先週、久しぶりに四国徳島に出張しました。
前回徳島を訪れたのは、もう相当以前になります。今回の出張が決まった際、飛行機の手配をしようとしたところ、時刻表に伊丹‐徳島の便が見当たらない。調べると、もう10年以上前に廃止されたとか。かの明石海峡大橋が開通したことで、利用者が激減したらしい。
大阪‐徳島は直線距離にしてわずか100kmたらず。すぐ近くなのですが、いざ行くとなるとなにぶん間に海があるためなかなかに厄介でした。のんびりフェリーに乗るか、岡山、瀬戸大橋経由ではるかに遠回りするしかなかったのです。そこで時間を惜しむ際に何回か飛行機を利用しました。航行距離が短いので離陸したと思ったらすぐに着陸。時刻表上は30分のフライトですが実際に飛んでる時間は10分ちょっとやったように思います。いつの間にか阪神‐四国が陸続きとなり、今や高速バスがバンバン行き交っています。人の移動も物流も格段に便利になっていることをあらためて感じた次第です。
往路は日が暮れてたのでよく分かりませんでしたが、帰りにあらためて明石大橋眺めてみるとそのスケールのデカさに驚きます。大鳴門橋(左)と比べてみても橋脚の規模がまるで違います。さすが、ぶっちぎりの世界最長。よくこんなもの造ったもんやと、あらためて日本の土木建築技術の凄さを思いました。
さて、徳島には学生時代をともに過ごした仲の良い友人がおり、今回の機会に一献傾けて旧交を温めることにしました。青春時代ともに苦労したなどというと彼に怒られそうです。なにせ彼は私なんかとは違って、努力して大学卒業後すぐに司法試験にパスした本当の俊才なのです。
30年前、忘れもしない昭和60年8月12日の夜、彼と私は吉祥寺の酒場で飲んだくれて騒いでいました。彼は司法試験浪人中、私は卒業後関西に帰って就職した社会人1年生で初めてのお盆休暇を利用して友人たちに会うため上京していたのです。世間はバブル前夜の喧騒に満ちており、今思うと何か起こりそうな蒸し暑い夜でした。
夜もふけて、ヘベレケになった彼と私は彼の自宅に向かうべくタクシーに乗り込みました。するとラジオから流れるのは音楽ではなく、アナウンサーが延々と人の名前を読み上げています。
「う、うんてんしゅさん、なにかあったのれすか」
「う~ん、何だかね、飛行機が落っこちたらしいよ」
酔いも吹っ飛んだ彼と私はその夜、一晩中テレビにかじりついていました。次第に明らかになっていく御巣鷹山の惨状に愕然としたあの夜から、今年の夏で30年になります。彼と飲む際には必ずあの夜のことが話題になるのです。もし友人たちがあのお盆の時期に集まろうという話が無かったら、彼はあの日に徳島に帰省していたかも知れない。お盆の帰省ラッシュの混雑で羽田‐徳島便や新幹線の指定が取れなかったら、123便に搭乗していた可能性もゼロではなかった、と。
先日は、当時の友人のひとりがすでに亡くなったことも彼から聴きました。あっという間に過ぎていった感もありますが、30年はやはり長い。
当時の他の友人たちともまた集まろうや、連絡とってみる、ということで別れました。やはり東京でということになるのでしょう。将来、リニアが走っても大阪‐東京の航路はさすがに廃止されることはないでしょう。しかし、私は飛行機ではなく新幹線で上京することにします。