エンジンが全部止まっちゃった場合でもしばらく滑空できるような構造になってるらしいけど、それでは焼け石に水で大きな犠牲は避けられません。だから、こと飛行機に限っては止まっちゃうことは絶対にないよう整備することで安全を確保するしかないわけです。GERMANWINGS.jpg

 合わせてハイジャック防止のため、コクピットは外からは絶対に開けられないようになってる。人為的な事故、犯罪を防止するための、これ以上ない仕組みです。これが今回の事故につながるとは誰が予想し得たでしょうか。異常をきたした副操縦士に締め出された機長が外から扉を開けられたら、多くの犠牲者がでることはなかった。万全の安全体制が逆に最悪の事態を惹起した、なんとも皮肉な話です。

 結局は人のこころの問題に帰結します。正常な状態でない副操縦士がコクピットに就いた時点で、人類は道具に負けたのです。わが国のJR福知山線の大参事も同じでした。人は間違うものという前提で進められるものつくりの理念が、今回の事件でまたひとつ進化しました。操縦士をコクピットにひとりにしない。科学技術万能を謳歌する現代社会にあって、こんな簡単なことに誰も気がつかなかったとは、人間もまだまだやなあとか思います。また、高機能、万能の道具であってもそれを操作するのは結局は人間であって、働く人の心身のケアは何事にも増して重要であることを肝に銘じる必要があります。多くの犠牲を無駄にしないためにも。

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katsuhiko

男 

血はO型

奈良県出身大阪府在住のサラリーマン

生まれてから約半世紀たちました。

お休みの日は、野山を歩くことがあります。

雨の日と夜中はクラシック音楽聴いてます。

カラオケはアニソンから軍歌まで1000曲以上歌えます

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