2015年1月アーカイブ

あの日から30年

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 先週、久しぶりに四国徳島に出張しました。

 前回徳島を訪れたのは、もう相当以前になります。今回の出張が決まった際、飛行機の手配をしようとしたところ、時刻表に伊丹‐徳島の便が見当たらない。調べると、もう10年以上前に廃止されたとか。かの明石海峡大橋が開通したことで、利用者が激減したらしい。

 大阪‐徳島は直線距離にしてわずか100kmたらず。すぐ近くなのですが、いざ行くとなるとなにぶん間に海があるためなかなかに厄介でした。のんびりフェリーに乗るか、岡山、瀬戸大橋経由ではるかに遠回りするしかなかったのです。そこで時間を惜しむ際に何回か飛行機を利用しました。航行距離が短いので離陸したと思ったらすぐに着陸。時刻表上は30分のフライトですが実際に飛んでる時間は10分ちょっとやったように思います。いつの間にか阪神‐四国が陸続きとなり、今や高速バスがバンバン行き交っています。人の移動も物流も格段に便利になっていることをあらためて感じた次第です。

IMG_3273.jpg 往路は日が暮れてたのでよく分かりませんでしたが、帰りにあらためて明石大橋眺めてみるとそのスケールのデカさに驚きます。大鳴門橋(左)と比べてみても橋脚の規模がまるで違います。さすが、ぶっちぎりの世界最長。よくこんなもの造ったもんやと、あらためて日本の土木建築技術の凄さを思いました。

 さて、徳島には学生時代をともに過ごした仲の良い友人がおり、今回の機会に一献傾けて旧交を温めることにしました。青春時代ともに苦労したなどというと彼に怒られそうです。なにせ彼は私なんかとは違って、努力して大学卒業後すぐに司法試験にパスした本当の俊才なのです。

 30年前、忘れもしない昭和60年8月12日の夜、彼と私は吉祥寺の酒場で飲んだくれて騒いでいました。彼は司法試験浪人中、私は卒業後関西に帰って就職した社会人1年生で初めてのお盆休暇を利用して友人たちに会うため上京していたのです。世間はバブル前夜の喧騒に満ちており、今思うと何か起こりそうな蒸し暑い夜でした。

 夜もふけて、ヘベレケになった彼と私は彼の自宅に向かうべくタクシーに乗り込みました。するとラジオから流れるのは音楽ではなく、アナウンサーが延々と人の名前を読み上げています。

 「う、うんてんしゅさん、なにかあったのれすか」
 「う~ん、何だかね、飛行機が落っこちたらしいよ」Boeing_747_JAL.jpg

 酔いも吹っ飛んだ彼と私はその夜、一晩中テレビにかじりついていました。次第に明らかになっていく御巣鷹山の惨状に愕然としたあの夜から、今年の夏で30年になります。彼と飲む際には必ずあの夜のことが話題になるのです。もし友人たちがあのお盆の時期に集まろうという話が無かったら、彼はあの日に徳島に帰省していたかも知れない。お盆の帰省ラッシュの混雑で羽田‐徳島便や新幹線の指定が取れなかったら、123便に搭乗していた可能性もゼロではなかった、と。

 先日は、当時の友人のひとりがすでに亡くなったことも彼から聴きました。あっという間に過ぎていった感もありますが、30年はやはり長い。

 当時の他の友人たちともまた集まろうや、連絡とってみる、ということで別れました。やはり東京でということになるのでしょう。将来、リニアが走っても大阪‐東京の航路はさすがに廃止されることはないでしょう。しかし、私は飛行機ではなく新幹線で上京することにします。

あの日から20年

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 阪神・淡路のあの日から昨日でちょうど20年経ちました。ついこの間のことのように思えるのですが、あの年に生まれた子らが今年成人したのです。月日の過ぎていくのが何とはやいことか。

c278.jpg あの日を境に、わが国の防災意識はギア・チェンジされたように思います。それまでは、きたるべき東海地震に備えて地震予知技術の開発を叫ぶなど、今思えばどことなく悠長な感がありました。1923年(大正12年)9月1日に起こった関東大震災を実体験として知る人はめっきり少なくなり、私たちは9月1日がなぜ防災の日とされているのかを身をもって感じることがなくなっていました。お座なりの防災訓練を毎年繰り返していました。そして関東大震災から実に72年を経た1995年1月17日、それは何の前触れもなくあまりにも突然にやってきたのです。しかもその震源は予想されていたフィリピン海プレートの南海トラフ境界ではなく、大都市圏阪神地域の直下という、これ以上ないほどの想定外の出来事でした。

 たったいちどの大災害によって、きわめて多くの人々の人生が大きく変えられてしまいました。何という神の配剤というべきか、ひとたび牙をむいた大自然の脅威の凄まじさを思い知らされた出来事でした。f085.jpg

 しかしながら、この災害によってはからずも日本人は、その底知れぬ強さと優しさを改めて世界に知らしめることとなります。地震発生直後の写真を改めて眺めてみると、当時この惨状からの復興には果たしてどれほどの歳月と苦難が必要となるのか、誰もが途方に暮れたあの当時を思いだします。しかし震災直後から行政は持てる渾身の力を振り絞って災害救助と粘り強い支援を続け、その後の復興を見事に達成しました。そして、被災した人たちは不便な避難生活の中にあっても不平不満を発することなく我慢を重ね互いに助け合って、自分ひとりだけやなく皆が一緒になって確実にもとの生活を取り戻していきました。その過程にあって全国から寄せられた支援物資と馳せ参じた延数万人におよぶボランティアの活動は日本人の心の根底に息づく、際限のない利他の精神のありようを鮮やかに示してみせました。

 壊滅的な被害を受けた大都会神戸は、ほんの数年の歳月を経て震災前にも増して美しい姿を完全に取り戻しました。この復興スピードを果たして誰が予想したでしょうか。これひとえに強さと優しさを兼ね備えた日本人のすばらしさの為せるところと言わずしてなんとするでしょうか。

 そして阪神淡路から16年経った2011年、東日本大震災の試練が再び日本に襲いかかりました。ここでは地震・火災にとどまらず、未曽有の大津波がおしよせ、さらには原子力発電所から放射性物質が拡散するという想像を絶する複合災害となったのです。

IMG_3254.jpg しかぁし、ここでも日本と日本人の底力は如何なく発揮されます。復興は実にゆっくりとではありますが着実に進められています。被災者の我慢と、国内外からの物心両面の支援のたまものです。

 先の大戦の反省から、長く日本人は自分たちが世界から嫌われているのではという変に自らを卑下した心情を抱いてきたように思います。戦後復興を遂げ経済大国となってからも奢ることなく、絶えず世界の国々への援助を続けてきたのもひとつには贖罪の意識もあったのではないでしょうか。しかし阪神淡路や東日本といった非常時には、はからずも世界の人々のわが国に対しての思いを知ることにもなります。日本と日本国民は自分たちが思う以上に世界中の人たちに、少なくはない尊敬と大いなる親しみの感情を抱いてもらってるのです。

 20年の節目というわけではないのですが、先週「自衛消防業務新規講習」というのんを受講してきました。消防法改正で、大きな建物内の事業所には自衛消防組織の設置が義務付けられ、その管理者等にはこの講習を修了したという資格が必要となったのです。2日間ビッシリのハードな講義と実践訓練でした。業務上の必要にかられての参加ではありましたが、知らなかったことも多くて、これからも災害大国日本で生きていくための防災意識の大切さを再認識するいい機会となりました。

 今後も大災害が日本を襲うことはわかっています。怠ることなく防災訓練と準備に勤しみ、万一のときには自分たちの強さと優しさを信じ、誇りをもって冷静着実、適正に対応し、引き続き世界中の人々の模範となって進んでいけるようにと思うのです。頑張らねば。

 お正月休暇がいつのまにか終わり、反動で仕事はじめ早々フル回転の状態が続きます。ちょっとバテてきたところにポッと成人式の連休が来てくれます。毎年思うのですが、これはなんともありがたい。

 ハッピーマンデー制度で体育の日や敬老の日が月日はずれて月曜日固定となってから、どれくらいたつのでしょうか。われわれ学校関係者にしてみれば授業日数の確保が難しくなって大変迷惑な制度ではあります。授業時間割は原則週単位なので、月曜日に配当の科目は授業日数の確保がどうしても難しくなってしまうのです。その結果祝日に授業やったり夏休み減らしたりと、先生たちのみならず学生さんへの影響も少なくありません。IMG_3252.jpg

 学生時代、成一という名前の友人がいました。彼曰く、彼が生まれる予定日が当時の成人の日(1月15日)やったのでご両親は「成人」という名をつけるつもりでいた。ところが、一日早く生まれたので成一という名になったとか。なもんで「俺の誕生日は成人の日の一日前と覚えとけ」と言うてましたが、それが通じなくなったわけです。彼もきっとハッピーマンデー反対やったでしょうな。

 かつて高度経済成長期、われわれの親の世代が現役の頃、日本はとにかく我武者羅に突き進んでいました。モーレツ社員たちは夜を日に継いで働いて働いて、この豊かな日本を築き上げてきたのです。そして世界中から「日本人、働き過ぎ」と批判されるとともに「ちょっとゆっくりしょうか」という風潮が出てきて週休2日が徐々に広まっていき、学校までが土曜日休むようになり、国民の祝日も増え、連休も増え「とにかく休んで金を使え」という政策が進められました。そして気が付けば21世紀のこんにち、労働時間はすっかり減ってしまい、昔の日本人のようにバリバリ勉強と労働に勤しんでいる新興諸国からの追い上げにあって慌てています。

 本当の豊かさを実現するために心にゆとりを持つことは大事やということは分かります。働くことだけが人生やないよ、貯蓄するより散財した方が経済が活性化してさらに豊かになれるよ、というのも理屈でしょう。しかし、かの「ゆとり教育」は著しく国力を落とし、今になって文科省はあわてて「脱ゆとり」やってます。人はやっぱり緊張感をもって働くことを旨とすべきなのです。休みが増えると堕落するとまでは言いませんが、労働時間の極端な削減は日本の競争力を奪っていきます。

 とはいうものの、一方で連休が増えることは労働者のひとりとして素直に嬉しい。困ったもんです。

 さて、もう朝日新聞のことはしばらく置いとこと思ってたところが新年早々動きがありましたので、また登場です。

 慰安婦報道の原因を作ったひとりである元朝日新聞記者が、自分を批判した週刊誌と大学の先生あいてに損害賠償を求めて提訴しました。

 いわく「私は捏造記者ではない」らしいですが、第三者委員会の審議によって記事には「強制的に連行されたという印象を与え、安易かつ不用意な記載があった」と結論づけられています。つまりは、彼は捏造記事を書いたのです。その後の日韓関係および国際世論に与えた影響を考えるとその責任は極めて重大です。

IMG_3251.jpg それを「捏造ではない」と強弁することは、たとえば「他人の物が欲しくなったので黙って持ち帰っただけで、決して盗んだわけではない。私は窃盗犯ではない」と言っているに等しい。

 もちろんこの記者氏やご家族に対する嫌がらせや脅迫などは絶対にあってはならないことで、そんなことをする連中は厳しく処断されるべきです。しかしそれを記者氏に対する批判記事のせいにして名誉棄損と訴えるのは、明らかにお門違いというものです。言論には言論で対峙するべきでしょう。

 これは朝日新聞社にとっても痛し痒しの事態です。せっかく第三者委員会の答申で形の上では決着つけてうやむやにできた、あとはホッカムリしておとなしくしとこと思ったのに、こんなことされてしもたらまた社の対応に世間の耳目が集まるやんか、カンベンしてよ、といったところでしょう。しかし国民は朝日の今回一連の所業、そう簡単には忘れませんよ。

 朝日新聞社はひとり記者の所為にするのではなく、今後日本の国益回復のために果たせる施策をはっきりと世に示し、真摯に対応していかねばなりません。ところが、かの委員会答申でお茶を濁して社長退陣で決着とするつもりが、新社長の木で鼻を括ったような記者会見で、「朝日に反省なし」という印象を再び社会に与えてしまいました。朝日シンパの私も「朝日よこれはマズいぞ」と思っていたところに今回の提訴です。

 今回、産経新聞はこの提訴を大きく報じ、社の見解を示して明確に論評しているのに対して、当の朝日は「従軍慰安婦」等の言葉が高校教科書から削除されることについて批判的な記事を載せ、その隣に、まるでついでのごとく論評抜きで伝えています。

 考えようによっては今回の提訴、国民が朝日の姿勢を正しく判断、評価するためのチャンスが到来したともいえます。朝日がこの記者の側に立ってふたたび世論を敵に回すのか。はたまた本当に反省してそれを行動で示し、日本のクオリティペーパーの地位を取り戻すことになるのか、しっかりと見据えていきたいと思います。

水の国

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 あけましておめでとうございます。trc_l1.jpg

 2年続けて花園ラグビー場に出向かない、静かなお正月となりました。穏やかに…と思いきや日本列島は元日から寒波に見舞われ全国的に大雪となり、なんと雪が極めて少ない大阪でも一時吹雪が舞い、うっすらと雪化粧しました。これは珍しい。地球温暖化が叫ばれて久しいですが、降るときは降るもんです。地球はまだまだ大丈夫、ということにしとこう。2015年のスタートは波乱の幕開けとなりました。

 10月にJAXAが打ち上げた気象衛星「ひまわり8号」の写真が公開されました。12月下旬に爆弾低気圧が発達したときのわが国付近の様子です。北西の季節風による雪雲がこれでもかと列島にぶつかり、壮絶な降雪をもたらしている様子がハッキリと分かります。綺麗な写真に感動、技術の進歩スゴイ。

 ゆく年くる年など年末年始の特集番組見てると、全国各地雪に覆われています。世界有数の豪雪国、日本の冬の風情満載です。雪は良い。日本の冬はやっぱりこうでないと、などと、いつもながら雪国の方々の苦労も知らず、雪を見ると無条件でワクワクしてしまいます。

 

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 思えばわがくにの国土は狭くて急峻なので大陸のような大河が発達せず、雨なんか降ったと思ったらすぐに海に流れついてしまいます。いっけん水が不足しそう。しかし、梅雨の頃には停滞した前線が降らした雨が水田に水を満たし、夏から秋にかけて台風が遥か南方から慈雨を運び、冬には冬将軍がシベリアからの寒気に乗せてドカ雪をもたらす。つまりは流失する水量を補ってあまりある豊かな降水に恵まれているのです。考えてみればこれは奇跡的な自然条件といえます。去年の夏、奈良検定の体験学習プログラムで川上村に吉野川源流を訪ねた際、ガイドの先生が「日本のように国中どこにも砂漠がなく、すべて森に覆われている国は実は珍しい」と言ってたのを思い出します。豊かな自然をはぐくむための最大の要因はやはり水なのです。

 こと「水」に限ると日本は世界有数の資源大国やそうです。たとえば、大陸には安定した良質の水源が極めて少ないため、お隣中国の実業家たちは電化製品だけでなくわが国の水資源を虎視眈々と狙っており、中華マネーが水源目当てに北海道の原野を買い漁っているとか。こんな所業は許されることではありません。

 ちょっと古いデータですが、「平成16年版「日本の水資源」(概要版)国土交通省調べ」によると、水道水がそのまま飲める国は世界に13か国しかないとか。
 ①日本 ②UAE(アラブ首長国連邦) ③ニュージーランド ④ドイツ ⑤アイスランド ⑥アイルランド ⑦オーストリア ⑧スロベニア ⑨クロアチア ⑩フィンランド⑪南アフリカ ⑫レソト ⑬モザンビーク

 豊かな水源と高度な水道技術によってもたらされるわが国の飲料水は、世界最高水準。世界中で最も水に恵まれている国といえます。普段、何気なく使ってる水道にも、もっと感謝すべきです。CP177.jpg

 水といえば四方を海に囲まれたわが国は、古来他民族からの侵略をあまり受けずに独自文化を育んできました。その領海およびEEZ(排他的経済水域)面積は世界の国のうち6番目に広いらしい。日本は海洋大国やったのです。水は資源として豊かな恵みをもたらす半面、ときに大きな災害をもたらします。自然を畏れる日本人は古来ことさらに水に対しては感謝と畏怖の情でもって向き合ってきました。

 だいぶ以前にも書きましたが、「水五訓」思い出したのでまた引用しておきます。

一、自ら活動して他を働かしむるは水なり
一、常に自ら進路を求めて止まざるは水なり
一、自ら潔うして他の汚れを洗い清濁併せ容るるの
  量(はかり)あるは水なり
一、障害に逢い激しくその勢力を百倍するは水なり
一、洋々として大洋を充たし、発して蒸気となり雲
  となり雪と変し霰と化し、凝っては玲ろうたる
  鏡となる、而(しか)もその性を失わざるは水なり

 今年も「水のごとく清く強くそしてしなやかに」これでいきたいと思います。
 どうかよろしくおつき合いください。

WELCOME

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katsuhiko

男 

血はO型

奈良県出身大阪府在住のサラリーマン

生まれてから約半世紀たちました。

お休みの日は、野山を歩くことがあります。

雨の日と夜中はクラシック音楽聴いてます。

カラオケはアニソンから軍歌まで1000曲以上歌えます

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